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春の海 終日のたり のたりかな 与謝蕪村

(Youtube動画 ずんだもん読み上げ台本です)
https://www.youtube.com/watch?v=IQLeTsqo2jg

こんにちは、ずんだもんなのだ。

与謝蕪村は、江戸時代中期(1716年~1784年)の俳人、文人画家なのだ。
この句は、蕪村の出身地、京都府北部に位置する与謝野町の海を詠んだといわれているのだ、

与謝野町は、若狭湾の奥、宮津湾から天橋立を隔てた阿蘇海に面した町なのだ。だからこの句にうたわれた海は、波の穏やかな湖のような海が、春になってさらに穏やかな状態になったときの海なのかもしれないのだ。地図で見ると、与謝野町の阿蘇海に面した土地は、平坦な場所が広がっているのだ。だから、高い場所から見下ろした海というよりも、水面に近い低い場所から眺めた海だと思うのだ。そのせいで、よけいに、のたりとした動きが感じられたと思えるのだ。

「ひねもす」というのは、古語では「ひめもす」というのだ。一晩中という意味の「夜もすがら」の対語としての「日の目もすがら」からきているらしいのだ。別に「日経(ひへ)も すがら」、つまり「日が空を通っていく(経る)間ずっと」から転じた言葉という説もあるのだ。
 
「のたり」というのは、「ゆったりとしているさま。ゆっくりと動くさま」をいうのだ。オノマトペ(擬態語)でもあるのだ。ちなみに、日本語と韓国語は動詞の少なさを補う形でオノマトペが発達している言語なのだ。

ずんだもんは一度だけ天橋立に行ったことがあるのだ。季節は忘れたけれど、春か秋の頃だと思うのだ。桟橋のような場所から海を覗くと、浅い岸辺に小魚がたくさん泳いでいるのが見えたことを覚えているのだ。

このあたりでは、江戸時代に、2月から5月にかけて地引網でイワシをとり、肥料にしていたのだ。蕪村が見ていた海にも、網を沈めに沖に行く船や、浜で網を引く人たちがいたかもしれないのだ。

ちなみに、同じ若狭湾に面した福井県には、鳥浜貝塚という有名な縄文遺跡があるのだ。もちろん与謝野町にも縄文遺跡があるのだ。狩猟採取生活を送っていた縄文人が定住して土器を作ったりできたのは、舟を使い、こうした穏やかな海からの恵みを得ることができたからなのだと思うのだ。縄文の頃から1万年以上にわたって、穏やかな春の海が、この地の人たちに恵みを与えてくれていたということなのだ。

今回の動画はここまで。次回またお会いしましょうなのだ。

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