第9話 転居の男、渡辺透 【渡辺透クロニクル】

 渡辺透は転居した。都営住宅にである。倍率8の都営住宅にである。2DKでエレベーター付きの都営住宅にである。
 10回目の応募で当選したのは僥倖中の僥倖といえるだろう。それも家族向けではなく単身者向けに、たった3年足らずで当選できたということが、渡辺の理解の許容範囲を超えていた。

 都営住宅について述べておこう。
 応募数は年に4回。
 家族向けや若年夫婦向けの募集は応募し続けるとポイントが加算され、一定を超えると当選する。単身者向けは毎回くじ引きをする。何度応募しようが一回一回くじ引きになるというわけだ。
 当然渡辺には家族も妻もいないため後者となる。渡辺が通っている作業所に単身者で当選した女がいたが、当選までに12年かかったと自慢気に語っていた。
 で、あるから渡辺も5年10年は覚悟していた。

 当選発表の際に倍率も同時に発表される。その表を見ながら、できるだけ倍率が少なそうなところに応募する。勿論一度に応募できるのは1件のみ。
 物件は一般と病死等があったもの2種類で、前者は倍率が高いところで250、低くても50は超えている。後者は低いところで5以下というのもある。違いは家主が死んだか死んでいないかだけなので、当然少しでも当選確率を上げたい渡辺は、事故物件に応募し続けていた。
 区別の平均倍率が毎回発表される。渡辺の住む区は平均40前後といったところだ。

 そして前回、自殺・28日後に発見の物件に応募したところ倍率が3という史上最も低いものにありつけた。ものの、結果は落選であったが、葉書に補欠者と書かれていた。検索してみるに、当選者が審査で落ちた場合、繰り上げ当選になるというもの。期待はせず次を応募したところ、1970年築の病死・32日後に発見の物件が倍率8となり、見事そこに当選した。
 渡辺はホームページで発表された当選番号と手元に届いたはがきの番号を何度も見比べた。何度見比べても、番号が一致するのである。何度、何度、飽きるまで見比べても、やはり番号が一致するのである。しかし渡辺は目が悪く、右目が0.01で左目はローヴィジョンで使い物にならないという仕様のため、番号を誤って認識しているかもしれない。当選したいあまりに番号を捏造している可能性も否定はできない。自分が一番信用できないと渡辺は常々思っていた。
 そして月末、渡辺の元に当選結果のはがきが届いた。
 当たり前の話であるが、はがきには当選と書かれていた。
 渡辺はそのはがきが届くまで、抽選結果を毎日飽きずに何度も確認した。朝と夜に2度。
 どっきりの可能性がある。当選番号が間違っていることもなきにしもあらず、当選したいあまりに番号を勘違いしている可能性もなくはなし、手元のはがきの番号の印字ミスもありえなくはない。トゥルーマン・ショーのように当選を喜ぶ渡辺をテレビ中継して笑いものにしている可能性も、なくは……ない。
 あらゆる可能性を考えて、考えて、当選と書かれたはがきを見た瞬間、渡辺は喜びのあまり全裸で奇声を発しながら走り回りたい衝動に駆られた。
 もちろん我慢した。

 ところで、渡辺は都営住宅に応募しながら引っ越しの資金を貯めていた。生活の最優先事項であった酒と煙草と人付き合いをやめて、月に3万円貯金を続けたのである。なにを隠そう渡辺は生活保護受給者なので、条件をクリアしなければ引っ越しなどできない。生活が保証されている代わりにある程度自由が制限されているというわけだ。その条件をクリアすれば引っ越し資金は役所から出ることになるが、当てはまらない場合はすべて自己負担となる。以下、少し長いが転載する。

