1京5000兆Z$をもって気づいたこと
お金なんて紙飛行機しまえ
ジンバブエにいた時、かつて流通されていたジンバブエドル(以下、Z$)の100兆Z$を150枚持っていたことがあり、アラブのどの石油王よりも0の数だけで比べてたら僕の方がお金を持っていた。僕が入手したタイミングはすでに兌換紙幣ではなく、商品・サービスとは交換ができなかったのだけれど、それでも手にした時は本当に実存してたんだとの思いでいた。
ことジンバブエは2008年にハイパーインフレがあり、僕がいた時も失業率が95%という日本ではとても想像ができない数字を叩き出している状況であった。僕がいた時は米ドルを使用していたこともあり、ある程度落ちつていたが、インフレ末期時は100Z$で買えたオレンジが
明日には200Z$。
明後日には400Z$。
10日後には100,000Z$。
1ヶ月後には100,000,000,000Z$
に値上がっていたと聞く。
お金の価値は変化するもの。それは経済的な事だけでなく、個人のお金に対する価値観でも言える事かもしれない。
当時、紙切れ当然となったジンバブエ紙幣は子供たちにとっては遊び道具でしかなかった。0が無数に並ぶジンバブエドルで紙飛行機を作り、アフリカの真っ青な空に向かって飛ばしていたらしい。お金に対して凝り固まった見方しか持てていなかった僕にとって、お金の行き着く先が紙飛行機になるとは想像もしていないものだった。
お金は自分の楽しさのために使うもの
ジンバブエの子供たちにとって、紙切れ当然となったお金を最大限、利用するために紙飛行機に変化させたというのはよくよく考えれば理にかなっていることに気づく。貨幣価値のないジンバブエドルをその子たちにとって一番欲しっていた遊び道具に変えたのだ。
お金は自分の楽しさのために使うもの。
ジンバブエドルの紙飛行はその最もたる例なものなのかもしれない。