おもひで散策
日曜日に伯父と従姉の法事があり帰省した。
幸い予備校の仕事は少し余裕ができる時期で、水曜日に帰京するようにした。
昨日は法事の準備で疲れた伯母と母の老姉妹を、レンタカーを借りて日帰り温泉に連れて行き慰労。
頑張り過ぎて身体のあちこちが痛いといっていた二人が、「ゆっくり温まった」と喜んでくれたのでよかった。
亡くなった従姉がなくなる直前に「うちの父母をよろしくお願いいたします」と震えるような筆跡の鉛筆書きで年賀状をくれていた。
息子は夫に託せるから、両親は肉親である私を頼りにしてくれたのだろう。
その後伯父は亡くなってしまい、伯母一人が残された。
80代になって娘と夫の二人を亡くした伯母の精神的な負担はどれほどのものか想像も出来ない。
私は、従姉と勝手に約束した。
出来ることは限られているが、伯母の笑顔を出来るだけ作れるように接して行きたい、と。
ただ、伯母の妹である母がもっと愛情深く伯母を支えているので、私はその母をさらに支えるという間接的なやり方になってしまうが。
あけて完全フリーになった今日、今度は自分の思い出をたどってみることにした。
よく行っていた本屋はつぶれていて、唯一残っていたツタヤ系のユーイングの書店部門がついにつぶれていた。
なかなか切ない。
そこから歩いて30年ぶりぐらいに平和公園の中に入ってみた。
エスカレーター以外は、ほぼ記憶のままで懐かしかった。
若い頃の父や赤ん坊の弟と一緒に来た写真が今も残っているが、その風景とほぼそのままだった。
私は未婚で自分で作った家族がまだいないので、家族の思い出というと今だに両親や兄弟との思い出になってしまう。
それを少し悲しいと思いもするが、その分両親や兄弟の思い出をより鮮明に思い出せることはひょっとすると幸せなのかもしれない。
どちらがより幸せなのか、それはわからない。
私にはその分、教え子たちと喜びを分かち合った思い出もあるから。
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平和公園の平和祈念像、30年ぶりぐらいに見た。
前に見たのは、あの子と切ない関係にある時にデートの延長上で歩いてきた時だった。でも、その時の記憶とはかなり違った感じだったな。
平和祈念像は、若返っていた。
色があまりに生き生きとしているので、「あなた誰?」と言われているような気になった。それはそれで、実は少し嬉しい。30年来なかった俺を知らない誰かが平和を祈り続けていただろうと確認出来たからだ。
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最後に、平和公園にも一緒に行ったあの子とデートして、それを話した悪友たちに散々ネタにされた喫茶店に行ってみたら嬉しいことに健在だった。残念ながら夜の部はお休みで入れなかったが、営業していてくれただけで本当に嬉しい。
嬉しいついでに、その向かいにある本屋さんも健在で嬉しかった。
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人は歳をとる。
街も年月を経る。
世に変わらないものはないのだが
変わる前を思い出させてくれるものがあると
人は
たぶん
もう一度変わる勇気を持てるような気がする。
変わらないで存在し続けるためには
変わり続けなければならないのだから。