ロクデナシ 〜ネットストーカー地獄編~ 1.未来は僕等の手の中
僕が最初にその男を認識したのは今から5年前の2015年だった。某巨大匿名掲示板の創作文芸板がまだ賑わっていた頃で、僕が関西の地方から上京した年でもあった。僕は29歳で、家賃6万のユニットバス4畳の部屋で作家になることだけを考え小説を書き続けていた。怖いものなどなにもなく自分の才能を完全に信じ切り数年後には必ず作家になっているという自信に溢れながら、メジャートランキライザーと睡眠薬を缶チューハイや発泡酒で流し込み、死と生の間でただひたすら生を実感し性に飢え省はなく声を欲していた。
小説を書くといいながら実際はパソコンを開けば匿名掲示板でのディスり合いに時間を浪費し、精神障害者福祉手帳2級を所持し障害者として国に認められ、毎月振り込まれる都民の血税である生活保護費を酒に変え、酩酊状態で匿名掲示板。お先など真っ暗でなにも見えず生きる意味も理由も目的なにもなく、新人賞を華々しく受賞しプロの作家になりたくさんの人に読まれ印税収入で優雅な暮らしをし今まで自分を馬鹿にしてきたすべての人間に復讐するためにテキストファイルを埋め尽くし自信満々で新人賞に応募するも、1次落ち1次落ち1次落ち1次落ち1次落ち……。現実に押し潰される。もちろん自分に小説の才能などあるはずもないことは重々承知の上、しかし継続も才能の一つ継続は力なりという青臭い言葉を壁に貼り、10年20年30年と出し続ければいつか受賞するはずと信じるしかなかった。
生きる上でのストレスを酒と匿名掲示板にぶつけ続けていた。
そんな時その男と出会った。
男の名前は美樹本洋介@ブルーロベリア。
男は匿名掲示板に擦れておらずスレッド内でも浮いていた。固定ハンドルネームが本名という時点でお察しというものだ。名無しの煽りに真面目に反応し真面目に創作活動をし真面目なブログを公開していた。だからこその面白さがあると感じた僕は、固定ハンドルネームで男をいじったらどんな反応をするかという軽い気持ちで投稿サイトに公開していた小説を読んでみた。
これがすごかった。
自信作と書いたその小説は、低レベルな文章をただ並べ立てているだけの読むのも苦痛な代物だった。1次落ちを繰り返し投稿サイトで罵倒され続けていた僕が人様の文章にどうこう言える筋合いはないが、あまりにも稚拙すぎる。僕みたいな連続1次落ち男でもはっきりとこれはおかしいというレベルだ。
書き出しから狂いきっている。
「ある季節は今から少し前の年の季節の話が始まる。」というもので、何度読み直してもさっぱり理解が出来ない。少し格好をつけたような勿体回した書き込みだが意味不明なので決まっていない。
その後の展開は、二十歳の男が大型バイクに乗って初めて入った喫茶店のマスターに「君、とっても美形だね」と褒められる。そしてそのマスターに、喫茶店の奥に座る絵を描くのが趣味の女性を紹介される。初めて入った喫茶店の初めて会ったマスターに「どう、このイケメン。君の彼氏にぴったりじゃない?」という流れで僕は思いっきり吹き出した。
内容が面白ければ文章の出来不出来なんてまったく関係ないと思っている。小説の書き方に正解はなにもない。読んだその人が面白いと思えばそれは面白い小説になるわけで、他人の指図などまったくの無価値だ。だからこそ、インターネットの世界に一度晒せばなにを言われようが作者は反論してはいけないと僕は思っている。読んだ人間がなにを言おうがそれは正義であり、たとえつまらないと言われても、そう思わせた自分の力に問題がある。
だから僕は感想として「文章が稚拙なのは目をつぶるが、内容が中学生の妄想レベルになっている」と匿名掲示板で発言した。それからすぐにすべて読もうと思って、男の作品の続きを読み始めた。
あなたモテそうなのにと言う女に、女に興味がないんだと言う主人公。ぽつぽつした会話が盛り上がったところで、マスターがやってきて「君たち盛り上がってるね。付き合ってみないか」と提案する。主人公は「まあ、そうですね。いいんじゃないですか」とつれない。女は「私でよければ」と照れる。マスターが「ほらほら、君たち、電話番号の交換しなきゃ」といいパスをくれる。初見の客にどうしてここまでしてくれるのか、現時点ではわからない。伏線かもしれない。
読み進める。二人はいい感じになっていった。女は美術学校に通っていて、自分の描いた風景画を見せる。男のバイクに乗って海を見に行く。とんとん拍子で仲良くなっていく二人。
その帰りに二人は出会いの場である喫茶店へ行く。マスターが「付き合うことにしたんだね。よかった」と言うと、女は「作品にいい影響があるんです。だから付き合って貰っています」と答える。実はマスターと女が裏で繋がっていて、男から金をせしめるという展開になるのかもしれない。女は外を見ながらコーヒーを飲む男の絵を描く。
