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【SF】「情報探偵」【ショートショート】

 2100年、東京。空は灰色に霞み、ビルの間を光ファイバーの網が覆い尽くしている。空中輸送ドローンのかすれた音が日常のBGMとなり、人々は道路ではなく「歩行レール」という名の自動移動トラックで通勤していた。地面を歩くという行為は時代遅れとされ、歩行者専用区域には「ヴィンテージ体験ゾーン」というプレートが掲げられているほどだ。
 新宿の裏路地にある「サイバーカフェ・ノマド」は、今や珍しい現金払いのカフェだ。店内にはアンティークな木製テーブルと最新型のARグラスが同居している。オーナーのヤマモト・タカシは、骨董品とハイテクガジェットを同時に愛する変人で、この場所を「アナログとデジタルの境界」と称していた。
 そんな店の隅に座る男が一人。名前はタカセ・レン。彼は「情報探偵」を名乗る変わり者だった。過去の記録やネットに散らばるデータの欠片を組み合わせ、人々の疑問に答えるのが彼の仕事だ。彼の特徴は、妙に間延びした口調とどこか常に寝起きのような表情。そして何より、その無駄に的確な推理だった。
 その日、彼の前に現れたのは一人の女性だった。名前はサクラ・ユカ。年齢は20代後半、既婚者、職業はデスクワーカーといったところか。彼はつぶさに彼女を観察した。ARメガネを外し、薄く塗られたリップが乾いている。彼女は明らかに疲弊していた。
「手短にお願いするわ。時間がないの。」
「いいねえ、そういうの好きだよ。」レンはコーヒーに砂糖を三つ入れながら答える。「時間がないって、みんな大抵そう言う。でも実際には過去の失敗を悔いるための時間はたっぷりある。」
 ユカは無視した。
「三日前、私の弟が失踪した。彼はエクシオ・コーポレーションで働いていたの。最新のAI開発プロジェクトに関わっていたらしいけど、何かがおかしいの。」
 レンは眉を少し上げた。
「エクシオって、あの倫理問題を百回くらいぶっ飛ばした会社のことか?」
「その通り。でも彼らはただの子悪党とはわけが違う。弟のことを調べてる途中で気づいたの。会社のデータが編集されてるかもしれないのよ、誰かによって。」
「データの改竄なんて、今日日何の驚きもない。でもそれが弟さんの失踪にどう関わる?」
 ユカは一瞬口をつぐんだ。
「その編集されたデータの中に、弟の名前があったの。」
「ほう、それは面白い。」レンは椅子に深く座り直した。「つまり、君の弟が行方不明になり、会社のデータが改竄され、その中に君の弟の名前が記されていた。偶然にしては出来過ぎてる。具体的にどういう内容だった?」
「"プロジェクトZ"。その一つの行に、私の名前と住所が。」
 レンは低く鼻で笑った。
「いいねえ、まるで安いミステリードラマの序盤みたいだ。」
「ふざけないで!」ユカは声を荒らげた。「これは本当に起きていることなの!」
 レンは彼女をじっと見つめた。
「分かった、手を貸そう。ただし俺は善人でも正義の味方でもない。それに結果を保証するつもりもない。ただ、この謎が解けた時に僕が得られる充足感、それだけが俺にとっての価値だ。それでもいいなら協力する。」
ユカはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。

 翌日、レンは手がかりを追って渋谷の地下にある「シンセティックラボラトリー」を訪れた。そこは合法と非合法の間を行き来する技術者たちの集う場所で、政府の監視を逃れるために「オフネットエリア」と呼ばれる通信遮断空間を設けていた。
 ラボの中心で謎の装置をいじっていたのはアカリという名前の女性技術者だった。彼女は人工知能に命を吹き込む特殊な技術を持つと言われているが、誰もその詳細を知らない。
「君の弟がエクシオのプロジェクトに関わっていたなら、彼はきっと何かを知りすぎたんだろう。」アカリはそう言いながら、ガジェットのネジを締めていた。「でもだからといって、消されるほどの理由が何か? そこが分からない。」
「お前も危険を感じたことはないのか?」レンが訊いた。
 アカリは笑った。
「危険なんてこの世界では常にすぐ隣だよ。だが、君もそろそろ気づくべきだ。謎を追うだけじゃダメだ。時にはその謎から目をそらすことも必要だって。」
 レンはその言葉を聞き流すようにコーヒーを啜った。そして、ふと呟いた。
「謎を解くのは好きだ。でもそれ以上に、解かれた謎が見せる真実の歪みが好きなんだよなあ。」



