第2話 手術前 さようなら、外脛骨
整形外科に通わなくなって三年、定期的に激痛は走るが立ち上がれないほどではない。週に三回軽作業をしに施設に通い始めて三年、通う場所ができて運動して筋肉がついたから激痛にはならないのだろうか。それともインソールとダイエットのおかげだろうかと思っていると久しぶりにアイスピックの刑がやってきた。運良く金曜日だったので翌日土曜日の午前中に大学病院へ行った。一歩一歩歩くたびに痛みが走り脂汗が流れる。
痛風じゃないよと言いわれた日が2016年1月。そして今が2021年6月。
若い男性の整形外科医に足を見せる。
「有痛性外脛骨ですね。骨が余分についていて、それが圧迫したり炎症を起こして痛みが出るんです。とりあえずレントゲンを撮ってきてください」とのことでレントゲンを撮って戻ってくると「間違いなく有痛性外脛骨ですね。MRIを撮りましょう。予約は二ヶ月後しか空いてないけど、今すぐ撮りたいですよね? 緊急性があるってことで今から撮れるようにします。ちょっと過剰に痛がっておいてください」とのことで現状の痛みに+3ほど足した演技でMRIを撮り診察室に戻る。
「痛みの頻度ってどのくらいですか?」
「長時間歩くと痛くなりますね」
「結構痛いでしょ?」
「歩けなくなる時もありました」
「うち以外で整形外科に行きましたか?」
「近所の整形外科に行ったんですが、ブロック注射と痛み止めだけでした」
「手術の話は出なかったんですか?」
「一応提案してみたことはあるんですが、手術なんかやるだけ無駄と言われました。月に一度の注射と靴の中敷きで改善するのを待つしかない、と」
「でも、改善しなかったと」
「そういうことです」
「じゃ、手術しましょうか。でも、癌とか心臓病みたいな手術しなきゃ命に関わるというものではないので強制はできませんし、するしないはご自身の判断でお願いします」
自慢ではないが僕はこの歳つまり35歳まで一度も手術をしたことがない。縫われたことは二度、メスを入れたのは一度だけ。頭皮を切り開き細胞を取って検査するというイージーなもの。盲腸の手術もない。
なんでも体験してなんでも文章にしようと常日頃から心がけてはいるが、さすがに「じゃ、手術しましょうか」と言われて「はい、そーっすね」とはなれない。序文の整形外科に通っている間何度か「有痛性外脛骨 手術」で検索し病院のホームページや実際に手術をした人の体験記を読んだが、入院は3週間、車椅子や松葉杖でのリハビリ生活が数ヶ月、手術しても痛みが取れない場合もあるなどと調べれば調べるほど不安が募る。一人暮らしで頼る家族はいない。もう友人もいないし恋人など10年以上ご無沙汰なため一人でどうにかしなければならない。が、一人でどうにかできるようなものではない気がする。
「手術って、大変ですか?」と不安度100パーセントで訊くと「半身麻酔か全身麻酔で、骨を削るだけなので2時間もかかりませんよ。その後2ヶ月ぐらい松葉杖で終わりです」と、僕の不安を解消するために饒舌に語る。「なるほど、じゃあ簡単ですね」と返すと「来週、手術の日を決めましょう」ということで終わる。
帰宅し、この文章を書き始める。合間にブログの体験記を読む。麻酔して骨を削って縫って2ヶ月で元に戻ると思っていたが、期間は人によって違うようだ。といってもメジャーな手術ではないのだろう、検索しても数件ヒットするのみなので詳しくはわからない。
切り開いた状態の写真は凄まじく気持ちが悪い。術後の写真を見ると、10センチ以上の傷跡になっている。術後あまりの痛みで一睡もできなかったとも書いている。ギプスで固定し入院中は風呂にも入れず看護師に体を拭いてもらう。少し足に力を入れただけで激痛が走る。もちろんトイレには行けないため尿道カテーテルを入れている。その後抜糸し車椅子に乗れるようになり松葉杖に変わりリハビリ生活となる。退院して自宅療養になるが定期的に病院に通う。