なんと女の両親はデザイン事務所を経営しており、そこで働くことになるという。とても恵まれている環境だが、女は「あくまでも私はアートがやりたいの。お金のためになんてやりたくないわ」と自分を貫く。
男はバイクのメカニックをやっているという。女がアルバイト先にやってくるとバイトの男たちがいやらしい目線で女を見る。先輩が「バイクの美しさがわかるかい」と問うと女は「曲線美が抽象画にするといいモチーフよね」と答える。ワイゼットだのなんだのというバイクの名前が羅列される。そんな女に先輩が「おーい、こいつの童貞早く奪ってやってくれーい」と茶化す。店内は笑いに包まれる。女は「次は、私の学校に来る番よね」とだけ言い、ウインクをして出ていく。
「お前にあの娘が乗りこなせるかな?」と先輩が問う。
「ヤマハでもホンダでもカワサキでも、俺は今まで乗りこなしてきましたよ」と男が言う。
「いい回答だ。お前もバイクばっかりいじってないで、さっさと童貞を捨てろよな」
はいはい、と返事をし男は仕事に戻った。完。
一気に読んで思いっきりため息をついた。あえてリアリティをなくしたのだろうか。だとしたらとても成功している。最初から最後までリアリティのリの字もない。登場人物が皆クレイジーだ。初見の客に女を紹介する喫茶店のマスター、不審がらず紹介される男、アートだの作品だの中身のないことを言い続ける女、後輩の彼女とはいえ初めて会った女に童貞がどうのという先輩。「お前にあの娘が乗りこなせるかな?」「俺は今まで乗りこなしてきましたよ」というトレンディ・ドラマ顔負けの恥ずかしいセリフ。
そういった諸々の感想を言ってやろうと匿名掲示板を開くと、男が連続で投稿していた。どうも僕の感想に怒っているようだ。
「俺の文章が稚拙なわけないだろう!」
「中学生の妄想だと? ふざけたことを言うんじゃない!」
「吹き溜まりでオナニーしてる家畜以下のお前が偉そうなことを言うな!」
相当怒っているようだ。やはり匿名掲示板に慣れていない。結局のところ匿名掲示板なんて真剣にやるものではない。プロレスを楽しむところなのに、この男はそれがわかっていない。自分の作品を貶される経験もないのだろう。
自慢することではないが、十年も匿名掲示板をやって投稿し続けていると擦れてくる。発言の揚げ足を取られ小説は罵詈雑言、直接的な誹謗中傷。僕がか弱い女の子だったら深夜に暗い部屋でしくしく泣いているだろう。しかし結局は自分の発言が悪いのであり、小説が稚拙だからであり、新人賞で連続で一次落ちの才能のなさが悪いのであって、厳しいことを言われるのが嫌なのであれば匿名掲示板を見なければいい、小説を公開しなければいいだけの話だ。やめられないのは、自分が書いたものを読まれるのが嬉しいからだろう。
男の怒りは止まらず、自身のブログで僕を直接攻撃するようになった。この攻撃というのが乙女のような可愛らしさを感じるものなので、いくつか紹介しておきたい。
「前にスレッドでブルーハーツが好きだというが、俺のほうが好きだ!」
「年下のガキに偉そうに言われる筋合いはない! 年上の俺を敬え!」
「お前は匿名掲示板で嫌われ者だ! とっとと消えろ!」
「何年も匿名掲示板漬けだから人格が異常になっている!」
「一次落ちを続けるようなお前に言われる筋合いはない!」
「俺の作品に嫉妬してるから中傷するんだろう!」
「お前と違って俺はまともに働いている! 毎日遊んでるお前と違う!」
僕はこの罵倒を受けて、マナーがなっていないなと思った。小説を貶されたら小説を貶し返すのがマナーだ。ちゃんと固定ハンドルネームをつけて、ちゃんと小説を読んだ上で貶したわけなのだから。小説を批判されれば怒るのはある程度当然のものだとは思うが、だからといって相手の人格を否定してよいというわけではない。無法地帯の便所の落書きの匿名掲示板にも最低限のマナーは存在する。
しかし、匿名掲示板に慣れていない男がそのマナーを知らないは当然な話であって、だからこその反応なのかもしれない。僕だってここじゃなければ初めて読んだ小説にそんなひどいことは言わないだろう。読ませていただきました。とても面白かったです。というような無難な感想をつけるだろう。だから男がおかしいのではなく匿名掲示板に染まりすぎた僕がおかしい。
それをわかった上で、男を馬鹿にし茶化す内容で反論をしてみたところ、やはり返事はとても真面目な怒りに震えたものであった。
久しぶりにいいおもちゃを発見してしまった。最近刺激もなく暇だったからなあ。にたにたとした気持ちの悪い笑みが浮かべながら男の――美樹本の――のブログを読み続けていた。
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