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メイ・リリーがほほえんで


「悠里…あたし、おっぱい大きくなったかも」「ブッ!」

突然何を言いだすかと思えばこの痴女は、自分の胸が3ヶ月前よりも発育したと豪語した。昼休みも開始から40分ほど経った頃。桃子が三段重ねの弁当を食べ終わった、ちょうどその時に。

「……だから?」
「絶対おっきくなったの。一昨日新しいブラ買ったんだけど、サイズが合わなくて」
「…それ私に言う?」
「悠里だから言うの。あ、新しいブラね可愛いよ!ピンクなの。見る?」
「見ないし脱ぐな!!」

細い腕をクロスさせ、くんっ・とセーラー服の裾を捲り上げようとする彼女の手を勢いよく制止する。本当に彼女の言動は時々目眩がするほど突拍子も無い。此処が、一般生徒は滅多に近づかない屋上の給水タンクの裏という場所だったから良いものの、人目につくところだったらどうするつもりだったのだろう。…いや、人目につかなくてもダメだ。ただでさえ目立つ容貌をした彼女が、外で服を脱ぎ始めたらそれはもう自殺行為だと私は思った。

「悠里のも見てあげるから、わたしのも見てよ」
「別に私の下着を見て欲しい訳じゃない」
「すっごい可愛いんだよ?大好きなブランドの新作。一目惚れで買っちゃったの!」
「よかったじゃない。きっとよく似合うわ」
「だから見て確かめて?」
「見ないってば!!!!」

中身が空っぽの弁当を横に避けながら、私と距離を縮めてくる桃子は、唇の端の米粒をペロリと舐め取りながら私を抱きしめた。ぽかぽかとした体温に包まれるのと同時に、その胸に生(な)ったはち切れんばかりのたわわな果実に目を奪われる。自分にはない、ハリがあって形のよい乳房。この間隣のクラスの男子がすれ違いざまに話していた「巨乳美人」は、恐らく彼女のことだろうと、私は推測していた。

「っ…桃子、」
「悠里ぃ、見て?脱がないから。これならいいでしょ?」

制服の胸元をぴん・と引っ張り、体勢を屈めて中を此方に見せてくる。僅かにのぞくビビットピンクのレース地は、真っ白い夏服の布地を押し上げる二つの膨らみを優しく包み込んでいた。

「桃子、やめなさい…」
「可愛い?」
「…ええとっても…似合ってる」
「やったぁ!じゃあ次は悠里の見せてっ」
「私は見せないって言ってるでしょ!」

無邪気な顔で私の制服に手を伸ばそうとする彼女を持っていた文庫本の角で殴ると「いたぁい!」と情けない声を出した。この子は本当に人の話を聞かない。思わず漏れた溜息は昼下がりの青い空の下にスゥッ・と溶けていった。額の上の辺りを何度も擦りながら、桃子は涙目で此方を見る。

「悠里ひどい…いたいよぉ」
「…アナタ、自覚あるの?」
「じかく?」
「『3年の巨乳美人がヤバイ』って噂、たぶん、あなたのことよ」
「…ふぅん、そうなんだ」

悠里もそういう噂、信じたりするんだね。表情こそ柔らかさを崩さないものの、少し冷めたような声で彼女は言った。まるで興味が無いと言いたげな物言いで。

巨乳美人の噂はこの学校の密かな流行りというか、謂わば流行みたいなもので、ここ数日至る所で嫌でも耳にした。理由はわからないけど、4月から始まったドラマが巨乳と美貌をウリにした女優がヒロインを演じるもので、その女優のテレビやバラエティへの露出が最近増えたことが影響してるのかもしれないと私は勝手に思っていた。特段興味こそないものの、その肢体を"女の武器"と称して男を誘い、物語の中心を闊歩するその女を私は不快に思っていた。

女の武器が胸と顔しかないのなら、それが無い女は無能だとでも言いたげな高慢痴気な考えに腹が立ったし、何よりそれ以上に、そんなものを持っていても叶えられないものだってあるんだということを、私は知っていたからだ。

