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雅体文字(みやびたいもじ)vol.Ⅰ|王超鷹による歴史上最も美しい文字の研究

                             王超鷹essay

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雅体は中国古代文字の一つです
その文字は精緻で淑やかで美しい
春秋戦国時代周王朝から伝わる芸術です

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窈窕(ようちょう)【美しく上品で奥ゆかしさを表現した雅体文字】

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雅 【丹頂鶴の美しさを表現した雅体文字】

”雅″の文字は、鶴の求愛の舞を優雅に表したもの

太古の昔、人間は自然と共存し、その自然界の生命の神秘を岩などに描き記した。
また日常の中に動植物を、美しい装飾品として取り入れ、生活を彩り豊かなものとしてきた。
こうした人間の持つ美意識が文化的遺伝子として文字形成を特徴づけるものとなった。

「雅体文字」は漢字が漢字と呼ばれるよりも、更に古い時代の文字である。時代にしておよそ2500年以上、春秋戦国周王朝時代から秦の時代までに使われた文字だ。

この当時、中国には「正体」「俗体」「雅体」という3種類の文字が存在した。

「正体」は現代の活字にあたる根源的な文字。「俗体」は日常生活で使われていた文字。

そして「雅体」は貴族や文士達だけが使っていた文字だ。自分自身の優雅な品格や知的水準を表すための文字ともいえる。

現在中国の簡体字は、俗体を基に正体化した物だと言える。

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鶴の美しさは雅体文字の原型である

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唯 【上品な鶴の舞を表す雅体文字】

雅体文字と秦の始皇帝

文化研究者で文字造形学の専門家の王超鷹は、「秦の始皇帝の焚書坑儒と毛沢東の文化大革命は、儀礼的なもの装飾的なものを廃し、機能実用面を重要視した。また、国土が広く人口が多い中国で文字や思想を含め、貨幣の単位や尺貫法など様々なモノを統一した。それにより国内の交流が活発になるとともに、庶民の識字率や知的レベルが格段とアップした。」

そして、これはあくまでも自分の学説であるとして、を付け次のように語った。

「文字造形学的に言うと焚書坑儒の書は書物を表すのではない。当時の書物は、木簡・竹簡なので書を燃やしたということであれば、焚簡坑儒になるはずです。、あるいは〝焚“の字は分解すると〝林”と〝火”なので、すでに木を燃やす意味があります。なので焚字坑儒・焚文坑儒となるのが妥当ではないでしょうか。」

「書には名詞的意味と動詞的意味があります。この場言いは『書く』という動詞で解釈するのが良いと考えます。つまり、『書家を焚の刑に処する』『儒家を坑の刑に処する』と考えられます。」

「つまり、すでにあるもの(知識が蓄えられた書物や儒家の教え)は利用するが、それに伴う弊害(知識や教えを解釈するもの)は全て取り去るということを徹底したのではないでしょうか。」

「焚書家坑儒家と考えるのが妥当だと考えます。」

「焚書家坑儒家では、あまりにむごたらしいので焚書家坑儒家から『家』の文字が外され、焚書坑儒となり、今の解釈となったと推察されます。」

焚書家坑儒家により、雅体文字を使える人がいなくなり、機能的な篆書体へと変遷していった考えられます。

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女 【美しい冠をつけたような雅体文字】

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威 【柔らかさの中に秘められた強さを表す雅体文字】

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慧 【変革の中にあっても、混乱ではないことを表す雅体文字】

中国芸術の根底となる雅体文字

雅体文字は、春秋戦国時代の貴族や文士達の美意識の象徴である。

「性愛の称賛」「生命の謳歌」を現す雅体文字。

雅体文字は春秋戦国の諸侯や貴族の間でやり取りされた書簡の中にも記されていた。いわば、友好の証だった。

やがて、中国が秦に統一されると雅体文字は、文字を書ける者が姿を消して行き、時代の波の中、海深く沈んでいった。

その後、歴代の中国芸術家たちは様々な方法で、雅体文字の美を追求し復元しようとしているが、いまだに確立されたものはない。 

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雅 書道作品

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双福 雅体文字を刻み込んだ石印

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