優先席の必要性
20数年生きてて思ったことがある。
優先席って必要なの?
自分のことを誠実かつ心が清い人間だと思ってる人なら迷いなく「必要だ!」と言うだろう。
そして、現実に当たり前のように存在する優先席というものが、今更無くなるなど考え難い。
しかし何故必要か、優先席の存在意義を突き詰めていくと、いくつかの欠陥に気付く。
みなさんは通勤、通学の際に、ある程度混んでいる公共交通機関に乗ったことがあると思う。そして、不自然に空いている優先席を見た事があるだろうか。
最近の列車に関して言えば優先席が割と埋まっていることは多いが、満員電車において、優先席に座っていた人が降りて、その後にその席に自ら座ろうとする人があまりいない、というパターンを自分は頻繁に目にする。
バスに関しては殆ど空いているんじゃないだろうか、自分が日常的にバスを利用していた時なんか、かなりの人口密度を誇るほどの混み具合であったけど、優先席にだけは誰もかたくなに座ろうとはしなかった(御年寄以外)
これは度々話題に上がっていることで、所謂混雑時の車両にぽっかりと空いた優先席問題である。
優先席はあくまでお年寄り、妊婦、身体に障害があったり何かしらのハンデがある人に対して席を譲ることを促進している座席であって、健康体な人が座ることが許されていない訳では無い。
それなのにも関わらず、実際のところ優先席に座ることに抵抗を感じている方は多い。
混雑している車両において、眼前の優先席が空いたのにも関わらず座ってくれない方がむしろ迷惑だというのに。
優先席の存在のせいで、日本人的性格が悪さをして非効率さが目立つ。
かくいう自分は空いている車両や誰も座ろうとしない状況では優先席を利用することが多い、その席を必要としていそうな人の存在に気づいたら、譲ることもある、こういったスタンスです。
そして次に、お年寄り、妊婦、身体障害を持つ方々に対して譲ることが推奨される座席は、別に優先席のみに限ったことではない。
わざわざ優先席というエリアを用意せずとも、所謂既存のマナーとして挙げられる席を譲りましょう!という考え方は全ての座席に当てはまる。
わざわざ優先席という枠組みを作る必要があったのだろうか…?
と、色々と考えを書き連ねたのだが
自分はそもそも席を譲るべき、譲ってもらって当然、という考え方がとても嫌いです。
理由は単純に非効率だから。
所謂若年層とされている人間が、席を譲る際、対象の人が人間がお年寄りかどうか、妊婦かどうか、身体障害を持っているかどうかを判断して、勇気を持って座席の譲渡を打診する、そしてさらに相手が快く承諾してくれれば良いが、遠慮をしたり無視したり挙句の果てに怒ったり…
というふうに、自発的に席を譲るという行為には多数の工程がある。
また、自分も体調が芳しくない場合でも、正義感の強い方は無駄に心の中で葛藤を強いられる事だってあるだろう。
座席に座りたい人が座りたいと言えばいいのに。
僕は昔からこう思っています。
上で挙げたように、座ってる側が気を遣って席を譲るという行為には、何個かの無駄な工程があること、譲った挙句断られるというある種のリスクがあること、はたまたお年寄りと判断したら「自分はまだそんな歳じゃない、余計なお世話だ!」とか、妊婦と判断したらただの肥満体型だっただけ、といったパターンも無きにしも非ず(そうあることでは無いと思うが)、非常に回りくどく、無駄が多いと思う。
座りたい側が、「すみません、席を譲っていただけませんか?」と一言言えば済む話である。
自分はそれすらせずに、ただじっと黙って席を譲られることを勝手に期待して、結果譲られなかったことに不満を言う人種に対して、とてつもない軽蔑の感情を抱いてしまう。(橋本&羽鳥の番組 に出演していた森永卓郎氏などがいい例である)
と、大きく話の路線をずらしてしまったので本筋に戻そうと思う。
満員の車両の中でも、皆が無駄な遠慮をして誰も座ろうとしないせいでぽっかり空いた優先席。
既に若者や健康な人間は座ってはいけない、という誤った認識が蔓延している時点で不健全だし、また、不必要な諍いが発生することもある。
優先席に座る若者に対して叱るお年寄りなど、その若者が心肺機能にハンデがある可能性など、微塵も考えないのである。なぜなら若者が座ってはいけない座席だという誤った認識があるから。
優先席などという物がなくても、座りたそうな人がいれば譲る人は多いし、そう出ない場合でも席を譲って欲しい人が譲ってくださいと自分から言うべきだし、それが当たり前な世の中であって欲しいと思う。
暗黙の了解と、他人の良心のみに期待した既存のやり方は非効率的である。
僕は優先席は必要ないと思う。
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