 病気で入院している人が、退院後に住むための住居がない場合。
 家賃が生活保護規定よりオーバーしていることで、指示により住み替えを指導された場合。
 国や自治体から都市計画等のための土地収容を理由に立ち退きを強制され、転居を必要とする場合。
 仕事を退職したことにより社宅等から転居する場合。
 社会福祉施設等から退所する場合に、住むための家がない場合(施設に入所する目的を達成した場合に限る)
 宿所提供施設、無料低額宿泊所等を仮住居として利用していた人が、居宅生活ができると福祉事務所に認められた場合。
 自宅が会社から遠距離で通勤が著しく困難であり、その会社の近くに転居することが、世帯の収入の増加、働いている人の健康の維持等、世帯の自立助長に特に効果的に役立つと認められる場合。
 火災等の災害により、現住居が消滅、または居住できない状態になったと認められる場合。
 老朽又は破損により居住できない状態になったと認められる場合。
 世帯人数からみて、その住居が著しく狭いと認められる場合。
 病気療養には環境条件が悪いと認められる場合、または身体障害者には設備構造が居住に適さないと認められる場合。
 親戚、知人宅等に一時的に身を寄せていた者が転居する場合。
 賃借人が居宅の退去を強く請求してきた場合、または、借家契約の更新の拒絶、解約の申入れを受け入れ、やむをえず転居することが必要になった場合。
 離婚により、新たに住居を必要とする場合。
 高齢者・身体障碍者が、扶養義務者の日常的介護を受けるため、扶養義務者の近隣の地区に転居する場合。または、双方が生活保護受給者であって、扶養義務者が日常的に介護のために高齢者や身体障碍者と隣接した近隣の住居に転居が必用な場合。
 生活保護受給者の状態により、グループホームや有料老人ホーム等、法定施設に入居する必要があると認められる場合。

 渡辺のアパートは家賃53000円なので、生活保護の家賃扶助53700円以下である。
 立ち退きなど強制されたことはなし、仕事を退職することもなし、遠距離でもなし、災害もなし、老朽も破産もなし、以下すべてに当てはまらない。であるので全額自己負担で引っ越しするしかない。
 引っ越し代は30万か40万か、はたまたそれ以上か。
 渡辺は、そうまでしても引っ越しがしたかった。否、引っ越しせざるを得ない状況に追い込まれていたのである。だから月に3万という大金――渡辺にとっては――を貯め続けていた。

 さて、その引っ越しせざるを得ない状況に追い込まれていたとはどういうことか。
 騒音被害である。
 騒音は人を壊すとはよくいったもので、実際に渡辺の精神も壊れかけていた。
 右隣の男が、なぜか毎回ドアを思いきり閉めるのである。ただ閉めるというより、力を入れて叩きつける。そしてその後は部屋と廊下を区切るドアを何度も思いきり開けて閉める。そして最後は窓を思いきり開けて閉める。なぜそんなことをするのか、渡辺には原因も理由もわからない。
 その衝撃がいつ発生するかは読めない。朝の時もあれば昼もあり、夜や深夜もありえる。

 渡辺はこれでもう10年以上、寝る前の睡眠薬は手放せない依存症のようなものになっていた。
 寝ようと思って横になっても、音が気になる。大声での会話や物音だけでなく、些細な音が気になるようになっていった。音が少しずつ渡辺の精神を削っていた。
 主治医に相談しても、薬が増えるだけでだった。警察に通報しても、翌日またうるさくなるだけであった。

 ある日、渡辺は日課の作業所に通うべく部屋を出て駐輪場の自転車に乗ろうとした。その後を中年男性が追って、渡辺に声をかけた。否、声をかけたのではなく怒鳴ってきたのである。
 コロナウイルス前であったのでマスクはなく、ぼさぼさの髪の毛とボロボロの歯と鋭い目。中肉中背で年齢は50代といったところだろうか。
「てめえこの野郎、俺に嫌がらせしてんだろ!」
 文字通りブチ切れてきたのである。渡辺は動くことも声を発すこともできず呆然と中年男性を見つめている。恐怖で声が出ないでいると、中年男性は「毎朝毎朝、ドア閉める音がうるせえんだよ!」と畳み掛けてきた。
 渡辺はドアに100円ショップの消音材を貼り付け静かに閉めるようにしていたので、それでも音がうるさいのかと驚きつつ、「今度から気をつけます」とだけ言って逃げるように去っていった。

