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最近やっと乗り越えたこと

Acompany 研究開発部門 R&D チームでマネージャーをしている牧野です。
この記事は Acompany Advent Calendar 2024 18日目の記事です。
本当は、適当に個人開発?していた便利ツールの紹介をする予定だったのですが、間に合わなかったので、ここ数年かけてやっと乗り越えた自分の問題について書いていこうと思います。


背景

自分は人生や仕事の面でもで心の問題を解決していくことがとんでもなく重要なんじゃないかと思っています。これを解決できれば、真に幸福になれるし、仕事もうまくいくだろうし、プライベートもうまくいくと思っています。

そういうことに熱心になったきっかけがあります。大体の経歴は以前書いたnoteに記載してますが、そうなった出来事が2つほどあります。

1回目は大学院自体に研究と有償インターンでの労働を毎日休み無くしていて、インターンの方でちょっと色々あった結果、精神を非常に病んでしまいまともに作業も出来なくなったこと。
当時はまさに鬱といった状態で、本当に絶望でしたが、表面上の解決方法が分かったので、ひたすらやっていたら、特に問題なく働いたり、ほぼ完全に元通りにできるようになりました。

2回目は、1回目で精神が病んだ1年半後、解決方法が分かってから急速に回復していて、何なら以前よりめちゃくちゃ調子が良くこれから希望がたくさん見えてきた頃、コロナにかかり後遺症が重く半年くらい寝たきりに近い状態になったことです。

まあ背景は色々あったのですが、ここで自分の心が一回マジでボキッと折れました。こんなに苦しんで頑張った結果がこれなのかというのと、これを乗り越えれる程の何かが自分には存在しないと当時はっきり分かってしまったことです。
後者が自分に取っては非常に問題で、心が折れる音を聞いたというか、本当に心が折れたことを今でもよく覚えています。そして、欲に逃げてボロボロになりました。

また、この時期に同時進行で元々持っていた自分の研究者としての目標や夢が、大した価値がないものだと分かってしまって、目標を転換している時期でもありました。

そういうのも相まって一度完全に心が折れた結果、今まで放置していても問題なかった自分の心の問題が、一挙に大量に押し寄せてきました。そして、それを解決しないと何一つ自分の人生を前に進めることができないと悟りました。

今はもうその頃から4年ほど経っていると思いますが、大部分は乗り越えたなという実感も得たので、そのことについて書いていこうと思います。


1. 完璧主義と自己否定+能力へのプライド

こっちは割と早い段階で乗り越えたのですが、まあ微妙に残っていたので潰していました。

まず、自分はかなり完璧主義が強い性質がありました。
自分で決めたこと、自分の基準をクリアできないと、こんなんじゃダメだと自分を責め続けてしまうという傾向があり、高校の時はラグビーに打ち込んでいたのですが、決めた量のトレーニングを終わるまで絶対に辞めないし、気合が足りなかったり、漫然と練習をしてしまった日には、すごく落ち込んでいました。
浪人中とかも、一日17時間勉強すると決めて、ひたすらやり続けるのですが、どこかの時点でキツすぎて出来なくなってしまい、2日くらいぶっ倒れて寝るが、何で出来なかったんだと自分を責めたり、テレビとかを適当に見てしまった日にはずっと自分を責めていました。
責めるのも時間の無駄だと分かってはいたので、やめようとしていてだいぶ辞めれたものの、その傾向は変わらず、大学に入っても同じような感じで自分で決めた努力の基準を越えられなかった場合は、責めてしまう傾向はあり、だんだん自分の基準をクリアするためだけに生きているのではないかと感じていました。

これは非常に苦しくて、基準をクリアしたその日の夜以外に安息の時はなく、自分を責めるか、基準をクリアしようと頑張るかのどちらかの時間しかありません。
物事を中途半端にやることができずに、0か100でしかやれなかったです。

