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自分が何かわからなくなったので①〜歴史から学ぶ自分論〜

自分がわからなくなったなんて、どうしたのだろう?と思うだろう。

私はどきどき、自分を見失う。
何かに行き詰まる時、考えで頭がパンクしそうな時、体が疲れすぎてる時、うまくいかない時、
「あれ?自分ってなんだっけ?本当は何がしたかったんだっけ?」と見失ってしまうのだ。

そうじゃない時は、
「あれやりたい!」
「これやりたい!」があるし、
積極的に学び、経験することができるのに。
そうゆうモチベーションや目標が、急に見えなくなり、『それは今の私にしっくりこない』、となってしまうのだ。

ちょうど最近、そのゾーンに入ってしまい、
モヤモヤしてきてしまった。

こうゆう時、いつもなら実用書を買い、
ハウツーを探そうとするのだが、今回の私は一味ちがう。 

私ぽっちの人間ならば

きっと私は、「自分だけがこの崇高な問題に悩んでいる」と思い込んで、「自分の中に答えがない〜」と苦しんでいる。
でも実際は、他人と同じような悩みで苦しんでいるのだ。

ということはだ、
どうせ、過去に同じ悩みをして、それを解決している人がいるのだ。
過去の学問、考え方から学べば、同じような悩みや、考えの変遷に出会えるかもしれない。
そう思って、私は哲学を学び直すことにした。

哲学との出会いを与えてくれた人物

私はある人物に感謝している。
その人はYouTubeのゲーム部門で成功し、さらに今はチャレンジのためにドバイに飛んだ。

その人が言うに、

目指すべき未来のロールモデルがないならば、
過去から学ぶしかない

この考え方にビビッときた。
私は現代の有名な人の中で、
『この人を目指したい!こんなふうになりたい!』と強く盲信できる人物がおらず、
それで自分を自分自身で探すことになったのだ。

この発言主は、『いぬたぬき』さんと言うのだが、
とても未来を見据えて突き進んでいる。
(マインクラフト界隈を知ってる人は、きっといぬたぬきさんを知っているだろう)
彼は、過去の社会の変遷を学ぶために、社会学等を勉強しているそうだ。そこから未来を作るヒントを得るらしい。

私も今あるロールモデルではなく、
過去のロールモデルを探し、
自分を見つけていこうと思う。


▷次回、哲学から得た気づき

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