読んでいると緊張するのか心臓の鼓動が激しくなる。痛みから開放されるなら手術をしたいと考えていて、医者も手術を勧めた。ここ一ヶ月ほど常に痛みがある状態になっている。1日3回痛み止めの薬を飲み湿布をしているが効果は感じられない。歩く際は足の内側に体重をかけられないため常に外側を地面に着けて歩いている。1時間2時間と立ち作業をしていると痛み始める。長時間の散歩など怖くてできない。常にこの有痛性外脛骨を意識して生活している。 外脛骨自体は10~20パーセントの人が持っているが全員痛みが出るわけではない、とのことだが、よりにもよってなぜそれが僕の足についているのか。それも両足どちらにも。そしてもう一つよりにもよってなぜ痛みが出たのか。運が悪すぎる。
と考えるとやはり手術をしたほうがいい。
もちろん手術やその後の痛みの恐怖はあるが、一番重要なのは術後の生活だ。なにをどう考えたところで一人でどうにかできるものではない。
翌週、整形外科へ行き手術を受けることに決定した。腱を切り外脛骨を抜いて腱を別の骨に縫い付け骨をボルトで繋ぐという内容。入院期間は2週間から3週間。家族が近くに住んでいないため退院後の生活が不安であることを伝えると、歩けるようになるまで入院すればよいとのこと。外脛骨の手術だけであれば最短で3日で終わる。退院後はリハビリ生活。入院日は一ヶ月後の8月頭。
後日レントゲン、採血採尿、心電図、肺機能、心エコー検査を受ける。心エコー検査は壁を向いてベッドに横になり服を首元まで脱いで、背中に当たるようにして看護師が座り腕を脇腹にぴったりとくっつけた状態で機械のようなものを心臓に当てて検査をする。担当が若い女性看護師だったので、背中に尻が、脇腹に乳と腕が密着した状態が続いた。
「髭面のおっさんがやっている」と何度も心の中で唱え落ち着かせようとするが無駄なあがきで、心臓はバキバキに高鳴っていた。
帰宅し書類を確認していると「ご希望のCDやiPodを準備された方は手術室にお持ちください」と書いてある。ネットで調べると、麻酔にかかるまで好きな曲を流せるという。とても恥ずかしいので曲のリクエストはできないと思うが一応用意しておこうと思う。
歩けないほど痛いというわけではないが、歩くたびに痛みが走るため活動の際に気が滅入る。15分30分と活動すると痛みが激しくなる。立ち歩きする時間が長くなればなるほど有痛無痛の間隔が狭まる。シャワー後に湿布を貼り換える。1日3回ロキソプロフェン錠を飲んでいる。どちらも効果はあるのかないのかわからない。左足を庇って歩くと右足も痛くなる。一日を終えた外脛骨部分は青黒く変色し熱を持つ。扁平足なので疲れやすいのも作用しているのだろう。序文の整形外科で作ったインソールを使っているが効果はあるのかないのか。
一番痛いのが外脛骨で、続いて踝と踵の間にあるくぼんでいる部分が痛い。内側に体重をかけると痛みが走るので足裏の外側に体重をかけて歩いているせいなのか、ふくらはぎも痛い。
以上が手術一ヶ月前の痛みだ。
それ以降は常になにをしていても痛い。歩かなくても痛い。椅子に座っていても布団に寝転がっていても痛い。近所のスーパーへ行くのも痛くてつらい。もちろん、痛み止めを1日3回飲んで毎日湿布を張り替えても変化はない。
挙句の果てに右足も痛くなってきている。整形外科医に伝えると「両足いっぺんにやるより片足ずつのほうが楽ですよ」とのこと。もう笑うしかない
入院2週間前に、全身麻酔をするため麻酔科術前外来と入院オリエンテーションを受けた。ここには以前別件で一度入院したことがあるが、食事が美味しかったという記憶しか残っていない。
朝9時に着いて終わったのが昼の1時半。
まず、若い女性歯科衛生士による口腔内チェックを受ける。どうせマスクしてるからと歯磨きをせずに来たことを後悔。「歯石が溜まりやすいようですね」と言われたが、単に歯磨きをしていないだけとは言えず「そうですね」と答えておく。器官に管を入れる際に抜けそうな歯があるとぶつけて抜けてしまう危険性があるとのことで、一本一本歯がぐらついていないかのチェック。
次にショートカットの女性薬剤師に服用している薬を伝える。手術1週間前から高脂血症の薬を飲むのをやめるよう言われる。
続いて麻酔科医との面談までiPadで入院や手術の説明を見る。