また、能力へのプライドがめちゃくちゃありました。常に成果を出してきた人生だったので、成果を出す、物事を前に進めるということに対して、非常にプライドを持っていました。そこを侮られるとブチギレて、成果を出すということをよくしていた記憶がありますし、自分の価値は成果を出せることにあるとも思っていました。なので、成果が出せない時にはまた自分を責めていました。

また、言うことを全然聞けない人間でした。結局どこかで自分が一番正しいと思っているので、アドバイスを真に素直に聞くことができない。一回自分の考えを全て投げ捨ててやってみようがやってるつもりでできてない。そう言う人間だったので、色々と脱するのが遅くなったなと思っています。

こんな人間が精神を病んだり、心が折れて何もできない状況に陥ったらどうなるか。もうひたすらに自分を責めていました。プライドもボキボキに折れて、卑屈になりました。
当時は苦しすぎて毎日涙が流れてきたことを覚えています。

体調とか表面上回復させる道筋は分かっていたものの、それが全然できずに、結局自分を責めてしまう。
その結果、自分はなんてダメなやつなんだとか、自分にはできないとか、生きている価値がないとか、自己否定がどんどん肥大化していきました。

何とか解決しようとしていたものの、成果が全然出ない中、地道にやるべきことをやると言うことも全然できずに、中途半端にやっては自己否定で、雁字搦めになりひたすらループしていました。
本当に死にかけで、よくしがみついたなと今でも思います。

結局、こうなっている原因は大体プライドだなと気づき、本当に少しづつ考え方を改めて、普通にできるくらいまで回復していって今があります。

その中でプライドだったり完璧主義をある程度脱することができた気づきを色々挙げてみます。

1.1 自分をコントロールすることはそもそも不可能

人間の意識は99%潜在意識がコントロールしており、自分の意識でコントロールできる部分は1%くらいしかない。究極的には潜在意識を全て地道に変えていくしかないのだが、現状でできる極限の努力は、1%でコントロールできる範囲で頑張ることである。

そもそも今までできていたのも、1%の意識と99%の意識が偶々同じ方向を向いていただけで、全て自分の意志でできていたと言う認識が完全な間違いである。

1%の自分がやりたいと思っていても、99%の意識がやりたくないんだったら、できるわけがない。地球の表面上でりんごが木から地面に落ちるように、当たり前の法則に従って、ただ事象が動いているだけである。

別に表面上できるできないとかどうでも良くて、今の極限をすれば良い。
逆に、今一瞬だけの意志によって全てがコントロールできると思っているなら、おこがまし過ぎます。

1日のほとんどを無駄に過ごして、少しの時間だけ、何を変えないといけないかなどを意識する、これが当時の極限で、本当にこれが最大だと分かってやっていました。
それを少しづつやっていくと、だんだんできる範囲が増えていきましたし、できないなりにやる、少しでもやると言うことが自然にできるようになっていきました。

また、無意に過ごしてしまったや、全然ダメな時期でも、まあしゃーない、今できることをやろうと言う形に切り替えれるようになっていきました。


1.2 今の自分の力は、自分のものではない

当時プライドがバキバキに折れて、超卑屈になっていました。
能力がない自分には何の価値もないとか、自分には何もできない、何も乗り越えられない。もう俺はダメだ、そんな感じでした。

しかし、そもそも今までの自分の能力や、今まで出せた成果は自分の力ではないと気づきました。

ただ今まで為してきた全ての思考・言葉・行為の積み重ねによって、能力が一時的に発現し、周囲の環境も整い、成果が偶々出せていただけであって、能力すらも別に今までの積み重ねによって一時的に得ている程度のものだなと。
で、今は悪い積み重ねによって、この何もできない状態が発現している程度のものである。

だから、今からまた積み重ねていくことだけが、今の自分にできることであり、それ以外にできることもないし、能力やプライドへの執着は苦しむだけなので、執着しないようにしよう。

そういった思考に切り替わっていき、別に今の自分の能力がどうとか、大して気にならなくなりました。結局、やるべきことを積み重ねる以外に何もできることがないし、プライドなんてものにこだわっても苦しむだけだなと思うようになりました。


