見出し画像

アセクシャルと、言葉と、私のこと

やあ。
初めまして。

色々なことに対して思考して、わからなくなって、文献を漁って、人と触れて、いつかどこかの結論へ辿り着きたい。
その過程を記す場所を求めてここへやってきました。

難しい言葉で誤魔化したくないけど、自分が文章を書く時に出てくる言葉はいつも小難しくなっちゃうような気がして、ちょっと気にしてる。
でも無理に言葉を変換したりせずに、ありのまま書き込んでいけたらいいなと思っています🌱



まずは今一番伝えたい私のことについて記しておきます。



私は言葉に縛られた人間です。
いい意味でも、悪い意味でも。


初めて私が言葉に縛られているのではないかと気がついたのは、「アセクシャル」ということについて考えたとき。

アセクシャルっていうのは、大雑把に言うと恋愛感情は抱けるけれど、性的感情が抱けないセクシャリティのこと。
日本ではノンセクシャルって言われてることもあるそうです。
多分、当事者の人じゃないと掴みきれない感覚かもしれません。


あまり大っぴらにすることじゃないかもしれないけれど、今までの人間関係に大きく影響を与えて、私の思考の基礎を作っている言葉なので記しておこうと思います。


私はアセクシャルだ、と気がついた時は涙が止まらなくなるくらい安心して、でも怖くて申し訳なくて、自分のことが分かったはずなのに分からなくなったのを覚えています。

アセクシャルだということに気がついていない時&気がついて間もない時&気がついた現在に、私に振り回されてしまった人達に、今ここで謝罪と感謝を伝えたい....本当にごめんなさい。そしてありがとう。


ちなみに余談ですが、私は多分バイセクシャルであるとも思います。
中学生の時大好きだった人は女性だったし、大学生の間にも大好きな女性がいました。
その時はまだアセクシャルだと気がついていなかったから、その感情が恋愛感情だって思わなかっただけなのか、それとも違ったのか。
今もまだわからない。


今もこの言葉たちに縛られて苦しくなることが毎日のようにあります。
好きな人ができたとして、世間一般的な「好き」と違ってしまうこと対して私は今後どうやって対処していけばいいのだろう。


そもそももし私が「アセクシャル」という言葉に出会っていなければ、私はまだ普通の人間だったのかもしれない。
この言葉を知ってしまったから、自分で自分のことをアセクシャルとして縛っているのではないかとも考える日もあります。

卵が先か、鶏が先か、的な。


まだまだ分からないことばかりだけど、私はこの言葉に守られている気もします。

不思議に思われるかもしれないけれど、相手のことがどれだけ大好きでもキスされるのは嫌だし、それ以上はもう嫌悪でしかない。

相手のことが好きだという感情よりも、相手にそういうことを求められることに対する恐怖の感情が少しずつ大きくなっていくせいで、人とお付き合いすることが難しく、且つわからなくなってしまいました。

生物学的に考えると異質すぎる存在で笑っちゃうよね笑

そんな自分のことを誰か伝えるには、今は「アセクシャル」という言葉が一番伝えやすい。

だから、何か新しい考え方や言葉、経験に出会うことができるまでは「アセクシャル」として向き合ってみようかなと思います。


今後私は脳のことや心のことを学んで、セクシャリティがどのように形成されていくのかをちゃんと研究していきたいなと思っています。
いつかセクシャリティの仕組みを言葉にして、同じような悩みをもつ誰かに寄り添える人間になりたいな。


こんな言葉との出会いがあって、そもそも世界中に溢れている「言葉」って一体なんなんだ?と考えるようになりました。


たまごって言われるとみんなあの卵を思い浮かべると思うし、鶏って言われるとコケコッコーの鶏を思い浮かべると思う。
でもこれって不思議じゃないかな?

ただの音、ただの文字なのに何故人間はイメージすることができるのだろう。



まあこんなことをずーっと考えているのが私です。


まだまだ書きたいことはいっぱいあるけど、なんだかそろそろ眠たくなってきたので今日はここまでにしておこうかな。もう朝だ。



最後におすすめの本を書く習慣でもつけてみようか。

今日の話の流れでおすすめする一冊は、君嶋彼方さんの「一番の恋人」です。ぜひ全人類読んで。



読んでくださってありがとうございました。
あなたが幸せな今を過ごしていることを祈っています。



🐔

いいなと思ったら応援しよう!