 東京の夜はかつてないほど静かだった。音を吸収する「ノイズキャンセリング空間」が街の至る所に設置され、都会特有の喧騒は完全に遮断されている。その代わり、至る所から発せられる無数のホログラム広告が目と脳を刺激し続けた。
 タカセ・レンとサクラ・ユカは、地下鉄の廃駅に向かっていた。2100年現在、地下鉄は地上輸送ドローンや歩行レールに取って代わられたが、かつての駅構内は「グレイゾーン」として監視の目が届かない場所となっている。その駅の一つ「西新宿B3」にはエクシオ・コーポレーションが秘密裏に設置したサーバー群があると、レンは嗅ぎつけていた。
「どうしてこんなところに来るの?」ユカがレンに尋ねた。
「この街で最も安全な場所を探すなら、誰も興味を持たない場所を選ぶもんだ。」レンは軽い口調で答える。「要は、物事は目立たない方が長持ちするってことだ。大体、人間関係も同じだろ?」
「皮肉ばっかり。」ユカは肩をすくめた。「私、弟を見つけるためならどこへだって行くつもりだけど、あんたの態度は本当にイラつく。」
「それが俺の魅力だからな。」レンは笑ったが、その目は笑っていなかった。

 廃駅にたどり着くと、そこには薄暗い空間が広がっていた。壁のあちこちにはグラフィティが描かれ、床には時代遅れの案内板や古びたチケットが散らばっている。だがレンの目当ては別のものだった。
「ほら見ろ。」彼は指をさして言った。
 壁の一角に、目立たない小さなパネルが埋め込まれていた。タッチすると、青白い光がぼんやりと浮かび上がり、メニューが表示される。「アクセス認証をどう突破するかだな。」
「どうやるの?」ユカが身を乗り出した。
「俺は天才だけど、残念ながら魔法使いじゃないんだ。」レンはタブレット型デバイスを取り出し、それをパネルに接続した。「だから、人を頼る。」
その瞬間、デバイスの画面にアカリが登場した。彼女はレンとユカの姿を確認すると、口角を少しだけ上げた。
「君たち、本当にそこに行ったんだね。正気とは思えないけど。」
「お前の正気の基準を教えてほしいね。」レンは画面越しに言い返した。「とにかく、このアクセス認証を解除してくれ。」
「分かった。」アカリは少しの沈黙の後、何かをタイプし始めた。「ここのデータにアクセスできれば、弟さんの行方を追う手がかりが出てくるかもしれない。でも気をつけて。そのサーバーに触れることで、エクシオが君たちの存在に気づく可能性が高い。」
「人生はリスクの連続だろう。」レンは気軽に返したが、その目には緊張の色が浮かんでいた。

 認証が解除され、サーバーにアクセスすると、膨大なデータが彼らの前に現れた。レンは瞬時に検索フィルターを設定し、「プロジェクトZ」という単語を探し始めた。
「これだ。」レンが指をさした。「弟さんの名前が関連するファイルを見つけた。」
 ユカがその画面を覗き込むと、そこには奇妙なプロジェクト概要が記されていた。

プロジェクトZ:人体のデジタル転写実験
概要:意識の完全デジタル化による不死性の研究
……
…………対象者:シモノ・タクミ………………

「デジタル転写?」ユカは困惑した表情を浮かべた。
「君の弟は、おそらく実験台にされた。」レンの声が低くなる。「そしてその意識は、もはや肉体には存在しない可能性が高い。」
「……どういうこと?」ユカの声が震えた。
「簡単に言うと、彼の脳のすべてをデジタル化して、それをコンピュータ上に移したということだ。体はただの容れ物だからな。」
 ユカは絶句した。目の前のデータに記された事実が、現実として理解できるまでには時間がかかった。
「タクミは生きているの?」ユカはレンに問いかけた。
 レンは答えなかった。ただ無言のままユカの目を見つめ、やがてそっと視線を逸らした。

 その時、突然サーバールーム全体が赤い警告灯に包まれた。アラーム音が響き渡り、警告メッセージがホログラムで表示される。

侵入者検知。セキュリティシステムを起動します。

「やばいな。」レンが素早く立ち上がる。「でも思ったより遅かったな。」
「どうするの?」ユカが叫んだ。
「逃げるしかない。」レンは手早くデバイスを片付け、ユカの手を引いた。「ここで捕まったら、君も弟と同じ目に遭うぞ。」

 廃駅の暗闇を全速力で駆け抜ける二人。その背後では、エクシオの無人警備ドローンが追跡を開始していた。逃げ切れる保証はなかったが、レンの顔には妙な笑みが浮かんでいた。
「こんな時でも笑えるの?」ユカが怒りを込めて言った。
「笑うしかないだろ。」レンは息を切らしながら返した。「人生ってのはそういうもんだ。」



