第6話 手術後2 2021年7月30日 さようなら、外脛骨
痛み止めが再開されたといっても痛みが0になるわけではない。10段階で8前後が続く。我慢できるかできないかで言えば我慢できない。入院用に電子書籍や本をたくさん用意してきたがそんなもの楽しめる余裕はない。スマホで現状を記録するだけで精一杯だ。朝食がやってきたが味わう余裕もない。深夜の痛みよりはましだと自分に言い聞かせる。何度言い聞かせたところで痛みが収まるわけではない。歯を食いしばって耐える。この間何度もナースコールを押そうとしてやめた。押せない理由は「この男は痛みに弱いんだ。情けない」と思われるのが恥ずかしい、ただそれだけ。痛みというものは人それぞれ感じ方が違うと思う。もちろん男女でも大きく違うだろう。出産の痛みは男は耐えられないと聞く。実際に男が出産することはありえないためその例えも意味をなしているのかわからない。こうやって別のことを考えていれば痛みが収まるかといえばそんなことは一切ない。前日のようになぜ痛いのかと考える余裕もない。この状態でもナースコールは押せない。なぜなら僕は面子を重視する日本男児であるからだ。痛くないと思えば痛みなど消え失せる。ようは気持ちの持ちようだ。
ナースコールを押した。
30分経った。
再度ナースコールを押した。ナースコールを押して30分待った自分を褒めてやりたい。
この三行の行間には文字が詰まっているが四行前とまったく同じなので読み手のことを考えて書かないでおく。
やっと看護師が来てくれた。誰かを確認する余裕もない。ただ「痛みが強いんです……」と絞り出した。面子も糞もなにもない。格好悪かろうが恥ずかしかろうが関係ない。ただもう痛みが強い、それだけだ。この痛みを収めてくれるのであれば銀行からいくらか下ろして差し上げてもいい。僕の思いを無視するように看護師は「痛み止めを変更できるか確認してきます」とだけ言って去っていった。
確認はいつ終わるのだろうと痛みに耐えて待っていると、手術で立ち会った者と名乗る女性が現れた。術後どうですかという質問に「ものすごく痛いです」とだけ答えると「かなり強めの痛み止め流してるんですよね」とだけ言って去っていった。
日が傾いていくにつれて、8だった痛みが5になった。ハムスターみたいな肉付きの若い看護師が来て体を拭くとのこと。上半身裸になり熱いタオルで背中だけ拭いてもらう。同じく熱い使い捨ての紙のタオルはなにに使うのかと訊くと「お下用ですよ」と言う。「下着も交換してくださいね。脱げますか」に「もちろん脱げますよ」と返す。「じゃ、脱ぎましょうね」に返す言葉がなくなったため下着を脱ぐ。20代前半の女性看護師に全裸を見られてるというAV的なシチュエーションを体験したわけだが、興奮などする余裕はなかった。ただ恥ずかしかった。「もしかして関西出身ですかぁ?」と気まずさをかき消す話題を提供してくれたのはありがたかったが。
昼食後に痛み止めの注射が終了する。術後2日間で終わることに驚くと同時に不安になる。痛みは6前後を行ったり来たり。担当看護師に別の注射に変わるのかと訊くと「いや、もう終わりですよ。注射が朝夕の飲み薬に変わるだけですから」とのこと。もちろんそれだけではないだろうが、僕を安心させるための発言なのでありがたく受け取っておく。
夕食前に包帯の交換とやらをしてもらう。ちゃんと血が止まっているので安心してくださいと言われたので安心しましたと返す。定食屋のおばちゃん風看護師に体温を測られる。37.9度の熱が出たので思わず「コロナですかね」と言うと「コロナだとマジで洒落になんない」と苦笑いされる。トイレに連れて行って貰い戻ってくるとサイドテーブルがベッドの足元の方に動かされており両手を伸ばしても届かず焦る。トイレに行くと動くせいか痛みも7まで上がる。手は届かないわ足は痛いわ、なにもいいことがない。足を伸ばし寝転がった状態ではサイドテーブルが少し離れただけでなにもできなくなることを学べたとプラス思考に捉えておく。