2023/09/17 スリル・ミー 尾上×廣瀬ペア 感想考察などの備忘録

まえがき(記事を書くに至った経緯)

 先日、2年ぶりに、人生2回目となるスリル・ミーを観に行くことができました。
 2023/9/17の尾上×廣瀬ペアの回と、2023/9/20の松岡×山崎ペアの回を観劇してからこちら、あまりにその体験が自分にとって大きく、他のことが手につかない状態へと陥ってしまい、その時生じた感情だとか、思ったこと考えたことだとかが、熱を持っていつまでも脳内や胸の内をぐるぐると廻り続けているため、また、この時思ったことをどこかに大事に置いておくことで、他の方々の感想を漁った後でもまたなんとか自分が感じたことを思い出せるようにしたいと思ったため、今回この場に纏めて出力させて貰おうと思いました。
 ここにアウトプットすることで頭を空っぽにして、いったんまっさらな気持ちで他の人の感想やその人なりの答えを早く浴びたいという気持ちが強いです。

前提

 今更ではありますが、字数省略のため、ペア表記時敬称を省略させて頂いております。また、以降の文中表記につきまして、私=尾上さん演じる「私」の事であり、「今この記事を書いている私自身」を文中に出す場合は「自分」とします。 
 初スリル・ミーは2021年の松岡×山崎ペアで、2023/9/17の尾上×廣瀬ペアが2回目、2023/9/20の松岡×山崎ペアが3回目です。
 この記事は、2023/9/20 尾上×廣瀬ペアの感想ですが、後日別ペアを観劇したり、2014年尾上×柿澤ペアの音源CDを狂ったように聴きこんだりした人間が今、観劇当時のメモを見返しながら書いている文章であることご了承ください。 
 あくまで2023/09/17の尾上×廣瀬ペア回を見た、自分個人が感じた感想であることご留意ください。普通に的外れなこと言いまくってると思います。お許しください。 
 また、今更ですがネタバレしかないです。ご注意ください。

劇全体の終わった直後の感想

 本当に今回、このペアのスリル・ミーを観ることができて良かったと思いました。面白い、最高、また観たい、素晴らしいといった感動と、物語中で起こった事件に対するどうしようもないやるせなさ、怒り、恐怖、吐き気を同時に催せる素晴らしい観劇体験でした。 
 自分は、見た人を様々な感情の渦へと叩き込んでくれる作品が本当に大好きなので、脚本、演出、役者さん、照明、音楽などすべての要素でそれを成してくれるこの作品のことが改めて大好きになりました。本当に凄く得難い濃密な時間でした。 
 スリル・ミーは演じるペアによって物語が違うものに見えるらしいというのは、インタビューであったり、SNS上の口コミであったりで伺っていて、それを特に楽しみに、今回尾上×廣瀬ペアの回をご縁もあって取らせて戴いたのですが、自分がなんとなしに想像していた以上に、以前見たお話とは全く違う解釈、演技、表現が為されていて、スリル・ミーの沼に全身浸かってしまったのが今という感じです。

この回の尾上×廣瀬ペアについての第一印象

 まず、あまりにも受けた印象が、以前観た同作品別ペアのものと違い、呆然としました。そして、帰路につきながら、「愛ってなんだろう?」と、この物語や2人のことをひたすら悶々と、考え続けた、そんな観劇体験でした。
 スリル・ミーは、大変叙情的な作品だと常々思っているのですが、このとき自分が見たこのペアの話に関しては、叙事的な側面(実際に起こった残虐な事件の記録)が強く押し出されていたように感じました。このように感じたのは、特に、廣瀬さんの演じる彼から受けた印象が強かったのかなと思います。

