冒険を志している者に冒険をさせることは社会的投資だ。
有名な冒険家とお話する機会がありました。その中で、自分が自分でいるために冒険をしているのであって、決して誰のためとかではないと伝えてくれました。その姿を周りの人が感動するかどう思うかは別の話であり、そんなことあまり意識していないらしいです。
こんなことをやっていると、ラグビーのためにお前は冒険しているのか?自分のために山に登りたいから冒険をしているのか?とよく聞かれます。
正直に答えれば両方なのですが、こんなにも自分自身を興奮させるものに出会えたことは僕の人生の中で二度となく、この冒険を達成させるために今まで生きてきたと本気で思っています。そしてこの冒険の先に、ラグビーというスポーツに振り向く人が一人でも増えれば御の字であるとの思いが素直な気持ちです。
冒険の行為というのは非常にエゴイスティックな行為であるかと思います。
しかし、冒険家が冒険の中でインプットした情報を元に、社会課題に力強くコミットする事例はいくらでもあります。
難民の父と言われているノルウェーの極地探検家 フリチョフ・ナンセンはかつての冒険の中で、第一次世界大戦によって生まれた戦争難民を目の当たりにし、国際連盟の中で彼らの救済を訴えた最初の人間です。
エゴ的なものに対して過度なアレルギーを持っている現代では直接的に目に見えるエゴに対して、痛烈な批判を繰り返します。が、長期的に見たら、今は予想し得ないことに対してアプローチできるファーストペンギンこそが冒険家であり、冒険家が冒険をすことによる社会的価値は高いものだと個人的には考えます。
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