しかしこの状態では水も飲めず薬も飲めず食事もできない。こんなことで看護師を呼ぶのはどうかと思うので必死に頭を回転させ考える。ベッドのリクライニングを80度まで上げれば手が届くことを発見したが、サイドテーブルはロックがかかっているようで引っ張っても動いてくれない。ロックの外し方を看護師に確認しなかったことを悔やむが今更どうしようもない。いいタイミングで夕食が運ばれてきたので「サイドテーブルを手前にしたいのですが」と訴えるとサイドテーブルの両端を自転車のブレーキのように握るとロックが外れて動くことを教えてもらった。夕食後の痛み止めを飲む。今後頼りになるのはこれだけだ。
一日に何人もの人がやってきては去っていく。その中に僕に対して悪意を持った人がやってきたらどう対応すればよいのだろう。例えば傷口部分を指やペンなどでぐりぐりやることが大好きな人がやってきたとして、僕にそれを防ぐ手段はない。ぐりぐりとした後ハンマーを叩きつけてくるかもしれない。前述したように傷口はギプスで守られているわけではないので、そういう不審者がやってきた場合僕はそれを眺めているしかない。そんなことを考えていると左足がむずむずとしてくる。なにも不審者である必要はない。看護師や清掃員や介護士がぐりぐりする可能性もある。僕によい感情を持っていない看護師や清掃員や介護士が絶対いないとは言い切れない。無防備な傷口をぐりぐりされるととても痛いだろう。考えていると恐怖で左足がむずむずしてくる。こんなこと考えなければ恐怖でむずむずすることもないのになぜ考えてしまうのか。それは暇だからだろう。
夜中、睡眠薬その他を飲み目を瞑る。不安は的中した。痛みが強まってきた。歯を食いしばって耐えていると抗生剤の点滴とやらを受ける。術後何日かは打つとのこと。また痛みのお祭りが始まる。今朝の痛みを8だと述べたがあんなもの痛みのうちに入らない。これこそが真の痛みだ。左足が花火を上げている。痛み止めがある時代に手術をしてよかったと心の底から思う。そうやって別のことを考えながら歯を食いしばって1時間耐える。1時間耐えられたらまた1時間耐えられると考えていたが、30分を過ぎたところで完全降伏。厚化粧に鎮痛剤を2錠貰い飲むがなんの役にも立っていない。左足は相変わらず野外フェスティバルを行っている。サマーソニックやフジロックではなくノットフェスだ。スリップノットにコーンにマリリン・マンソンが左足で重低音を響かせている。再度ナースコール。とにかくなんでもいいから痛みをどうにかしてほしいと必死の訴えに厚化粧が「うーんでもさっき飲んだばっかりだしなぁ」と渋る。美人だから調子に乗っているのかと怒鳴り散らすのを抑え再度お願いすると「じゃあ上に聞いてくるね」とのこと。またこのパターンか。また放置されるのか。確かに聞いてはくるのだろうがその答えを僕が教えてもらうことはない。苛々が募っていくが、結局手術をすると決めたのは僕なので苛々を他人に当てる権利はない。予想に反して厚化粧が戻ってきた。座薬入れるから尻を出して向こうを向けと言われる。僕は今から美人看護師に座薬を入れられるのかと考えると少し興奮するが痛みが邪魔して興奮が持続することはない。厚化粧は親指と中指で尻の肉をこじ開けた。肛門をライトで照らす。僕は今美人看護師に肛門をライトで凝視されていると考えると興奮が強まる。場所が場所ならそれなりの金額を取られているだろうが、病院では完全無料だ。おそらく今後起きることはないであろうアブノーマルなプレイにより興奮が強まる中座薬を肛門にねじ入れられる。座薬が全部入ったにも関わらず、厚化粧は肛門をぐりぐりとし続ける。恍惚の時間はあっという間に終わった。
鎮痛剤と座薬のおかげで痛みも8から7に減り、深夜2時過ぎに眠ることができた。
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