壽 乱舞音曲祭を見てようやく歌合の感想を見ることができた
今回の『壽 乱舞音曲祭』(以降、音曲祭)の公演内容次第で、刀ミュというコンテンツを嫌いになる前に卒業しようと考えていた。
人生の半分近く追っていたコンテンツがあったが、使用した金額に見合うだけのリターン(満足感など)がなくなり、ほぼ卒業した。
そのコンテンツの新作や新しい情報が出るたび、劣化したな、安直な、と愛が憎しみに変わり激重感情に支配された。ある種の呪いだ。
刀ミュにはそうなって欲しくない。
だから嫌いになる前に卒業しよう。楽しかった頃の思い出を抱いて離れた方がきっといい。
しかし、音曲祭を見てもう少しだけ卒業を先延ばしにしようと思った。
本来ならば、音曲祭がどれくらい素晴らしかったか書くべきなのだろう。
だが、音曲祭を見たことによって、自身にとって卒業するべきかと悩むキッカケになった歌合についての感想を見ることができた。
そして、歌合が自身にとってどれほど深い傷となったか。気持ちの整理と決着をつけるために諸々書いていく。
察しのいい審神者はいるだろう。そう、これはいわゆるお気持ち表明というやつだ。
※警告※
以降はきつめな内容のため人によってはなんだこいつ? と不快に思われる方もいるかもしれません。ほぼマイナス意見です。自衛推奨。
それらを踏まえた上で、なんでもオッケー。苦情は出さないよという強メンタルをお持ちの方のみ閲覧ください。苦情とか苦言とかお気持ちのお気持ちなんかはいりません。
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いいですか……? 警告はしましたよ?
この先は自己責任でお願いします。
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・歌合の方針と構成
運営側が生配信をしてまで今まで(真剣乱舞祭)と違うものをやりたいという意思表示をした。
真剣乱舞祭は2016~2018と3年続いた。
同じものではマンネリ化してしまうし、新しいことをどんどんやっていきたいというのも納得できる。
真剣乱舞祭の形式では歌って踊ってと、演者も裏方もべらぼうに体力と精神力を使うだろう。だから歌合でお話をやるだろう、そう予想はしていたがあんな風になるとは思わなかった。
一話完結の短いお芝居。
演劇パート → 歌パート数曲
歌合では、この形式を繰り返していた。
これ自体は演者や裏方の負担、演者の将来や、やりたいことなどを考えると理解はできる。
しかし、歌パートでテンションブチあがってこれから! という時に演劇パートに戻るので完全に不完全燃焼。
せっかくバチバチに盛りあがっていた感情が演劇パートで強制シャットダウン。それを幾度も繰り返した。
今までの真剣乱舞祭のように終演後の充足感、完全燃焼感が皆無だった。いつも終演後は胸がいっぱいで家についても刀ミュのことを振り返るのに。
はっきりと覚えているのは小狐丸の話と兼さんたちの軽装と堀川がギター弾いてた記憶だ。
曲については何を歌ったのか覚えていない。
・歌合の脚本
歌合の脚本は、ツイッターやブログなどでようやく感想を見ることができた。肯定的な意見もあれば否定的な意見もあった。私は後者だった。
私の話を少し。業界は違えどエンターテイメントに関わる仕事をしている。
仕事によっては原作もの、いわゆるIPもの(版権もの)を扱うこともあり、話を書くこともたまにある(※本業ではないのでここまでの文章を読んでお察しのことと思うが)。
それを前提で、各お話について書いていく。
1:懐かしき音
刀剣乱舞のキャラクターが出ているから、許されるお話。
なんの事件も起きず、キャラクターの日常を面白く書くと言うのはとても難しいことだ。大抵が冗長で面白みに欠ける。
劇場で見た時は、どこかできっと面白くなるはずだ。
そう言い聞かせていたが、何も始まらず、何も解決もせず、冗長で起伏もオチもなく、ふわっと雰囲気だけで終わった。
あるあるこういう話。様々な監修を経て最終的にこうなるのはよく見るし、経験済みだ。
このお話で主張したかったことはなんだろうか?
