あじさいの季節
紫陽花の季節になると「母親」を想います。
5月21日の午後。
その日、夫と出かける予定だったのですが、何だか絶不調の精神。
何ががザワザワして、イライラして……。
けれども、せっかくの休みにイライラしていてもなと切り替えて
猫も一緒に滋賀に向かおうとしたんです。
この日が、私が生まれて42年間、ずっと人生の盾となってくれていた人との別れになるとは想像もしていませんでした。
私の母親は、私が3歳の頃の前の父親と離婚をして、生まれたての弟と幼い私を一人で育ててくれた人。
昔から涙もろくて、世話焼きで、一言多くて、過干渉で。
保育士という仕事柄もあり、元の性格が明るく元気なので、思春期にはとてつもなくウザかったし、面倒と感じていた。
幼い頃の反抗期があまりなかった分、私は5年生から学校に行かなくなって、中学校卒業までほとんど学校に行っていない。
でも、母親はそんな私を責めなかったし、「学校に行け」とも言わなかった。
13歳の時に、父親と再婚して、「お父さん」という人ができて、戸惑いもあったけれども、母親が幸せそうなことには安心した。
安心した分、もっと反発して色々と迷惑をかけたけれども、その頃は「迷惑かけている」なんて思わなかったもんな。
人生最悪に迷惑をかけたときも、母親は何も余計なことは言わずにいてくれた。
私が決めたことに対して、色々と口出ししてきたけれども、それは当たり前のことだったんだろうなと今は思う。
心配すると怒っちゃうのが母親だった。
……似ているなと思う。自分と。
私が似たんだね。
5月21日に、滋賀にいく前に京都で高速を降りた瞬間に、人生初弟からの着信。
「母ちゃん、死んだ。
早く帰ってきて。」
今でも、この瞬間は毎日頭の中でリピートされている。
血の気が引いていく、意識が遠くに行きそうになったときに
夫がぎゅっと力強く私の手を握ってくれたことでその場に留まった。
関西から車を飛ばしても9時間。
どんなに時間がかかっても、自分の足で行きたかった。
泣いて運転できない私の分を、夫は運転してくれた。
母親の仏になった顔を見て出た第一声が
「急じゃない?」
もっと、他の言葉があったのかもしれないけれども。
母親が亡くなってもうすぐ1か月。
まだ実感もないし、ラインしたら既読になって返ってきそうと感じている。
でも、ラインしてももちろん返ってはこない。
けれども、なんとなく届いている気がする。
昨年は父親が亡くなり、そして今年は母親。
両親が60代で逝ってしまったのは早すぎると感じる。
「仲良しな夫婦ほど、あの世にも呼んじゃうんだよね」と親戚もみんな言う。
夫と喧嘩して、うだうだした今朝。
仕事机に置いている父親と母親の写真が、前よりも笑っているように見えた。
見ているのかな。
側で。