1.3 自分と他人は人間とチーターくらい違う

そこまで他との比較はしないタイプでしたが、意外とたくさん出てきました。寝たきりだと自分だけ置いてかれているような感覚で、何も上手くいっていないことに対して卑屈になってました。

自分と他人では、初期状態が全く違いますし、延々と積みかねてきた積み重ねも全く違います。
人間に共通して適用できるものや傾向はもちろんありますが、完全に別の生物です。

チーターに100m走負けて、何で俺はでチーターのように早く走れないんだとなるでしょうか?
同じ分類の生物だという程度で、全く別の生物なので比較してもしょうがないです。

そもそも、他人との比較は全く意味がなく、ただ無駄な時間を費やすのみです。
過去の自分とは比較してもいいと思いますが、表面上ではなく根本的な心の成長ができているかどうかを確認するといいのかなと思います。

そんなことせずに他人の良いところを称賛しましょう。これはこれで面白い現象で、称賛するとその要素を無意識に取り入れようとするので、だんだん同じような能力が発現してきます。
そして、嫉妬とかして否定すると、その要素を無意識に自分から排除しようとするので、その能力は死んでいきます。
どんどん称賛して能力をコピーしていった方が、自分のためになります。


1.4 この世界は所詮、法則に従って事象が起きているだけである

まあ初期値鋭敏性があるカオスな現象もありますが、この世界は所詮、法則に従って事象が動いているだけです。

自分だけにはできない、自分だけは乗り越えられない、そんなものは存在しないはずです。それはただ再現性がない方法でやっているだけのことであって、法則に基づいた再現性のある方法でやればいいだけの話です。

この世界の全ての事象も、ただ法則に従って起きていて、事象に対して法則から逆算したアプローチをすれば良い。
もし、今できないのであれば、地球の表面上でりんごが木から落ちるように、レイノルズ数の高い流体が乱流になるように、当たり前の法則に従って起きていることに過ぎない。だから、その原因や法則を分析して、原因に対してアプローチしていけばいいだけ。

まあ、その法則を知っていくことがまあ重要なんですが、仮説は別に立てれるはずですし、たくさんの研究成果がこの世界には転がっています。

よくわからない信念とかモチベーションとか意志とかが自分のよくわからない要素が原因だと思うから自己否定するのであって、こういう自分の要素によって、こう言う原因で、こういう思考や感情が生まれて、できていないと分析していって、分析が終われば、じゃあ変えよう、変えるためにこういうことをしよう
ってなりますね。建設的ですね。


1.5 できないをできるにするには足掻きが一番大事

完璧主義やプライドで一番ダメなことは、足掻きをやめてしまうことです。つまり、できないならもう辞めたってなり、少しもできないことが一番まずいです。
できないことが一生できないままになります。これが一番僕が考える完璧主義やプライドのダメなところです。

なぜかというと、できないことをできるようにするには、足掻くステップが必要だからです。

本当に困難なことは、やろうとしても全然できません。しかし、ほんの少しでも足掻くと、次はちょっとできるようになって、次はまたほんの少しできるようになって、ほんの少しづつ、できない原因が削れていくようにして、できない原因を削り終わった後、いきなりできるようになっていきます。

このような足掻きこそが自分は最も大事な作業だと学んだんですが、完璧主義があると、できないならもう嫌だってなって、これを阻止してきます。

僕はこれに無茶苦茶引っかかっていて、これができなかったが故に、どん底から這い上がるのに本当に苦闘しました。

できないことをできるようにするのは、本当に苦労することです。やろうとしてもできない時期が長く続いて、なかなか結果も出ない日々が続いて、それでも足掻いて足掻いてちょっとづつできるようになっていく。

本当に困難なことを足掻いて乗り越えた経験があると、それはもう何にも変え難い財産になります。

できないことがあってもマジで関係ないです。また足掻けばいけるだろうという確信がすでにある状態から、何に動じることもなく足掻きを始めて続けられます。

結果、できないことができるようになっていきます。人生のどこかのタイミングで困難にぶち当たるものです。その時足掻けるか否かが、何かを達成できるかできないかを分けるのだと思っています。

2. 因果の誤謬、苦しむだけの価値があるか?

