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人生の点~独りよがりレビュー「ある行旅死亡人の物語」

行旅死亡人という言葉をご存じだろうか。
「行旅病人及行旅死亡人取扱法」という法律に規定されていて、旅行中に亡くなったり、本人の名前や住所が分からなかったりして、遺体の引き取り手がいない人を指す言葉である。

行旅病人及行旅死亡人取扱法
第一条 
此ノ法律ニ於テ行旅病人ト称スルハ歩行ニ堪ヘサル行旅中ノ病人ニシテ療養ノ途ヲ有セス且救護者ナキ者ヲ謂ヒ行旅死亡人ト称スルハ行旅中死亡シ引取者ナキ者ヲ謂フ
 住所、居所若ハ氏名知レス且引取者ナキ死亡人ハ行旅死亡人ト看做ス

e-gov法令検索

私がこの言葉を知ったのは、数年前に読んだとあるネット記事。

金庫に現金3400万円、そして右手の指を失って孤独死身元不明
休日の朝、ベッドの中で記事のタイトルを見て、背中がひやりとした。
これは、一体どういうことだろう。事実なの? それとも小説の新刊の宣伝? 
興味本位で、リンクをクリックした。
それは、現実にあった話で、新聞記者の書いたノンフィクションだった。二人の新聞記者が、この身元不明の女性の親族を探すというものだった。

それから数年たって、この記事のことをすっかり忘れていたけど、最近、またこの事件に再会した。

それは「積ん読チャンネル」という、本を紹介するYouTube番組のある回。


パーソナリティ二人が、おすすめの本の内容を、雑談を交えながら面白く紹介してくれる。毎回配信を楽しみにしていて、夕食づくりのときのお供の一つとなっている。
その日も夕食を作りながら、この番組を、見るというより、流し聞きしていた。
行旅死亡人、現金3400万円、右手指が欠損、孤独死、身元不明……
どこかで聞いたことのあるフレーズだなと、しばし考えて、以前に読んだネット記事を思い出した。
当時ネット記事だったものが、書籍化されていて、それを紹介していたのだ。

調理の手を止め、画面に見入った。
事件のあらすじは、当時のネット記事と同じだった。でも、当時の記事より少し詳細に語られているように感じた。もしかすると、書籍版では、ネット記事のときより、事件の内容をより詳細に書いてあるのかもしれない。
残念ながら、このYouTube番組は、配信元のネット書店が販売する本を宣伝するのが目的の番組なので、当然、事件の真相が語られることはなかった。
果たして、彼女の身元は分かったのか。3400万円の出所はどこなのか。
気になる……
いてもたってもいられず、Amazonの購入ボタンを押した。

そして届いた当日、仕事から帰宅し、夕食と取った後、読み始めたら最後、ページをめくる手が止まらなくなった。数時間で一気に読み切ってしまった。いつもなら、読んでいる途中で昼間の疲れが出て、途中で必ず寝落ちするのに、この本に関しては、全く眠気が起きなかった。

やはり不思議な話だった。
女性の名前は「タナカチヅコ」さん。死亡時の推定年齢は70代。アパートに40年以上住んでいたのに、見かけた人がほとんどいない。もちろん交流もない。誰の記憶にも残っていないのだ。住んでいたアパートは同姓の男性名義で借りられているが、その男性を見た人は誰もいない。
そして、アパートの室内の金庫には現金3400万円。亡くなった彼女は右手の指がない。
遺産を整理するため、家庭裁判所から選任された弁護士も「20年以上弁護士をやってきて、こんな事案は初めてだ」と語った。
警察、裁判所、弁護士、探偵、国家権力や裏情報を駆使できる職種の人々がさじを投げた。
そんな彼女の身元調査を民間の若い新聞記者二人がやってのけたのである。

*ここからはややネタバレを含みます。

読んでいると、「ああ、これはもう迷路の行き止まりだな」と思う場面に、何回も出くわす。そのたび、また別のアプローチから新たな情報を見つけ出す。プリントされた写真の端の番号一つ、写真に写っている新聞社のロゴ一つから、撮影された年代を特定したりするのだ。過去の新聞記事、ブログ記事、登記簿、聞き込み、あらゆる角度から情報を掘り出してくる。そんじょそこらの探偵小説より痛快だ。

特定の車についてネット上のファンコミュニティから情報を得たり、記者の母親がネットで偶然見つけたものが新たな情報をもたらすこともあった。
小さな情報がつながって、広がって、いつしか彼女のルーツに導かれていく。それはまるで、亡くなった女性が、自分を見つけてほしがっているように思えて、不思議な気持ちになった。

どんなに身寄りのない人でも、その人は誰かのお腹から生まれ、誰かに育てられ生きてきた。人は人と全く関わらずには生きていけない。
孤独死した「タナカチヅコ」さんにも、彼女を生み出した両親がおり、大人になるまで育ててくれた家族や友人、知人がいる。若かりしころの「タナカチヅコ」さんと接点があった家族や知人は、彼女の存在を覚えていた。彼女とつながったのはのほんの短い時間だったかもしれないが、生きた彼女との思い出が誰かの記憶に残っていた。住民票は消せても、その事実は決して消せない。彼女との思い出が懐かしさや優しさをもって語られたとき、彼女の人生の点がキラリと輝いたように感じた。
本当の意味での「天涯孤独の人」はいないのかもしれない。

どんなに孤独な人生だったとしても、人は生きている限り、必ず誰かとつながっている。それが人が一人生き切ったということなのだ。

悲しいのは、「タナカチヅコ」さんに、どんな事情があったのか分からないが、彼女は人生の後半、誰かと人生の点を多分意図的に、結ぶことをやめたことだ。おかげで、人生の次の点がなかなか見つけられず、身元調査は難航したけれど、でも点は確かにあった。

彼女は、誰とも点を作らない、その空白の、銀河と銀河の間の「外宇宙」みたいな虚無の空間で、何を感じ、何を考えて暮らしていたのだろう。
決して裕福とは言えない暮らしの中で、現金3400万円をどのようにして得て、なぜ部屋の金庫にしまっておいたのか、手指をなくし、風呂もない部屋で、行政の援助も受けず、一体何から逃げていたのか、そして、どのように暮らしていたのだろう。
某国と関係があったのだろうか。宝くじにでも当たったのか。それとも人に言えない裏の顔があるのだろうか。

彼女の人生は彼女のものだ。彼女の人生の空白(に見えるところ)がどんなに広くても、私が興味本位で勝手に埋めてはいけないなと思って考えるのをやめた。

彼女に帰るところが見つかってよかった。ただそう思うことにした。


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RUMI
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