混んでいるのか見終わって15分ほど待ってようやく面談が始まった。全身麻酔の一通りの説明を受ける。僕は幼少時から喘息を持っているが、どうやら呼吸器疾患は全身麻酔の危険性が多少あるようだ。吸入器を持ってくるように言われる。「吸入麻酔薬で意識を失ったあとの体調管理をする人がいるので、眠っている間は心配はありませんが、人が行うものなのでミスは100パーセントないとは言えません」とのこと。「髭は剃れますか」と聞かれて、髭を放置していたことを思い出した。
次はおそらくかなりの美女であろうと思われる眼鏡をかけた女性看護師と話す。マスクを着用しているため実際のところはわからない。かなりの美女であると妄想したほうが楽しいのは間違いない。
ずっと見とれていたためなにを話したのかほとんど覚えていない。書類の確認の際に顔と顔が触れるほどに近づかれたのでどぎまぎとした。内容は覚えなくても差し当たりのないことだったのだろう。
次に、鋭い目をした若い男性救命救急士と話す。全身麻酔後に気管挿管の実習の許可書にサインをする。とくに断る理由もない上に救命救急士にとって必須の実習らしいので許可した。こんな僕でも人の役に立つことがある。
続いて整形外科で担当医から手術内容の説明を受ける。「検討した結果、外脛骨についている腱を切って外脛骨を切除して腱を縫い付けるのではなく、外脛骨の隣にある骨を外脛骨分切り落として腱と外脛骨ごと隣の短くなった骨にねじで止めることになりました。傷は4センチほどで血は出ないため輸血の必要もありません。
入院は松葉杖で歩けるようになるまで。若いので2週間で退院できるでしょう。その後は2、3ヶ月ほど松葉杖で生活します。必要に応じてリハビリも受けることがあります」とのこと。
まさか体にねじが入るとは。長生きしてみるものだ。そのねじとやらは一生体に入れたままなのだろうか。
その後、片足で立てるかつま先立ちはできるかなどのチェックを受ける。その流れで扁平足の度合いを見るため扁平足用にレントゲンを撮影する。両足で2枚ずつ。
最後に入院オリエンテーションを受ける。この時点で昼の1時前になっており空腹に襲われている。書類に持病や服薬、宗教のありなしなどを書いて40前後の女性看護師と面談。入院時に必要なものの説明を受ける。嫌いなものはあるかという問いにトマトと人参と答えるとふふっと笑われる。東京には家族も親戚もおらず、皆600キロ離れたところにいて緊急連絡先に書く対象がいないことを伝える。命に関わるようなことが万が一起きた場合の緊急連絡先なので離れてても大丈夫だと言われる。
入院中に着るものは有料レンタルすることになった。患者衣が上下で1日330円。バスタオルとフェイスタオルが1日250円。タオルはシャワーや風呂が許可されてからレンタルする。下着類は途中で洗濯に出す予定で、バッグ1袋分で800円。なかなか、見ているなという印象。
新型コロナウイルス流行のため面会は謝絶、外出も一切禁止、今日から入院まで外出は必要最低限に抑えるようにと言われ大量の書類を手渡され大学病院を後にする。
入院の際に必要なのは、下着靴下タオル、歯ブラシコップ髭剃りボディーソープシャンプー、ティッシュペーパー箸スプーンフォーク。服は有料レンタルのため不要。下着その他は入院の途中で有料クリーニングに出すことになったので1週間分で十分とのこと。あと文庫本を持てるだけ。電子書籍リーダーも持っているが紙の本もかなり部屋を圧迫しているため消化せねならない。
キャリーケースで行く予定だったがNGだと言われてしまったので、愛用のリュックとアンディー・ウォーホルのエコバッグに詰める。
ベッド横のテレビ台にLANケーブルが挿せるようだが、ポケットWi-Fi的なものを持っていないため不要。ということでスマートフォンはあまり使わないようにしなければ。電子書籍リーダーは入院中に本を買っても読めないというわけだ。読みたくてまだ買っていない本は入院前に買っておく必要がある。が、まあそんなものはない。だいたい買っている。
入院日まで、家で引きこもって読書してラジオや音楽を聴いて映画を観て過ごす。スーパーで食材を買って調理して食べる。洗濯物が溜まったらコインランドリーへ行く。
2週間の休み。だらだら。
外脛骨が日に日に大きくなっていっているような気がする。
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