ワンチームの本義

研究者や教育者をやっていく上でチームスポーツ、特にラグビーをやっていてよかったと思うのは、身体で凄い奴を体験し嫉妬よりリスペクトを感じる感性を養えたことだ。そしてそんな凄い奴でもこちらが乾坤一擲で狙いすましたタックルで倒す事も出来ると知ったことだ。

この二つを知っていれば、端的に研究教育に萎える事はない。自分との差を見せつけられてもどこか別な所で倒せるのではないかと考える事も出来るし、それを教育で教え子に伝える事も出来る。さらに、自分のやるべき役割は何かをあきらめの形ではなく自己実現の形で探求する事が出来る。

ラグビーでは個人が全て一人でやるのではなく分業してそれぞれがそれぞれに求められる役割を果たす事がチームという集団の勝利につながる。だから自分のやりたいことの最優先課題がもしチームの勝利であるならば、必ずしも自分がやりたいおとではなくても、そのチームの中で自分がやるべき事をやる。

それはチームのために自分を犠牲にするというより自分の能力を最大限生かしてチームを自分が勝たせるという意識に基づいている。したがってこれは自己犠牲の形をとったしても、本人にとって実質的に自己実現である。自分がやりたいことでないかもしれないが自分にしか出来ない事をやりきるという形だからだ。私は経験ないが、自分がやりたいことをやって、自分だけが満足感に浸っている時に周りの人達が疲れ果てて憔悴し切っていたらどう思うのだろうか。それでもやってよかったと思える自信は、私にはない。

もちろん、その逆もある。
チームからは特段求められていないことでも、自分がやり通すことでチームのためになることもある。
その見極めは難しい。

例えば、私は研究ではサブカルチャーと印度哲学や仏教の思想の関係を探求するという一風変わったことをやっている。これは後者に当たるだろう。それをなぜやるかと言えば、たぶん他の人はやらないだろうし、やろうと思っても難しいと思うからである。でもそれは印度学仏教学会に、ひいては日本の哲学思想学会というチームに役立つと思うからである。

自分がやりたい事で輝きたい。
その気持ちはポジティブな人生を送りたいなら一生持ち続けるべきだ。
だが、輝き方を通り一遍に考えるべきでないと思う。
自分にしか出来ない事で、輝くことも自分がやりたい事で輝く事の一つのヴァージョンと思えればいい。

https://www.youtube.com/watch?v=2gLBqa3hmNY

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