 廃駅からの逃走は、映画のワンシーンのようだった。タカセ・レンとサクラ・ユカは地下通路を全力で駆け抜ける。後ろからは無人警備ドローンの金属的な足音が迫っていた。通路の角を曲がるたびに、冷たい人工の光が影を切り裂く。
「これで終わりかもな!」レンが肩越しに叫んだ。
「終わるには早すぎる!」ユカは必死に叫び返す。
 しかし、ドローンは逃げる二人を執拗に追い続けた。その動きはまるで生き物のように滑らかで、どこか不気味だった。レンは短い舌打ちをし、ポケットから何かを取り出した。それはアカリが渡してくれた、古いけれど強力なEMP(電磁パルス)装置だった。
「これが効くといいけどな!」レンは通路の壁に体を押しつけながら、EMPを起動させた。
 微かな振動音が広がり、瞬間、ドローンの光が一斉に消えた。金属の塊が地面に崩れ落ちる音が、後を追って響いた。通路が再び静寂に包まれる。
「よし、一旦これで大丈夫だ。」レンが息を整えながら呟いた。「ただ、これで俺たちのことは完全にバレたけどな。」
「どうするの?」ユカは肩で息をしながら問う。
「どうもしない。」レンは壁に背を預けながら笑った。「こういう時は、何もしないのが一番だ。」

 数時間後、レンとユカはアカリのラボに到着していた。ユカは椅子に座り、目の前のディスプレイを見つめていた。そこには弟、シモノ・タクミの意識をデジタル化したファイルが表示されている。アカリが解析したところ、タクミの意識データは今もエクシオのメインサーバー上に存在しているという。
「助けられるの?」ユカが低い声で尋ねた。
 アカリは首を振った。「技術的には可能。でも、現実的には難しい。彼の意識データを元に戻しても、元の体が無ければ意味がない。もし不完全な状態で戻すと、彼自身が自分を受け入れられない可能性もある。」
「じゃあ、何をすればいいの?」ユカの声には焦りと苛立ちが混じっていた。
「選択肢は二つだ。」レンが口を挟んだ。「一つ目は、このまま彼を放置する。少なくとも、データとしては生きている。二つ目は、データを完全に消去する。これで彼は本当の意味で消える。」
「それは……殺すってこと?」ユカが睨むようにレンを見た。
「いや、殺すとは少し違う。」レンは冷静に答えた。「ただ、存在しないことを確定させるだけだ。」
「他に方法はないの?」
「社会を支えるテクノロジーはほとんどエクシオが握っている。」レンは淡々と続けた。「警察に言っても証拠をすぐに消されるだけだろう。」
 ユカは何も言わずにディスプレイを見つめた。その沈黙を破ったのは、アカリの短いため息だった。
「ユカ、決断は君に委ねるけど、一つだけ言っておく。」アカリが言った。「どんな選択をしても、後悔しない方法なんてない。これが今の時代の人間が背負うべき現実だ。」
「それに、今は俺たち自身の心配の方が先だ。」レンが付け加えた。



 2週間後、サイバーカフェ・ノマド。レンはコーヒーを飲みながら、窓の外を眺めていた。外の歩行レールには今日も無表情な人々が流れるように移動している。その光景は、まるで街全体が一つの機械の歯車のように見えた。
 あれから、特にエクシオからのアクションはない。ここ数日間、アカリはエクシオのセキュリティシステムに情報改竄ウイルスを忍ばせる工作を行い、それが功を奏したのかもしれない。あるいはレンがその後おこなった、ある裏取引が身を結んだのかもしれない。何にせよ、この濁った世界でありふれた違法行為が、起こった、あるいは起こらなかっただけだ。
「お待たせ。」ユカがカフェのドアを開けて入ってきた。彼女の顔は少しやつれているが、どこか晴れやかな表情も見えた。
「どうだった?」レンが訊く。
 ユカは席に座り、しばらく沈黙した後静かに答えた。「データを消したわ。」
 レンは驚いた様子も見せず、ただ「なるほど」とだけ言った。
「タクミはきっと間違った世界に足を踏み入れてしまった……でももう苦しまなくて済む。」ユカは視線を落としながら言った。「でも、それでよかったのかどうかは分からない。」
「正解なんてないさ。」レンはカップを置いて言った。「どんな選択をしても必ず何かを失う。人間はそういう風にできてるからな。」
 ユカは微かに表情が緩んだ。「あなたって、本当に無責任ね。」
「無責任が俺の仕事だ。」レンは肩をすくめた。「君の弟は、君の選択を許しているだろう。あるいはもしそうじゃなくても、もうそれを知る術はない。それがこの世界のルールだ。」

 数日後、エクシオ・コーポレーション本社。巨大なビルの中では、新たなプロジェクトが始まろうとしていた。プロジェクト名は「アルターヒューマンZ」。そのファイルの片隅には、ある名もなきデータが記されていた。それがシモノ・タクミの残滓なのか、それとも全く別の存在なのかは、誰にも知る由はない。

タカセ・レンは、また別の依頼を引き受けていた。新宿の夜に浮かぶネオンの光を背にしながら、彼はふと思う。
「答えの出ない問題ばかりだ。それでも、人はそれを求め続ける。馬鹿げてるけど、それが人間ってやつだ。」
そして、特に意味のない短い舌打ちをして、彼はまた一つの謎に足を踏み入れる。


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