彼らはこういったほのぼのとした日常を暮らしている、というのを見せたかったのなら大正解だ。
きっと審神者たちは心がさぞ温まったことだろう。面白いかは別として。
業界が違うとはいえプロが書いてもこうなるのか……と驚いた。
私には合わない話だった。
2:根兵糖合戦
根兵糖だけのゴリ押しのお話で引いた。
私は関東在住だ。これは関西ではめちゃくちゃ大爆笑されるようなネタなのだろうか? ドッカンドッカン! 来る話なのだろうか? 現地ではとても悩んだ。
以前、クライアントもいる打ち合わせの時に上司から「○○さん(私)は関東の人だから関西のお笑いとかわからないよね」と言われたことがある。
イラっとしたので以降は吉本新喜劇を見たりして学んだ。天丼というものも知ったが、その辺の知識を合わせても根兵糖合戦の面白さはわからなかった。
なお、この上司は関西のお笑い~と言っているにも関わらず本人の出身地は北陸地方だ。本来であれば味方である上司に背中から撃たれるとは。打ち合わせ終了後にたのしいお話合いをした。
刀ミュをたしなむ大阪出身の友人に聞いたところ、これで笑うのは高校生や第七世代のお笑いが好きな人なのでは? という返答があった。
残念なことに私は書き手と笑いのセンスがあまりにも違ったようで、この話も刺さらなかった。
歌合に対しての期待値が下がっていく。
3:にっかり青江 篝火講談~夏虫の戯れ~
このお話を見て、新しいことをやりたいというのは「刀剣乱舞のキャラクターを通じて様々な文化に触れさせたい」と解釈した。
講談なんて、そもそも劇場に足を運ばない人間からすればなんのこっちゃ? だし講談という名称すら知らない人もいるだろう。
そういう意味では、刀剣乱舞のキャラクターを見に来ている人に強制的に文化に触れさせるというのはよい試みではある。
にっかり青江がやることで雰囲気もより出てくる。
うんうん、わかるわかる。いろいろ考えたんだよね。でも、見たかったものはこれじゃなかったんだよぉ……。
このお話は、にっかり青江が一人で10分近く話し、歌い、演者の技術力の高さを見せつけられた。
現地では台本何ページだろうか、にっかり青江すげぇ……と考えていた。
ここで少しだけ気持ちが回復する。
4:梅 the Way
明石国行というキャラクターをどう見せたいか。
原作ものを扱う上で、やってはいけないことがいくつかある。
そのひとつ、ユーザーがキャラクターを嫌いになるような、不快に思うような(マイナス)描写はしない。
扱うキャラクターによっては、どうしてもマイナスにならざるを得ないキャラクターもいるが。
この明石国行というキャラクターはどうだろうか?
やる気がない。働きたくない。たまに不穏な行動や言動をとることもある。だがそれは最終的にプラスに繋がる。
たとえば『刀剣乱舞 花丸』での明石国行のお話がまさにそうだ。
花丸では事件が起き、明石がやったのでは? と疑われるが明石は動物を助けていただけだった。
話を戻そう。
梅 the Wayにおける明石国行はどうだっただろうか?
不穏な話をして、その後プラスになる要素はあっただろうか?
個人的にはないまま終わってしまったと思っている。
おそらくこの話は落語という文化を審神者に触れさせたかったという主旨があったはずだ。
『にっかり青江 篝火講談~夏虫の戯れ~』のように「刀剣乱舞のキャラクターを通じて様々な文化に触れさせたい」という主旨と、明石国行というキャラクター性を天秤にかけた結果、前者がとられた。私が仕事をしてきた中では珍しいケースだ。
基本的に版権ものは、版権を持っている会社が必ずチェックする。
たまに、我々はそちらの業界のことはわからないのですべてお任せしますという版元もあるが、これは稀有な例だ。
『舞台 刀剣乱舞』も『ミュージカル刀剣乱舞』もオリジナルの設定が多い。
明石国行の件は、このパターンの可能性があることは否定できない。
やりたかったことを貫く姿勢は好感が持てるが明石国行も推している側からすると『ない』と言える。
ただただ、明石国行の印象が悪くなっただけだ。損な役回りという部分ではキャラ解釈は合っているが!!
歌合の印象が最低値になる。
5:美的風靡
やっと刀ミュ本編と絡めたお話が出て来た。
これだよ、これ! こういう話を求めてたんだよォォォ!!
裏話とかこの時こうだったとかという話はとても大事!!