コロナで死んでた後、僕の中で色々とバランスが壊れました。
人生頑張ってきて、一度はダメになりかけたけど、それを乗り越えるために再起して努力していって、こんなことになるのかと。
本質的にそこに因果はなくて、頑張ってきたこととは、全く別の因果によって鬱になったり、コロナになったりしたわけですが、人間とは愚かなもので、すぐに因果を間違えます。
僕も、頭では分かっていましたが、深い意識では完全に何かを頑張ることが嫌になってしまい、もう何か頑張ってもしょうがなくね?またこんなことになるよ。と言う認識が深く根付いてしまっていました。
完全に因果の誤謬なのですが、苦しむ原因になる観念などはまあ大体こうやって作られていく気がしています。

2.1 Post hoc, ergo propter hoc.

この言葉は、預言者ピッピという漫画で知った言葉ですが、その時からとても好きな言葉です。
前の事象が原因となって後の事象が起きたと判断する、前後即因果の誤謬という意味です。
例えば、雨乞いしたら直後に雨が降ってきたとします。ほとんどの確率において、雨が降ったのは雨乞いをしたからではなく、別の要因でたまたま雨が降ってきたのだと思いますが、雨乞いをした直後に雨が降ったという理由だけで、雨乞いをしたのが原因で雨が降ったんだと、因果を勘違いしてしまいがちです。
そのことを、前後即因果の誤謬と言います。

人間は無意識に強くこの傾向があり、直前のことを因とし、直後に起きたことを果だと断定してしまいがちです。よくわかんない謎のルールとか観念はこうやってできていくことが多いです。

基本的に因果をちゃんと認識するためには、再現性に注目するべきです。
もちろん、本当の意味で因果だと言い切るなら、ちゃんとデータを取って因果分析をして、他の要因を全て排除して、とやらないといけないですが、そんなことは日常では無理ですし、一個作るのにどれだけ時間がかかるんだって話になります。

再現性に注目して、毎回同じ現象が起こるのだとしたら、まあ大体正しいと言っていいだろう。逆に、たった一回の不確かなもので因果で判断することは頭がおかしいという感じです。これは前後即因果の誤謬を割と簡単に抜けれる思考方法の一つです。

100回雨乞いして100回雨が降ったり、別の地域でも試したり、時間帯を変えて試したり、それでも雨が降るとしたらその雨乞いは本物で、雨乞いをした結果雨が降るという因果は正しいと言っていいかなと思います。

厳密にできなくても、これするとなんか毎回苦しくなるなとか、これをすると毎回良い状態になるなとか、そういう再現性について着目して因果を認識していくべきであるし、20年前のあれが・・・?みたいなこともあるので、安易に判断して観念を作るべきではありません。


僕の場合、元々、努力したり辛いことを乗り越えるのはかなり好きで、なぜかというとその後に確実に結果が待っているとわかっているからです。
ただ、この2回の出来事以降、努力した結果やばい状態になることもあるという認識になってしまいました。もちろん、別の因果から由来なので間違っているのは表面上分かっていても、やってしまいがちです。

その結果、やりすぎることを過剰に恐れて、すぐに休んでしまうようになったり、そもそもものによっては全然やることもできなくなったり、即物的に快楽を得られる欲に逃げてしまうようになったりしてしまっていました。

これには、もうすごく長く苦しみましたが、乗り越え方はシンプルで、ちゃんと因果を認識して、刷り込んでいくというだけです。

僕の場合は、再現性があることがある程度正しい因果だと認識しようということを自分に言い聞かせて、
じゃあちょっとずつ色々やってみて、ほらやっぱりいい状態になったという経験や、欲に逃げてやっぱり悪い状態になったという経験を積み重ねて、それを記録していって、まとめて、毎日毎日読んで深い意識に刷り込んでいくという作業をしていました。

その結果、認識はほとんど取り除かれてきて、この観念から影響を受けることがほとんどなくなっています。
ただ、簡単に書いてはいますが、もがいて全然できなくての繰り返しで4年ほどかかっています。まあ自分の根本的なところだとそんなもんですね。気長にいきましょう。

2.2 苦しむだけの価値があるか?