この回で見た廣瀬さん演じる彼について

 廣瀬さんの演じる彼からは、「ああ、彼はたしかにあの事件を起こした彼なんだろう」という印象を受けました。無機質感というか、凍てつくような冷たさがあり、「超人になりたい若者」というより、「超人として完成しきった何者か」、言ってしまえば、「人でない何か」に見え、特に劇中前半は、彼のことが本当に心から恐ろしかったです。
 また、彼の弟や父に対しての感情についても、現在進行系で激しい感情や癒えない傷を持ちつづけてるというよりは、「たまにその疵を自在に取り出してみせては、私との交渉材料として淡々と、その昔たしかにあった激情も含めて使っている」かのように見え、まさに「ひとでなし」な印象を持ちました。
 私にかける声も交わりもすごく冷え切っていて、瞬きも極度に少なく、セルロイドの人形かのような無機質さを印象づけながら時に突然大きな物音を立てたり大声を出したりと不安定で、酷く暴力的に感じました。
 外見や所作が非常に美しく格好良くてまさに理想的な彼といった姿形から、突如歪に出力される内面とのアンバランスさは、常に観るものへ緊張感を与えていて、目が離せないながら目を背けることも怖いと感じさせました。 この緊張感を尾上さん演じる私は常日頃一身に受けていたのだろうかと思うと、「愛ってなんだろうか」と少し気が遠くなりました。
 また、彼について、特に印象に残ったのが『スポーツカー(Roadster)』の彼です。ようやく見れた私以外に見せる嘲笑でない彼の笑顔なのにやはり人間味の感じられない無機質さで、廣瀬さんの抜群のスタイルを包む真っ黒な衣装や今まで見たことないくらい非常に効果的な照明も相まって、彼が本物の死神かのように見えました。今後、死神をイメージする時は一生この時の彼をイメージするだろうというような、そして思わず悲鳴をあげそうなくらい恐ろしい死神がまさにそこに居ました。劇を見てて、そしてホラー映画とかのびっくりシーンとかを除いて、今まで人生で創作物を見てきた中で一番恐怖を感じたシーンでした。しばらく更新されることはないと思います。
 誘拐された子供は、スポーツカーに興味があったり完璧な彼と過ごす時間に憧れて彼についていってしまったのではなく、死神に魅入られたかのように、ハーメルンの笛吹き男に連れていかれてしまったかのように、なにか抗えないものがあってついていってしまったのかなと、そんな荒唐無稽なことを考えさせ、そうに違いないとこちらが勝手に納得してしまうような説得力がある非常に印象的な姿でした。一方で今まで私に対しての声とは異なる優しい声で歌ってらして、そこのギャップもまた非常に魅力的でした。たしかに誘拐されていく子供がそこにいるように感じさせ、子供が連れていかれてライトが消えて舞台が赤く染まる様をただ見ているしかなかった己への怒り、無力感と、息をひそめ死神に見つからないようにしなければという圧倒的な恐怖に飲みこまれました。ただただ凄かったです。
 そんな彼が、人を殺し、それが世間にバレ、私と言い争い、留置所へ拘束され、と劇が後半へ進むにつれて、どんどんどんどん鉄面皮のようなもの、超人然としたところが剥げていく様は、今まで見ていた完成された超人または人ならざる何かがただの人へと堕ちていくようで、非常に見応えがありました。
 小屋に火をつけ、金品を盗み、人を殺す計画をし、子供を拐うといった一連の各シーンでは、彼に人間らしさというものがまるっきり感じられなかったのですが、決定的な犯行である殺人を起こした後の場面から廣瀬さん演じる彼の表現が一気に変わったように見え、劇中の一連の流れの演じ分けに心から感動しました。
 劇を見終えて、彼の徹底的な冷たさや無機質さ、『スポーツカー(Roadster)』や『僕と組んで(Keep Your Deal With Me)』での演技を思うと、廣瀬さんはあえて、彼を「同情の余地のない殺人者・犯罪者」として演じたように個人的には強く感じました。
 まだこの時、スリル・ミーの観劇が2回目だったからかもしれませんが、このような彼は、スリル・ミーの中でもなかなか異質なのでは?と自分が見た感想とそのあとのSNS上のTLの評判から感じ、改めて、廣瀬さんの演じる彼を見れてよかったなと思いました。

