次女の手術の日。前日まで体調不良だった長女が気づかせてくれたこと
2024年7月18日 手術の日
手術当日は、朝8時に両親揃って病院にいなければならなかったが、この日は帰りも遅くなる為、病み上がりの長女にはできるだけ負担をかけないよう、夫1人で先に病院へ行ってもらうことにした。
1週間の体調不良からなんとか回復した長女を保育園に送り、急いで病院へ向かう。
1人になったら涙が溢れてきそうだった。
長女が体調を崩していたのは、
私に1人の時間を与えないためだったのかと思った。
思えば、母が亡くなった日もそうだった。
3年前。
母は肺ガンを患い緩和ケア病棟に入院していた。
当時3ヶ月だった長女はその日、
22時を過ぎてもニコニコと起きていた。
入浴中の父の携帯が鳴り、嫌な予感がした。
病院へかけ直した20分後、
長女を抱っこ紐にいれ父と妹と病院へ向かった。
道中、長女は私の胸のなかでずっと起きていた。
病院に着いても。
足早に廊下を歩いているときも。
そして母の病室の扉を開けた途端、長女は眠った。
私達が母に会うまで、
ずっと一緒にいてくれたんだと思った。
あの日も、そして今日までの1週間も
長女は私のためにそばにいてくれたんだ。
母が体調を崩しあっという間に亡くなってしまった半年の間に長女は生まれ、母を亡くした哀しみに深くもぐり込んでしまいそうな私に、
そんな隙も与えないよう初めての子育てに奮闘させてくれたのだ。
当時は、3時間置きに夜泣きをし、
昼間も置くと泣き出す『The 赤ちゃん』を目の前にして、そんな風に思う余裕など
コレっぽっちもなかったが。
そんなことを思いながら、
50分間車を走らせ病院に着いた。
「10時◯分に執刀しました」
看護師さんが家族控室に伝えに来てくれた。
夫と交代で食堂で休憩をとりながら待った。
心配していた気管の管は、無事に通って手術が進んでいるようだった。
もし通らなければ今日の手術は中断され、
別のアプローチや処置を考えなければいけないから。
よかった…
そして14時15分ごろ
再び看護師さんが入ってきた。
何かあったのかと私は固まってしまったが、
「無事に終わってICUへ戻ってきました。
間もなく面会していただけます。」
あ〜
よかった〜!!!
当初は夕方までかかると説明されていたので、
すべて順調にいったんだと思った。
あ〜本当によかった!!!
ICUでの1週間ぶりの次女との再会は、
大手術をやってのけたとは思えないほど
スヤスヤと眠っていて
色々な管で繋がれてはいるけれど
いつも通りの寝顔の次女だった。
本当によく頑張ったね
この言葉しか出てこなかった
本当に強い子だと思った
執刀医の先生のお話はすべて順調に進んだとのこと。
気管の管も、実際は問題なかったと言われた。
あとは、本人が麻酔から目を覚ましてから、
脳への後遺症の有無や影響を確認するとのことだった。
術後の管理やケア、回復にとって大事な時なので
面会は数分間でこの日は帰ることになった。
予定より早めに長女を迎えに行って帰宅。
手術の成功が何よりも嬉しくて
夜布団に入ってからも、
今後次女とどんな所に行けるだろう
どんな思い出をつくれるだろう
とグルグル考えていた。