人間が一見辛そうなことに立ち向かって乗り越えられるのは、その先にそれ以上の価値があると分かっているからです。
ただ無意味に苦しむのだとしたら、そんなものには耐えられないでしょう。
この問いが自分の中で非常に重要なものだと思っています。

しっかりと苦しみと喜びのバランスを認識することが大事です。
例えば、ゲームをずっとしてしまった。その結果、次の日体調も悪いし、頭も働かないし、とにかく辛い。そういう状態になることを何度も経験していたとします。

で、得られる喜びと苦しみを全部書き出して、じゃあ、この一瞬の喜びは、こんなけ苦しむだけの価値があるのかという問いを毎回持つようにします。
この辺の参考になるもの、謎のnoteに書いた気がします。

ポイントがあって、因果を含めた全体をちゃんと認識することです。
例えば暴食したとします。超短期で見れば、たくさん食べて美味しかった。でいいですよね。
ただ、そこを原因として、消化で疲れて脳が働かなくなって、太って、病気になって、病気になって苦しんで、といった結果含める必要があります。先のことは難しいですが、含めれば含めるほど正確にはなります。

逆に、ある程度大変で苦しそうなことでも、その結果どうなるかをちゃんと認識して刷り込んでいくと、
これは苦しんでもそれ以上の喜びが得られてやる価値があるから耐えようと、そういうことができるようになっていったりします。

そうすると、だんだん辞めるべきことを辞め、やるべきことをやれるようになっていきます。

最初に言っていた、1%の意識でできる努力の一つですね。真の意味では99%の潜在意識をこうやって変えていかないと解決はできません。しかし、一旦ちゃんと根付けば、あとはやりたいとか関係なく自動でできますし、辛いという気持ちはほぼなくなります。

小さいことですが例えば、本当に最近になって、やっと暴食を辞めることができて、体重が5kgくらい減りました。
やろうとして良い習慣も当たり前にだいぶできてきましたし、強固なものになってきました。
それによって、だいぶパフォーマンスを取り戻していますし、QOLが爆上がりしています。

もちろん、コロナとかになる前は、もっと良い習慣が当たり前にできていたのですが、深い意識での問題が表面化すると、全くやれなくなったりします。そこからの闘いが本当の闘いです。しかし、その先に本当に素晴らしい状態はあります。

モチベーション

冒頭で、
この時期に同時進行で元々持っていた自分の研究者としての目標や夢が、大した価値がないものだと分かってしまって、目標を転換している時期でもありました。

とかきました。自分が何を目指したいのか、どうなりたいのかよくわからなくなっていて、モチベーションや目標を見失っていました。

しかし、これだけ苦しむ中で、

ここ苦しみを全て駆逐したい
二度と苦しむことがない状態になりたい

という強いモチベーションと目標が生まれました。これは消極的に苦しみを避けようというのではなく、その途上はどれだけ苦しんでもいいから、二度と苦しみが生まれない状態に到達してやるという覚悟でもあります。

そして、一つ一つ苦しみながらも、脱することができていて、ああこうやって幸福に到達するのかと日々噛み締めています。

終わりに

その他にも、承認欲求とかいろんな欲とかいろんな問題とかたくさん乗り越えてきたのですが、大きなやつだと上記のやつですかね。
同僚に似たようなことを話す機会もあったので書いてみました。
乗り越えると本当に楽になるし、心が自由になるので、ぜひ頑張ってみてください。

何かしら皆さんの人生の参考になれば幸いです。

また、弊社では特に最近はTEEの人材や開発強めのR&D人材、それやR&Dに限らず色んなポジションで人材を求めているので、もし一緒に働けたら嬉しいです。気軽に応募してください。


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