この回で見た尾上さん演じる私について

 そもそも、今回スリル・ミーを観劇したきっかけは、「尾上さんが演じる私を見てみたい」というものでした。ドラマ「ミステリと言う勿れ」の池本さんや「モアナと伝説の海」のマウイ演じる尾上さんの表現力の溢れる表情や動き、声の演技がとても好きで、そんな尾上さんが演じるスリル・ミーの私はどんな感じなんだろうと思って観劇させていただくに至りました。
 尾上さんの私は、劇を通して非常に表情豊かで普通っぽくて可愛らしさを感じさせる私で、廣瀬さん演じる彼と対照的でした。ただし、この表情豊かさ、普通っぽさ、可愛らしさは、劇前半の彼に翻弄されているように見えるシーンの間だけでなく、人を殺した後も、眼鏡を落とした後も、留置所の中、そして彼に対し『九十九年(Life Plus Ninety-Nine Years)』を歌いあげる間も続き、劇を見終えて振り返ってみると、彼の精神はずっと安定していてただただ一定だったように感じられ、それが本当に悍ましくて恐怖を感じました。見たかったもの以上のものがみれて、本当に最高でした。
 小屋に火をつけるシーンの灯油をぶちまけたときも、人を殺した後も、眼鏡を落としたことが分かった後も、都度動揺したような声色、表情ではあったと思います。ですが、灯油をかける手つきやその対象を見る目つきはしっかりしていたし、事件が次々報道されていく時の動揺も、新聞を大きく震えながらぐしゃぐしゃに掴む彼に対してかなり平静であったように見え、警察へ招集し眼鏡のことを話しに行った後の彼に対する「褒めてくれる?」の声と表情は、ご褒美を待つ無邪気な子供のように嬉しそうで、それらが効いて、劇が進むにつれてじわじわと、実は恐ろしいものを見ていたのだと気づかされるような悍ましさを感じました。
 また、感情豊かでどこまでも冷たい彼に服従する一方で、小屋を燃やした時も、泥棒した後も、誘拐殺人を計画する際も、殺人を犯した後も、うまく表現できないのですが、どこか私からは、諦めというか冷めているというか、賢さのようなものを感じました。裏表とか二面性というよりは、「感情の豊かさ、情の深さ、激しさ」と「虎視眈々と状況を把握したり、悍ましい計画を完璧に遂行したりできる冷静さ、精神的な安定感」が常に同居していて両方とも間違いなく私なのだろうというように見えました。自分が展開を既に知ってたからかもしれませんが、この私は間違いなくわざと眼鏡を落としたように見えました。
 「起こした事件に対する精神の揺らぎ、恐怖、感情の大きさ」が、彼は劇中の展開、時間経過に比例してどんどん大きくなっていったように見えたのに対して、私は常に傾き=0な一定だったように見えて、それが一層私への得体の知れなさ、恐ろしさをこちらに感じさせていてもうずっと劇中も観劇後も恐怖に震えてました。
 一方で、私の、彼に対しての感情は非常に激しいものに見え、特に、『スリル・ミー(Thrill Me)』で僕の契約もちゃんと履行しろと彼に強請るシーンは、色気だとか愛して欲しくて仕方ないという情念がダダ漏れで、優しくて甘やかな歌声も相まって噎せ返るような濃さで非常に見応えがありました。
 また、供述が終わり、裁判官に彼についてどう思っているか聞かれ、思いがあふれてしまったように顔を抑えて咽び泣く姿は、感じていた恐怖や悍ましさを完全に忘れてしまうくらい可愛らしくてこちらの胸を打ち、彼が獄中で死んでしまったことが本当に辛く悲しかったんだなとか、彼のことを今でも強く愛しているんだなと感じられました。
 同時に、私は多分彼と出会ったことや事件を起こしてしまったこと自体は後悔してないのだろうと思わせられ、この回のこの私と彼に関しては、この事件は起こるべくして起こってしまったものなんだろうだと思えてしまい、やるせなさだとか、怒り、恐怖、吐き気といったものを感じました。個人的にはこの劇を見てそのような感想を持てることは正常だと思いつつも、それをここまで強く感じながら観劇を終えることができるのはなかなか得難いことなんじゃないかなと思ったので、とても素晴らしい観劇体験ができたなと改めて今思います。 

この回の私と彼の物語について

 実在の許されない凶悪犯罪事件をモデルにした作品である以上、あまり神聖視するような表現は良くないかなと思って、少し続く言葉を書くのは躊躇ったんですが、自分には、このペアによって演じられた一連の話が、神を地に落とす神話か寓話のように見えました。 
 私と彼、2人ともが天才であることは揺るぎませんし、この事件において掌で転がしていたのは間違いなく私だったと思うのですが、それまで常に上の立場にいたのはやはり彼で、彼を天から私のもとへ、超人(ニーチェのいう超人とは絶対違う別ものだとは思うのですが便宜上)から人へと落とすために起こした壮大な計画だったように感じました。
 無機質で超人として完成された彼と、彼に服従し愛を一身に向ける無邪気な私の立場(狭義というか便宜上の超人とただの人)が逆転する様は、私がまるで『スポーツカー(Roadster)』のシーンで見せた死神のような彼を超克する英雄かなにかのようにも見せ、ヒロイックなもの、カタルシスを感じさせるようなものを見ていたかのように感じさせました。同時に、ここまでの一連の彼ら二人で起こした一連の事件の陰惨さ、身勝手さや、私が彼に罠を淡々とじっくりと計画的にかける悍ましい姿が心に強く焼き付いていて、英雄然と彼に勝利を突き付けて歌う私を見ながら情動がめちゃめちゃに狂い、すごく吐き気がしました。本当に見るに堪えない素晴らしく悍ましいものを見たなと思いました。

