後天性猫舌
50年弱生きてきて、最近、自分が猫舌であると気づいた。
気づいたきっかけは、数年前に知り合って、ときどきお茶する仲の友人が「猫舌」である聞いたこと。
友人は、コーヒーもお茶も、適度に冷めるまで飲まないことを徹底していた。私はそれを、
「猫舌の人は大変だなあ」
と思いながら、熱々のコーヒーをすすっていた。
あるとき、カフェで、買ったばかりの熱々のコーヒーに口を付けずに、SNSの返信に夢中になっていた。やりとりに区切りがついて、カップに口をつけた。コーヒーは少し冷めていて、ほどよくぬるく優しい温かさがとろりと口に流れこんできた。
なにこれ、すごく飲みやすい。
適度に冷まされたコーヒーカップは、持っても熱くない。
フーフーしながら恐る恐る口をつけて、思ったほど冷めてなくて「あっつ!」と叫んで、舌をやけどすることもない。
考えてみれば、そもそもなぜ私は熱々が至上だと思っていたのだろう。
もちろん、温かいものは温かいうちに、冷たいものは冷たいうちに食べるのはおいしさの基本だけれど、舌が焼けるような熱々を食べる必要はあったのだろうか。
温度によって料理や飲み物の風味が落ちることもあるのかもしれない。
でも、私は、「おめでたい味覚オンチ」なので、だいたい何を食べても飲んでもおいしい。だから、別に温度が多少変わってもおいしいには変わりない。
なのにどうして、毎回、口をやけどするかどうかのロシアンルーレットにおびえながら、熱いものを口に運んでいたのだろう。
それに何の意味があったのだろう。
もしかすると、本当に熱いものが平気な人は、熱々を飲んでもやけどなどしないのかもしれない。
だとすると、私も友人同様、猫舌に違いない。
以来、私も友人を真似て、熱々のものは、しばらく時間を置いたり、ぐるぐるスプーンでかきまぜたりして、適度に冷めるまでなるべく口に入れないように心がけている。
おかげで、口をやけどして2、3日辛い思いをすることも、熱いものを持って手がひりひりすることも、予想以上に熱いものが喉を通って、目を白黒させることもなくなった。
たまに冷ませすぎて、冷え冷えになる失敗もするけど、おおむね快調。
しかし、先ほど夫に
「最近、猫舌って分かったんだよ」
と、淹れ立てのコーヒーを冷ましながら言うと、
「それ、老化じゃないの? 年のせいで、うまく口のなかで飲み物を冷ませなくなっただけじゃない?」
と言われ、横で聞いていた娘からは、
「そうそう、熱いものを冷ましながら飲むには、舌をうまく使えないとダメだからね。ママの舌の筋力が衰えただけなんじゃない?」
などと言われた。
確かに、そう言われると否定はできない。筋力の老化はひしひしと感じている今日この頃。若いころは、熱いものを飲んでも全然平気だったような気がしないでもない。
私の猫舌は後天性だったのだろうか。
そんなことを考えながら、冷めたコーヒーをすすっている。