 その中年男性は右隣の住人であった。10年前にここに引っ越してきた際、挨拶を交わした。それ以外の交流はいっさいない。その挨拶の際、精神病で生活保護だと言っていた。渡辺も同じだったので「同じ立場だし、よろしく」と笑顔で言われてもいた。
 関係は良好でもなく不良でもなく、顔を合わすこともほとんどなくという状態。
 それが、突然の嫌がらせしている宣言である。
 帰宅時にドアを静かに閉めると、その直後に隣人がドアを思い切り開けて閉じた。部屋が振動するほどの衝撃とアパート中に響いているのではと思うほどの音。渡辺のノミの心臓が飛び跳ねた。
 以降、こちらがドアを静かに閉めた瞬間、隣人がドアを思い切り叩きつけるようになる。

 ある日渡辺が作業所から帰ってきて部屋に入ると、またドアを思い切り叩きつけてきたのでげんなりしながらイヤホンで音楽を聴いていると――ドアバンを聞きたくないので部屋にいる間は常にヘッドホンかイヤホンをしていた――、3回壁を思い切り蹴り飛ばしてきた。そして数分静かになった後、また3回壁を蹴り飛ばした。その音は渡辺の高価なイヤホンのノイズキャンセリング機能を通り超えて耳を突き抜けた。
 瞬間、渡辺はブチギレた。
「てめぇ!」
 蹴る。
「この野郎!」
 殴る。
「毎日毎日!」
 蹴る。
「頭おかしいんじゃ!」
 殴る。
「ねえか!」
 蹴る。
「舐めてんのか!」
 蹴る。
 渡辺は大声を張り上げながら何度も壁を殴り、そして蹴った。渡辺は息を切らせながら椅子に座り、痛みが走る右手に目をやった。指輪をはめたまま殴ったせいで、右手薬指がぱっくり切れて血が出ていた。傷口は浅いので上から絆創膏を貼り直接文句を言ってやろうと部屋を出ると、隣人と警官が話をしていた。
「こいつなんですよ、こいつ! こいつが嫌がらせしてるんですよ!」
 隣人は怒りに歪んだ顔で唾を撒きながら警官に訴えている。
「俺のポストから郵便物抜いたり、部屋の前にゴミを置いたり、鍵穴に接着剤入れたり、ドアに張り紙したり、ずっとこいつが嫌がらせしてきてるんですよ! 逮捕してくださいよ!」
 若い男性警官は隣人をなだめながら渡辺に「と、仰ってるんですけど、嫌がらせなんかしてませんよね?」と困った顔で呟いた。
「ええ、もちろんしてませんよ」
 渡辺の怒りは一瞬にして消滅し、警官への同情心が沸いてきた。隣人は統合失調症だな、と思うと気の毒に見えてしまった。なにを隠そう渡辺も統合失調症であるので気持ちはよくわかる。おそらく隣人は統合失調症の症状で、嫌がらせやストーキングを受けているという妄想が脳内で膨張しているのだろう。
 警官が隣人に「してないって言ってますよ」と言うと隣人は「外に赤い自転車が止まってる時に嫌がらせされるんですよ! あの自転車、お前のだろ!」と渡辺に吠えた。
「あの自転車はあなたのですか?」と警官が渡辺に聞いた。渡辺が否定すると「この方がやってる証拠はあるんですか?」と隣人に尋ねた。隣人は「あったらすぐ裁判してますよ! これから証拠を掴むんですよ!」とより一層顔を赤くし絶叫した。
 警官が隣人を無視し「ドアの開け閉めがうるさいって言ってますけど」と渡辺に言った。渡辺は「ドアに消音のゴムつけてますし、毎回気をつけて閉めてますよ。音楽とか映画もヘッドホンつけてますし」と答えた。
「隣人の方、ちゃんと気を遣ってくれてるじゃないですか。嫌がらせなんかしてませんよ」と警官が少し強めに隣人に言うと、隣人は「俺が部屋にいる時を狙ってドアを叩きつけるんですよ!」と怒鳴った。
 渡辺は少し語気を強めながら「いや、そちらのほうが叩きつけてるじゃないですか」と言う。
 隣人は「お前が毎日夜中に人を呼んで大騒ぎしてるからだろ!」とまた怒鳴った。
 渡辺が「呼ぶ人なんかいませんし、大騒ぎもしてませんよ」と答えると、警官が「第三者から見ると、誤解があるように思うんですが」と冷静に言った。
 隣人は気持ちの悪い笑みを浮かべながら「まあいいですよ。今回は。次は絶対証拠見つけるんで」と言いドアを閉めた。渡辺と警官は顔を合わせ、苦笑いをし別れた。

