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気分が落ち込んだときのメモ2

前に「気分が落ち込んだときのメモ」という記事を投稿したが、今回はその記事の第二弾である。
ネガティブな内容の記事が続くが、何か書いて発表すればもしかすると他人に共感してもらえるかもしれないし、部分的にでも同じような気持ちの人の役に立つかも知れないので書かせていただく。

私にはいつの間にか気分が落ち込んでいる時がある。理由はあるような、ないようなといった感じであるが、「これが理由ではないか?」というものが浮かんだとしても「では気分が落ち込んでいないときに同じ事が起こったらどうだろうか?」と考えた場合、意外とそのときには気にならなそうだなと思うのである。

前の記事では「私のネガティブな感情の発生の原因は他人にはない」と書いたが、今落ち込んでいることに関しては他人の影響があると思う。
私は過去に一人の人物と一対一の会話の場で相手の発言により不快になったことが何度かある。
その人物は私を不快にさせていて、私がその都度気分を害したと伝えたにもかかわらず、私にやたらと話しかけてきた。
おそらく向こうは私と仲が良いという認識をしていたか、単純に手元に転がっているおもちゃで遊んでいる感覚だったか、もしくは私というおもちゃが物理的に近くにある状態を私との精神的な意味での距離が近いということだと勘違いしていたかだと思う。
もともとその人物と私が関わるきっかけを作ったのは私自身だったので自業自得とも言えるが。
さて、この話をわざわざここに書いたのには理由がある。こういうことがあってから、もしかして私も周りの人間からこの人物のように思われているのではないかという懸念が私の心のどこかに常に存在するようになったのだ。
常に存在とは言っても、その大きさは一定ではない。気分が落ち込むと、その不安も大きくなる。気分が落ち込み、そのあとで不安が大きくなり始めるという順序はおそらく逆になることはない。
自分ももしかするとこの人物のように他人との距離感を間違えているかもしれない、それによって相手を怒らせたりしているかもしれない。それによって相手の中での私の価値が下がっているかもしれない。

私は音MADを作り絵を描いている訳だが、実は自分が他人にとって「作品を発表する人」よりも発展した存在になりたいと思っている部分がある。もしかするとその考えは捨てなければいけないのかもしれない。
インターネットという場にドライでない相関を期待したことが間違っていたのかもしれない。だとしたら私は何処に行けばいいんだろう?
初めから音MADに関わらない方が幸せだったのかもしれない。今から時間を巻き戻せるならそうするかもしれない・・・
結局中途半端にあるよりはない方がマシということかな。やはり私のような存在が人と関わろうとしたことは愚かな間違いだったのだろう。ただ機械的に音MADを作り、絵を描く。それに何か他の属性を追加した形の存在に私はなってはいけなかった。そういうことだろう。
他人は私とは大いに違うので人と関わっても特に問題はないのだろうが。どうして初めから私が他者と関わってはいけない存在だと気付けなかったのだろうか?愚かである。愚かでない人間は私のように他者に近寄ったりしないか、近寄っても歓迎される。
はっきり「あなたの発言で不快になりました」と言われたことはないが、言わないだけできっと私と関わった全ての人物が「何だよコイツ邪魔だな」と思ったことがあるであろう。
私は涙が出るほど愚かなのだなと書いている途中さらに落ち込んだ。

とは言ったものの時間は巻き戻せないので私もやはり周りにいる人とは仲良くしていたい。おそらく私は自分で自分の人間関係を破壊しつつあるのだろうが、修復はできなくてもできる範囲でそれ以上悪化しないようにすることは恐らくできる。私が私自身が思っているより愚かでなければの話ではあるが。
しかし、私の距離の縮め方は不審ではないだろうか?迷惑ではないだろうか?相手を不快にさせてはいないだろうか?という疑問は常にある。
私が他の人のためになると思って発言した内容が、「あっそう、そんなのいちいち言わなくていいから」とか「なんだよ・・・不快になったじゃん」という風に思われていたらどうしようか・・・?
私にはまだ距離が近いことと仲が良いことの関連がわからない。なので尚更仲良くなろうと下手に近づいていないか心配である。
私は意図して他人を都合のいいbotのように扱ったことはないが、他人がどう思っているか分からないというのが人間関係の恐ろしいところである。
本当は自分の発言によって他人が不快になったことがあるかどうか事細かに本人に確認したいのだが、それもまた相手に手間をかけさせることになる。
つまり私には他人におびえながら祈ることしかできない・・・
おびえながらとは言ったが、別に周りの人物を許容していないというわけではない。私の方は。ただ向こうがどうかはわからないので、そこが怖いのである。

感情に任せた結果見苦しい文章になってしまったが、誰かの参考になればよいと思っている。

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