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気分が落ち込んだときのメモ


ときどき、非常に気分が暗くなる事がある。この文章ではその状態をできるだけ表現してみたい。
まとまりのない文章かもしれないが許していただきたい。

私がここで言う「気分が暗い」とは、概ね「自分が属していると認識している場に本当にいてもいいのだろうか」という疑問が生じている状態である。
ただの疑問だけならおそらくここまで気持ちが落ち込むことはないのだと思う。つまり他の何かの意識も同時に存在している。

私が「自分が属している」と認識している場は、音MAD界隈(特にZ会)である。
普段はCMの登場人物に関する考察などを楽しく行っているが、突然、「私は本当にここにいて、他人と関わっていていいのだろうか」という意識が生まれる。
それはなにか特定の出来事により生まれたのではなく、少なくとも私の考え得る範囲では自然発生である。

私は頻度は低いが音MADやファンアートを発表する立場であるので、この危機感ともいえる感覚は「私は作品を作れないのにここにいていいんだろうか」という考えによるものではない。
自分の思い通りの作品を作れているかどうかは別として、とりあえず形にはなっている。
しかし、その「自分の思い通りの作品を作れているか」に関しては疑問があるのだろう。
私が作品を作るのは「MAD素材そのものが好き」という気持ちを他の人に伝えるためであると思っている。
しかしそれだけではなく、「自分の頭の中の世界観を他の人に知って欲しい」という意識も存在している。
「自分の持つ世界観を的確に表現できているか」という部分は私が音MADを作っていてぶつかる壁であろう。
私は文章ではなく視覚や聴覚に訴える形で他人に自分というものを伝えたいので、場合によってはその疑問が私の気分を変える事がある。
作品を作って発表することは他人と自分との会話というだけではなく、自分と自分との会話でもあると私は考えている。
作品がうまく作れないというのは、自分自身との会話がうまくいっていないとき。
故に、どれだけ他人が自分の技術や感性を褒めようが、きっとこの気分は変わらないのだろう。

しかしおそらくそれだけではない。ここからは文章で表す事がおそらく困難だが、できる限り書いてみたい。

よくあるたとえだが、もう一人の自分がいると想像すると説明が楽になる。
私が他者(範囲は問わず)に関わっているとき、もう一人の私が「おい、そこにいていいのかよ」と話しかけている気がしてしょうがなくなることがときどきある。
そこまでは認識できているのだが、さきほど自然発生と言ったように、残念ながらその原因は私自身ですらはっきりとは分からない。
原因がわからないということは、対処もできないということになる。そこが何より恐ろしいところだ。
よく人は「消えたい」と言うが、その感覚は私にとっては「最初からいなかったことになりたい」という方が適切だ。
しかし私は既に存在してしまっている。その上他人と関わってしまっている。
現実世界においてはここまで来てしまったら最初からいなかったことになるなど不可能である。
もし他人の中にあるものも含めて私の存在した痕跡を完全に消し去ることがこの世界で可能なのだとしたら、私は今からでも消えることを選ぶかもしれない。
しかし現実においては私の知る限りそのようなことは不可能である。つまり消える勇気は私にはないということになる。
そうであれば私はまだこの界隈に存在し続けなければならない---自分のために。

私が自分を客観的に見ようと試みた場合、表面的には私の意識は他者に関わる部分があるように見える。
しかし実際、客観的ではない視点から自分でじっくり考えてみると、自分の意思は驚くほど他人から離れている。
もちろん自分の作品を見たり聴いたりした人が「ここがよかったよ」みたいなことを言ってくれるのは嬉しい。嬉しくないはずがない。
私が言っているのは、私が考えている状態に関しての事である。

私の考えが他人の考えに左右されることはほとんどない。(全くないわけでもないと思うが)
さて、始めに提示した内容に戻るが、私の「私は本当にここにいて、他人と関わっていていいのだろうか」という感覚は実は他人の状態や反応は関係ない。
(もちろん他の人の場合は関係ある場合もあるかもしれない。)
仮に自分の作品に対する反応が薄くても、「まあ考え方も違うだろうから他人に何が刺さるかが私に分かるはずがない」だったり「とりあえず発表できて良かった」というぐらいにしか思わないので、別に落ち込む理由にはならない。
やはり私のネガティブな感情の発生の原因は他人にはない。
であるから、やはり自分で解決しなくてはならない。なのだが、先ほど言ったように私は自分の考えや状態を把握するのが下手である。
結局解決法が分からないままぐるぐる暗い気持ちだけが這い回る・・・
それをこんどは他人にうまく伝わるように音MADに取り入れようとするが、それもうまくいかない。
もしかするとこれはいわゆるスランプというものなのかもしれない。そうであれば何もせずにぼーっとしているしかない。
それ以外に思い浮かぶ対処法がない。

「もう一人の自分」の話に戻るが、落ち込んでいないときはそのもう一人の自分に勝つことができるだろう。
ということは「ここにいていいのか」という意識により落ち込んでいる状態は、もしかすると「ここにいていいのかわからない状態」と「落ち込んでいる状態」が別々のものなのかもしれない。
偶然この二つが重なることによって、「私はここにいていいのかという意識により落ち込んでいる状態」になっていると錯覚している可能性もある。
しかしそうだとしても、「ここにいていいのか分からない状態」が私にとって良くない事は変わらない。
ではその意識の原因はあるのだろうか?あったところで私はそれを認識することができるのだろうか?
「自然発生」と表現したのはあくまでも私の考えでしかなく、実際には原因が存在している可能性もある。
そして原因とは別に、対処はどうなるのだろうか?
冷たいことを言うが、どれだけ他人が私の存在を肯定しようとおそらく私の意識は変わらない。
やはり自分で自分が音MAD界隈にいることを肯定できるようにならなければならない。

私が認識しているのは、自分をそこに置くことに疑問はあれど、この界隈に存在すること自体はしていたいということだ。
一度関わってしまった以上は離れたくないのだ。
つまり私の辛さは「ここにいたいのに、ここにいてはいけない気がする」ところにあるということだ。
それを私は自分自身に対して情けないと思っているのだろう。
いつか対処できる時が来ればいいのだが・・・

長い文章を書いたが、これは映像で表せないなら文章で表現してみようという考えによるものである。
うまく表現できたかはわからないが、普段と違う媒体を使うという選択をしたのは進歩なのかもしれない。
答えこそ出ないが、自分の頭の中をうろつくものをここに書いたことは有意義であっただろう。

読んでくれてありがとうございました。

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