 隣人がドアを叩きつける理由は、渡辺が人を呼んで大騒ぎしているからだという。
 しかし渡辺には呼ぶ友人は皆無である。友人も恋人も何年もいない、完璧な孤独人間である。
 が、渡辺がそれを言ったところで話は通じない。隣人は渡辺がやっていると強く思いこんでいるのでどうにもならない。

 アパートの管理会社に何度か相談したが、「住人の問題は住人で解決してください」と言うのみ。契約書にも同じ内容が書かれている。

 さて、ここまで読めばなぜ渡辺が引っ越しせざるを得ない状況に追い込まれたのかがよくわかるだろう。
 隣人のドア叩きつけである。渡辺が大騒ぎしているから叩きつけていると訴えているが、そのような事実はない。アパートは築40年の木造なので、話し声やくしゃみが響くというのは渡辺も経験したことがあった。しかし現在は住人はほとんどが独居老人のため、人を呼んでの大騒ぎなどありえないし聞いたこともない。
 大騒ぎがうるさいと訴える隣人も大騒ぎは聞こえないと返す渡辺もどちらも統合失調症なので、それが幻聴なのか実際に聞こえているのか判断はつかない。

 隣人は、渡辺が大騒ぎしているからその反撃の意味でドアを叩きつけているだけのに、ポストから郵便物を抜かれたり部屋の前にゴミを置かれたり鍵穴に接着剤を入れられたり、ドアに張り紙したりという嫌がらせを渡辺から受けている、と訴えている。

 しかしその実、渡辺は隣人に嫌がらせをしていた。
 隣人が訴える嫌がらせのすべてを、渡辺は行っていたわけである。
 渡辺は隣人のポストから郵便物を抜いてシュレッダーにかけたし、部屋の前に生ゴミを置いたし、鍵穴に接着剤を流し入れたし、静かに閉めろと張り紙もした。

 前述の通り、生活保護は引っ越しができない。騒音主も渡辺も生活保護なので相手が引っ越すことには期待できないし、追い込んだところでまったくの無意味となる。
 渡辺は隣人のドア叩きつけをどうすれば止められるか、考えた。そして、隣人を別の場所に移すしかないという結論に至った。さて、どうすれば隣人を別の場所に移せるだろう。
 精神的に追い詰めて暴力沙汰でも起こさせての閉鎖病棟行きかアパート追い出し、という作戦を考えた。そしてそれを実行し、その結果隣人は追い詰められたというわけだ。だから警官を呼んでの大騒ぎの間、渡辺は内心ニヤついていた。
 渡辺は隣人に追い詰められていたし、隣人は渡辺に追い詰められていたということになる。。
 隣人は話の通じない次元に突入している。そんな者と話し合っての解決などありえないしただ時間の無駄なだけであろう。
 であれば非合法で卑劣な手段を持って対抗するしかない。

 もしその非合法で卑劣な嫌がらせが露呈してしまったところで、渡辺は統合失調症で障害者手帳2級を所有しているので、なんとかなるだろうと高を括っていた。

 数日後、渡辺が作業所に行く前に隣人のドア前に生ゴミの袋を置いて自転車に乗ろうとすると、その後を隣人が追いかけてきた。
「おい、なんで生ゴミ置くんだよ! いい加減にしろよ!」
「置いてませんよ」
「俺見てたんだよ!」
「知りませんよ」
 言い合っていても無駄だと感じたのか、隣人は袋を開けて中身を探っている。渡辺の名前が入った書類や手紙を探しているのだろう。当然渡辺は自身の名前が入ったものはすべてシュレッダーにかけてそれだけでまとめて捨てていたので、名前が出るわけがない。
「遅れそうなんで行きますね」
 渡辺は爆笑しそうになるのを必死に堪えながら自転車に乗り、しばらく走った後に声を上げて笑った。