「…あたしあのドラマ、キライ」
「…今クールの月9?」
「そう。女優さんは可愛いけど、いつも際どい服ばっかり着せられて気の毒」
「…そうね」
「なんで、おっぱい大きいってだけで関係ない男の人にジロジロ見られなきゃいけないんだろーね。べつに女の子は男の子に見られるために生まれたわけじゃないのに」

壁にもたれる私の左肩に、とん・と頭をもたれてきた桃子は小さく息を吐きながら言った。暫しの沈黙が流れる。初夏の、抜けるように青い鮮やかな空に、薄い雲がぼんやり浮いている。まるで霧のように薄っすらとした白い雲は、そのうち風に吹き消されてしまうんじゃないかと思うほど、薄くて、弱々しかった。

私みたいに。

「…だったらそういう男を誘惑するみたいな言動、やめなさいよ」
「誘惑なんかしてないよ」
「スカート短い。夏服は透けるんだから、キャミソールくらい着なさいよ。メイクは薄くていい。髪は暑くても下ろして。そういうところを、アイツらは常に目を光らせて見てるんだから、」

自分でも驚くくらい饒舌な舌は、止まることなくぺらぺらと動いた。朝礼行事の後。教室移動の最中。体育の着替えの後。彼女と居る時に向けられる舐めるような視線は日に日にエスカレートしていた。それを感じるたびに、彼女から離れるのが怖くなった。目を離した隙に彼女が拐われてしまったらと思うと、恐ろしくて足がすくんだ。男という下等生物の汚らわしい手に彼女の腕が引っ張られ、何処かに連れ込まれてしまったら。穢れをしらない彼女の綺麗な身体が、雄に犯されてしまったら。私はどうやって、彼女を守れるだろうか。

「ゆう、り…」
「自覚してって言ってるの!何かあってからじゃ遅いのよ!私は助けられない!助けたくても、できないの!男じゃないから!力がないから!」
「悠里、」
「私は男じゃないからアナタを守れない!」
「関係ないよ、悠里」

そんなの関係ないよ。悠里。
目からポロポロ溢れる涙が、端正な桃子の顔を歪ませたのと同時に、私の心も歪めていった。頰が熱くなって呼吸が上がる。数分前に食べ終えたサンド・ウィッチがすぐそこまでせり上がってきそうだった。そんな私をやんわりと抱き締めて、ボサボサの髪を、優しく撫でてくれる。桃子の身体はいつだって暖かい。春の陽だまりみたいに優しくて柔い。低体温の私とは違って。

「……このブラね、悠里に見せたくて買った」
「…えっ…?」
「いつかお揃いのブランドの下着つけたくて、興味持って欲しくて、買ったの」

頰を伝って落ちていく涙を指で掬い、そっと笑いかける桃子は少し困ったような顔をしていた。「あちゃー、ハンカチ、カバンに入れっぱなしだよ」と言いながら、お弁当を包んでいた綺麗な縮緬で私の涙を拭う。

「…おっぱいだって、男の子なんかより、悠里にさわってほしいよ」
「何言ってるの、」
「ダメ?胸だけじゃなくて、手も、背中も脚も…。すきなひとには、さわってほしいって、思うでしょう」

壁に追い詰められた手が、指を絡めてきゅっ・と握られる。桃子の紅い唇からテロテロと放たれる光沢が妙にいやらしくて、見るだけでとくん・と胸が高鳴った。気付いたら涙は引っ込んでいて、代わりに心臓だけが早鐘を打つようにドクドクと揺れていた。此方を真っ直ぐ見つめる桃子の綺麗な顔が、私のすぐ目の前まで迫る。

「わたしは悠里じゃなきゃ、いやだよ。」

祈るような表情で重ねられた唇は、恐ろしいほど柔らかくて、優しくて、涙が出るほど熱かった。

title:まばたき

続きます。

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