【有益】『地図屋』【ショートショート】

地図屋


 ある都市に“地図屋”と呼ばれる男がいた。
 彼は道も覚えられないほど方向音痴だったが、驚くことに“地図”を売って大金持ちになったのだ。
 彼が売る地図は、普通の地図とは違った。
「幸せになるための地図」
「成功するための地図」
「人生の最短ルート」
──これらの地図は、すべて数十万円、数百万円という高値で飛ぶように売れた。
 彼の店には、スーツ姿のビジネスマンからスマホ片手の学生、疲れた顔の中年まで、ありとあらゆる人間が列を成した。

 ある日、一人の若い男が彼の店にやってきた。
「おっちゃん、そんな地図でみんな本当に幸せになれるのか?」
 地図屋は煙草をふかしながら答えた。
「地図なんて飾りだ。本当に必要なのは、道を探している時間だよ。」
「どういうことだ?」
 地図屋は目を細め、天井を見上げた。
「みんな、地図を買った瞬間に安心するんだ。未来が見えた気になるからな。」
 若い男は笑った。
「それじゃ詐欺じゃないか。」
地図屋はゆっくりと首を振った。
「違うよ。詐欺じゃない。“期待”を売っているんだ。」
 彼は地図の端を指でトントンと叩いた。
「地図を手にした人間は、それを眺めながら自分が歩く姿を想像する。そして、自分の未来が変わる気がする。」
 若い男は考え込んだ。
「でも、その地図通りに行けなかったら?」
 地図屋はニヤリと笑った。
「そうなったらまた地図を買いに来るさ。」

 数ヶ月後、地図屋の店にかつての若い男が再び現れた。
 以前とは違い、少し疲れた顔をしている。
「おっちゃん、あの“成功する地図”は役に立たなかったよ。」
 地図屋は煙草を灰皿に押しつけながら答えた。
「お前、地図の中身を見ただけで満足しちゃいなかったか?」
「……え?」
 地図屋は肩をすくめた。
「地図を買うだけで安心する奴が大半だ。手に入れた瞬間から満足して動かない。地図を広げ、未来を夢見て、そのままベッドに寝転ぶ。」
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
 地図屋は言った。
「簡単だ。地図なんか捨てて、まず歩け。
 若い男は驚いた顔をした。
「おっちゃん、それじゃ地図は要らないじゃないか!」
 地図屋は深く笑った。
「地図が要らないことに気付くやつは、100人に1人だ。その1人だけが本当に“成功の道”を見つける。」
「じゃあ、他の99人は?」
地図屋は再びタバコに火をつけ、煙をくゆらせた。
「何度も何度も地図を買い続けるんだよ。そして俺が儲かる。」

 若い男がその日買った「“地図屋”になるための地図」には、こう書かれていた──“売るべきは結果ではなく、希望”、“地図を売って、道を歩かせるな”、“1%の成功者を生み、99%のリピーターを育てろ”──。
 本当に成功する者はわずか1%、だが残り99%が絶えず「次の地図」を求める限り、ビジネスは終わらない。

 地図屋は今日も店を開け、地図を売り続ける。
 そして客たちは列を成し、同じ質問を繰り返す──「本当にこの地図で成功できるのか?」
地図屋は笑いながら答える。
「それは君次第だよ。でも、君がその地図を手に入れた瞬間、すでに未来は変わっているのさ。」
 そして地図屋は、今日もまた一枚、成功の“可能性”を売るのだった。

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