 数日後、渡辺は隣人の下の住人を装ってポストに「ドアの音がうるさすぎる。次やったら警察を呼ぶ」と書いて入れた。渡辺が鼻歌まじりで待っていると、隣人がどたばたと騒ぎ始めた。部屋の窓を開けると、隣人と下の住人が揉めている声が聞こえた。下の住人は60前後の男で、日曜日になるとアパートの前でバイクをいじっている。
「ドアがうるさいってなんだよ! お前のバイクのほうがうるさいだろ!」
「なんだよお前……いきなり……」
 隣人が一方的に喚き散らし、バイク男は若干引き気味で対応している。
「お前と上の奴で組んでるんだろ? 組んで俺に嫌がらせしてるんだろ? もうわかってるんだよ!」
「なんの話をしてるんだよ」
 笑いが止まらなくなった渡辺は、声が聞こえないように静かに窓を閉めガッツポーズをした。
「あと少しで隣人も終わりだな――」
 その日からドアの叩きつけに加えて、定期的に壁を思い切り蹴るようになった。そのたびにびくりとしつつ、それだけ隣人が追い込まれている証左であろう。

 と、いうところで都営住宅に当選してしまった。
 渡辺が隣人を追いつめる理由がなくなってしまったというわけだ。
 都営住宅に当選した瞬間、渡辺には隣人の騒音が心地よく感じるようになった。度々警官を呼んで大声で喚き散らしているのも微笑ましく思える。
 壁への衝撃音やドアや窓の開け閉め等、最大限の力を込めて音を立てているのを「おっ、今日もやってるね」と余裕の褒め言葉を投げかけるほどになった。
 数ヶ月後にはここから脱出できるのである。
 
 渡辺は無事に都営住宅の審査を通り、下見を済ませ、引っ越しを行った。渡辺は鉄骨の風呂トイレ別の2DKに引っ越し、隣人は木造のユニットバスのワンルームに住み続ける。
 築40年の、洗濯機置場も収納すらもない、夜は屋根裏をねずみが走り回り、くしゃみが聞こえるほど壁が薄く、たった12平米の狭いワンルーム。

 渡辺はたまにふと、隣人のドアを叩きつける音、壁を蹴る音を思い出す。鉄骨コンクリートは音も声も通さない。両隣は老夫婦が住んでいるので24時間無音である。キッチンと寝室と日中過ごす部屋が分かれているので、冷蔵庫やパソコンの音で寝つけないこともない。
 金は生活保護で安定しているし、日中通う場所もあるし、部屋は広く静かで、人生になにひとつ不満がない。
 ソファに寝転がりながら読書していた渡辺は「もう、人生ゴールしたようなもんだな。あとは恋人だ……」と呟いた。

 渡辺は36歳になっていた。恋人は14年間いない。今後できる可能性も皆無であるとわかっているし、これ以上求めすぎるのも罰が当たると感じている。
 が、しかし、恋人が欲しいのである。好意を持つ女性から好意を持たれたいのである。女性と一緒に映画を見たり食事したいのである。眠れぬ夜にラインや電話をしたいのである。

 渡辺は、ただひたすら、女性を求めていた。渡辺を求める女性などこの世に存在しないという事実を十分理解しているはずなのに、それでも尚、恋人が欲しかった。欲しくて欲しくてたまらなかった。
 渡辺は無音の2DKの畳に寝転がりながら、孤独に飲まれそうになるのを必死で耐えていた。奥歯を噛み締めて必死で耐え続けていた。
 孤独がいつまで続くのか、渡辺がいつまで孤独に耐えられるのか、誰にもわからない――

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