他と比べると意味あるお話だった。
6:小狐幻影抄
歌合の中でテンポもよく一番面白い話だった。
小狐丸の代役をやられた岩崎さんはもう小狐丸として舞台に立つことはないと思っていたが、もうひとりの小狐丸として出てくる演出は非常によかった。
審神者の潜在的にあるであろう「岩崎丸をもう一度見たい」という要望をうまく表現したと言える。
この話は小狐丸メインだからこそ、歌合だからこそできたお話かもしれない。
少しだけ歌合に対しての気持ちが持ち直すが、最低値のさらに先を行く出来事があった。
・中盤でのキャラの変更
現地や配信で見ていた審神者も驚いたであろう、中盤でのキャラの変更。
もちろん私も驚いたが、沸いた感情は「やりやがったな!!」だった。
私が現地で見た回は桑名。松井は少し気になっていたキャラクターだ。
歌合は当日券がちらほら出ていた。現地で見る余裕が自身のスケジュールにはあった。上でお話がいかに私に合わなかったかを語ったが松井なら現地で見たかった。
公式がネタバレ厳禁などと告知していなければ、私は現地で松井が見れたのでは? また桑名から松井に変わることで、会場に足を運ぶ審神者はいないと運営側は思っていたのだろうか? そう取られても仕方ない所業。
バカ正直にネタバレを調べず、大人しく従った結果がこれだ。
運営に対して不信感を覚え始める。
パライソは運よくチケットを取ることができたが、コロナのため中止。
生で松井が拝めるのが先になってしまい、歌合で見れなかったことが本当に悔やまれた。
・運営のツイートと現地でのイネイミ
歌合のツイートでイネイミ~という謎の動画が公開され、その後鶴丸の振り付けの動画が公開された。
覚える必要あるの? とツイッター上ではざわついたがえらい人が覚えなくても大丈夫とアナウンスがあったので、本件はスルーした。
しかし……現地に行ってみると前説で振り付けをやらされるではないか。
覚えなくていいってツイートしていたけど、やらせるの? どういうこと?
「覚えたらより楽しめる」なのかもしれないけれど、それならそれでそうアナウンスしてくれと。
なんで全員強制参加みたいなノリで前説でやらせるのか……。
歌合しょっぱなからテンションがだだ下がりした。
・鶴丸の発言と周囲の審神者の反応
刀剣男士の顕現に至るまでの儀式で鶴丸が「主、行くぜーー!!」という発言をしていた。
その結果、近くの審神者がテンションあがりすぎたのかイネイミ~と歌い始めた。
私はお前の歌を聞きにきたんじゃない。歌うな黙れと負の感情が沸いた。目の前できらびやかな、美しい刀剣男士たちが夢を見せてくれているのに現実に戻される。
ますますテンションが下がる。
そもそも鶴丸は盛り上げるために言ったのかもしれないが、これは受け取り方がいくつかある。
1:前説で振り付け講座をやったので、一緒に振り付けやってね!
2:前説で振り付け講座もやったし歌の動画も見せたし、一緒に振り付けと歌もやってね!
3:顕現に至るまでもう少しだから、気合入れて見とけよの意味
ちなみに私は3の解釈だった。
振り付けは前説程度の短い時間で覚えられるほど物覚えはよくないと自負している。
運営側とえらい人と舞台の上と、それぞれみんな違う思いでいたのでは? 足並みが揃っていないのでは? と不安がよぎる。
最初から最後までどうしようもない感情ばかりが沸いた。こんなお祭りは初めてだ。舞台に立つ演者はあんなに頑張ってやっているのに……。彼らはなにも悪くない。申し訳ない気持ちになった。
このまま次の年末年始のお祭りも歌合のような形式で行くのであれば、それはきっとついてこれない審神者は置いていくという運営側の意向だと解釈した。
運営側の意図はわかる。
演者にも経験を積んで欲しいし、業界を盛り上げていきたいなどいろいろあるはずだ。2.5次元をイロモノで見る人たちもいるだろう。そんなやつらは舞台を見せて実力で黙らせればいいのだから。
歌合は時計の針を進め過ぎた感が否めない。
・音曲祭は見たかったものがそこにあった
音曲祭についての感想はネタバレになるため「見たかったものがそこにあった」と一言だけ。
刀ミュの年末年始のお祭りと言えば、チームの枠を超えた歌やキャラ同士のやり取りが最大の魅力だと感じている。
今回はそれが存分に出ていたのではないかと思う。(もう少しキャラ同士のやり取りがあってもよかったが)
こうして見たかったものを見せてくれた運営を少しだけ見直し、卒業は少しだけ伸ばした。もしかしたらまた、見たいものを見せてくれるかもしれない。
歌合では、様々なことを考えさせられた審神者もいるのではないだろうか。
いつか「どうやら私はここまでのようだ……」と刀ミュを卒業する日が来るだろう。そのときは、私は私の中できらきらと輝いている思い出を抱いて幸せなまま消えよう。その日がいつ来るかはわからない。ただ、それまでは刀ミュを応援していこうと思う。
毎公演配信、日替わりありがてぇ……ありがてぇ……。家ではぼろ泣きしながら見ている。クレジットカードの請求がこわいけれど、見たいんだ……。今日の公演も最高によかった……。
日替わりすべて円盤に収録たのむ……。