フィナーレでの彼と私を見て

 前述のように感じながら、私の語る「私と彼の話」を観、私と審理官たちとのやり取りを情緒狂わせながらも落ち着いて観ていたのですが、最後の最後、私が釈放され、彼の写真を手にし、彼が白い眩しい光の中現れこちらへ語り掛けた瞬間、非常に混乱してしまいました。写真を見つめる私に「レイ」と呼びかけた彼の声が、今まで見てきたものをすべて覆すかというくらいあまりにも軽やかで、間違いなく私を見据えて投げかけたことを確信してしまうくらいに優しかったからです。
 「この優しい声を私は現実では一度も貰ったことがなくて、彼が死に私が自由になってから初めてようやく欲しかった彼を空想の中に手に入れたのか」、「実は今まで劇中で見ていた彼は私以外が当時見ていた彼の姿で、私自身は終始この優しく語りかけていた彼が見えていてそれが今私たちに共有されたのか」、「それともこの優しく私に語り掛ける彼の姿は過去に間違いなく存在していて、私はただそれをひたすら取り戻そうとした話だったのか」、「そもそももしかしたら、劇中の過去の描写は全て私の供述であって、最後の彼の発した「レイ」の声だけが本当で、彼はもっと人間味のある優しい人だったのかもしれなくて、劇中に見た彼は、供述から審理官がイメージした、人間性が極限までそぎ落とされた彼なのか」。
 といった風に、彼の最後の一声を聞いて、物語の語り部である私のことが何も信じられなくなっていろんな取り留めのない妄想が頭の中を渦巻きパニックになりました。多分演じられた方々からしたらしてやったりというやつなんだろうなと思います。まじで今でも何もわからなくて頭を抱えていて、答え合わせをしたくてたまらないのですが、このペアの他の回を見たとしてもきっと、この回の真実は得られないと思うので、一生答えは得られないのかとだいぶ絶望しています。
 この二人の関係が何だったのかを知ってるのはまさに私ただひとりで、全てが私の掌の上であることを思うと、本当にこの私は恐ろしい人物だなと思います。

私と彼の関係について

 フィナーレで示された語り部としての私が信頼できるかという点を脇に置いた上で劇中の私と彼の関係を振り返ってみると、劇中の時間軸において、彼が私を愛しているようには自分には最後まで見えませんでした。それどころか彼はただ私を利用・搾取しているかのようにさえ見えました。一方で、私は彼の要求に付き従っていたし彼のことを求めてもいましたが、それと同時に常にどこか冷静さ・落ち着きのようなものがあって、うまく言えないのですが、自分が想像する恋人や友人に向ける愛とはなにか違うのではないかみたいにも思えて、考えれば考えるほどこの二人の関係って何だったのだろうと思います。例えば、DVの加害者と被害者のような搾取する側・される側の関係というにしては、私は彼に対して怯えていたようにも見えず自ずから彼に従うことを選んでいたようにも見えましたし、狂信的な教祖と信者の関係というにしては、私は常に冷静だった様にも見えて、やっぱりこの二人の関係って何だったんだろう、そもそも愛って何だっけか…?と悶々とひたすら考えてしまいます。言葉を選ばずに言うと、「私は彼のどこが好きだったんだろう?」と言うことが分からず、ずっと悩んでます。カリスマ性?こっちを全く見ないとこが逆に良い的な?ルックス?また、そういう部分をさておいても、彼の凶行を止めるどころか協力し、彼と一緒に一生牢獄にとらわれることを選んだ動機となるほどの強い情がどうしても自分には見つけられず、「愛ってなんだろう」という煩悶から今でも抜け出せずにいる状態です。なんだか、この回のこの私と彼については、お互いを見ていた時間は一秒も無くて、お互いにお互いの立場や能力、役割を必要としていて、お互い自身は必要としていなかったのかなみたいな、そういう寂しさを感じました。お互いに対しての親愛の情とか友情、信頼といったようなものは無く、特に私が警察に自白しに行く前の公園での言い争いや、『俺と組んで(Keep Your Deal With Me)』でのやり取りは、お互いに相手を食らい合っていたかのようにさえ見えました。ここまで好き勝手なことを奔放に書いておいてなんですが、正直、観劇して日が経ってこの記事を書いてるのもあったり、自分が視力が悪くて注意力散漫なせいで劇中表現されていたのにそれを物理的または意識的に取りこぼしてしまったりしてこの感想になってしまったような気がとてもします。ですが、個人的にはそのように思いました。
 そういった感想をもって、この回の尾上さん私と廣瀬さん彼の物語は、愛の物語と言うよりは、どうしようもない徹頭徹尾恐ろしい事件があったということを、事実として淡々と、同時に悍ましさ、冷たさ、強い情念をもってこちらに叩きつけるようなものだったように思いました。
 こんなにもいろいろなことを考えたり、強い情動が沸き上がる観劇体験は本当にめったにないと思います。改めて素晴らしいものを見たと心から思います。本当にこの劇を観れてよかったです。どうにかまたもう一度このペアのスリル・ミーを観なければと強く思っています。

あとがき(記事自体の反省など)

 こんなはず(ここまで文字数が伸びる予定)じゃなかったので驚きました。次回はさらっと書こうと思います。
 取り留めのない非常に長い文章をここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。

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