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お前、まだ自分が死なないとでも思っているのかね?

有名な幽遊白書での戸愚呂(弟)のセリフ。

私の夢は、うちの体たらくな社員どもにこれを面と向かって言い放つことである。

だが、もちろんそんなことは言えるはずもないし、言ったところで多くの場合で死ぬことはない。


日本の企業は基本的にメンバーシップ型雇用である。

よって、仕事をしない・できない者であっても、配置換えにより窓際ポストに異動させたり、上司・同僚が成果を挙げない彼らの代わりに仕事を処理することで、組織としては大事には至らないように調整する。

本当はクビにすることは可能であるが、そのためのステップは非常に手間の
かかるものである。

また解雇となった社員から訴訟を起こさることもあり、最悪の場合、多額の賠償金が発生することもある。

そのため、雇われの管理職が自分の代でそれを実行することはコスパが悪いと判断される場合が多く、仕事をしない彼らは放置されるのが一般的だ。


余談だが、仕事をしない人に多い共通点として、ジョブ型思考を持っている割合が高い。要は、自分の仕事と認識できるものにしか関わらないのだ。

これは非常に面白い現象で、彼らはジョブ型雇用であれば一瞬でクビになる程度の働きしかできないにも関わらず、何故か思考回路だけはジョブ型寄り(自分の仕事は自分の仕事)なのだ。

メンバーシップ型雇用だからこそ、会社組織に生かされていることにも気づかず、今日も彼らは堂々と自分のジョブ(実際は自分の仕事もやれてない)を黙々とこなすのだ。


話を戻そう。

彼らは自分が死なないと思っている。

努力も協調もしない自分を棚に上げ、あらゆることを周りのせいにする。

たいていは、それで事が足りる。周りが勝手に諦めてくれるからだ。

そして誰も本当のことを言ってくれなくなり、自分の行いが間違っていることに気づくことなく年を重ねていく。

そんな調子のままでも、定年退職まで逃げ切れれば、それはそれである種の勝ち組と言えなくもない。

だが、異動ガチャにより体たらくを許さない上司が彼らの上長となったとき、彼らは遂に梯子を外される。

社会的制裁という名の、特大霊丸を浴びるのだ。
つまり、クビか降格だ。


会社組織というものは、基本的に自身の責務を正しく全うできていれば、上長からの理不尽な要求があったとしても、対抗することができる。

だが、上長によって生殺与奪の全ての権を奪われている状態、つまりは組織人としての責務を主観ではなく客観的にみて果たせていない状態にある場合は、社会的には死ぬこともあるのだ。


もう一度言おう。

お前、まだ自分が死なないとでも思っているのかね?


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