エネルギー問題(発電と環境破壊)
人類学の本を読んでいると、人類は狩猟採集の時代からすでに環境破壊と向き合っていたことがわかります。狩猟採集民には食のタブーがよくあり、妻の出産と子育てに合わせて夫は特定の動物を食べてはいけなかったりします。また、特定の獲物は、老人しか食べてはいけなかったりもします。これは、捕まえやすかったり、食べやすかったりする獲物の個体数を減らしすぎないための工夫だろうと考えます。人類が狩猟採生活を送っていた時点でも、マンモスの滅亡や南アメリカの大型ナマケモノなどの滅亡には人類による狩猟が関係しているだろうと考えられています。狩猟採集の時代、人類は今よりずっと数が少なく、たとえば日本列島全体で数万人程度でしたが、それでも環境破壊をおこし、特定の種を絶滅させるほどの影響力があります。
昔のトンガでは、王家だけがハトの狩猟を許され、この禁を破った者はサメの泳ぐ海に投げ込まれて命で償うことになったほど、人類の身近な環境内で生物種を存続させるのは大変なことでした。
森に目を移しましょう。日本では農業が開始され、人口が増えるにつれて森林の破壊が進み、はげ山が増し、森林保護が重要な課題になりました。近年のことではなく、もののけ姫に描かれたような古い時代にあってもすでにそうなのです。そうして、伐採と流通の規制、植林による森林再生の促進など森林保護政策により、荒廃していた日本の森がなんとか 存続されたのです。日本は雨が多く、太陽光も比較的強く、急峻な地形や、鎮守の杜が守られるなどの好条件がそろっていましたが、それでも、枝一本首ひとつと言われるほど、厳しく保護したり、積極的に造林を繰り替えさなければ、文明生活と森の保護を両立できませんでした。
さて、ようやくエネルギー問題です。
私が子どもだった頃は、火力発電が大気汚染の原因として悪者にされており、水力発電は発電量に限界があるので、波力、風力、太陽光、地熱などの恒久的なエネルギー源を持ちいた発電や、原子力の平和利用としての原子力発電が、将来の発電方法として期待されていたと記憶しています。
私自身も、山に囲まれた田舎に育ち、大人たちから、昔は魚がうじゃうじゃいたという話などを聞いて、この先環境保護の意識が高まり、またそんな世界に戻ればいいなと考えていましたから、発電方法にも関心を持ちながら暮らしてきました。
少し余分な話になりますが、実際には誰もが国を大切にする心と、いろいろな民族が仲良く暮らしていける地球を大切にする心の両方を持っていると思います。つまり右翼でも左翼でもあるのだと思います。しかし、なぜだか右翼か左翼かに分かれるよう習慣づけられているようです。この分類に従えば、左翼が反原発、右翼が原発推進となるようです。そして政治的立場に基づいて原発について考えさせられることになるようです。それは、左翼にも右翼にもマイナスのイメージが植え付けてあり、自分が右翼的だと考えれば、左翼の押す反原発になど賛成できるはずがないということになるからでしょう。しかし、そうした先入観を捨てて考えてみれば、原子力発電には、ほとんど未来がないと私は考えています。燃料となる資源の埋蔵量が乏しく、放射能に汚染された施設の解体や使用済み燃料の処分や保管に膨大なコストがかかるためまったく間尺に合わないからです。
では、他の方法はよいかというと、あらゆる発電方法は、大規模に発電しようとすると、環境に壊滅的な影響を与えてしまうと考えます。太陽光発電はパネルの劣化が早く、発電量がすぐに低下して、大量の廃棄物を出すことになります。水力発電は川をせき止めることにより魚の行き来を阻害してしまいます。アユ、ウナギ、サクラマスなど昔と比べて減ったのは水力発電の影響でしょう。風力発電は風車の出す音が騒音となり、暴風によって破損したり、倒れたりしますし、わたり鳥にも影響を与えます。とても大規模化できるようなものではありません。波力発電も昔から研究されていながら大規模な実用化が行われていないところを見ると発電の安定性や、漁業・海運への影響、嵐や津波への対応といった点で問題があるのでしょう。地熱発電はそもそも補助的な利用しか想定できない規模のものでしょう。一時はもてはやされたバイオ燃料も、やはり森林破壊の元凶として、また、食糧生産との兼ね合いにより、問題視されるようになりました。さらに、どのような発電方法にせよ、地球規模で影響を与えるほどの規模にまで拡張することは決してできません。その点では、おそらく現時点で限界に来ているか、すでに限界を超えてしまっているのではないでしょうか。
まとめましょう。狩猟採集の時代には、わずかな人数が暮らすだけでも食物に制限を加えなければ資源を保護できませんでした。農耕が問題を解決したように見えて、農耕に基づいて発展した文明社会は森を壊し、人工林を増やすことになりました。そこに発電が加わりました。人類はさまざまな発電方法を工夫して来ましたが、一時はすすめていた脱原発の動きを止めて、原発に頼らざるを得ないほど、限界に近くなっているようです。
改めて農業について考えてみると、農業は、本来であれば多種多様な動植物の生息地になっていた場所を切り開いて、わずかな種類の作物を育てるために利用する営みです。農地が広がることにより、狩猟採集時代よりもさらに多くの生き物が住処をなくし、絶滅していきました。
そうした農耕社会の基礎のうえで、人類は電気エネルギーの利用にまで到達しました。そのためにさまざまな発電方法が考案されましたが、どの方法も大規模な環境破壊を伴い、生き物の住処を奪っていっています。(さらに悪いことには、電気エネルギーの能力から最大限に利益を得ているのはおそらく支配層です。コンピューターがこれまでにない状況を文明社会に生み出してしまいました。)
これまでの人類史の延長線上を進むのであれば、人類は地球環境の人工化をさらに進めるでしょう。1人あたりの消費電力も増えていくことになるでしょう。その一方で総発電量は増やせないでしょうから、人口を減らしていくことが必要になるでしょう。それに加え、大衆は各地につくられたスマートシティに閉じ込められて、そこから出ることを厳しく制限されるような状況になるかもしれません。
とりとめのない内容になり、結論など出すことはできませんが、今回はここまでとさせていただきます。
ご支援いただけましたらありがたく存じます。
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