両親に正面から「ありがとう」と言う
照れくさくて言えない
日頃、ちょっとした「ありがとう」は沢山あるけれど、きちんと畏まって心からの感謝を親に伝えられる機会が沢山ある人は幸せだと思う。私は恥ずかしくて無理。結婚式で娘さんがご両親に手紙を読むシーンくらいしか思いつかない。しかし2年ほど前に思いがけず、多分、生まれて初めて真面目に心から、両親に「ありがとう」を伝える機会が巡ってきた。
39年前のピアノ
うちには古いピアノがある。1982年製のアップライトピアノ。親が言うままエレクトーンからピアノに転向した私が、5歳か6歳の時に買ってもらったもの。良いピアノは鍵盤に弾力があり、叩くと重厚感のある音と美しい余韻を出す。しかしその鍵盤は、筋力のない子供の指にはとても重い。当時、女の子がいる家では多くがピアノかエレクトーン教室に通っていたが、うちのピアノはどこと比べても鍵盤が重く、ソッコーで練習が嫌になった。黒ではなく茶色というのも、前体的なデザインも気に入らなかった。口から出るのは不満ばかりで、「もっと普通で軽いピアノが良かった」と、何度も母に文句を言った。そのうち指の筋力もつき、15歳まで続けそれなりのレベルまでは上達したが一度も情熱は沸かず、その後は弾かなくなってしまった。
それから25年ほど経ち、調律も全くしなくなったピアノは弦が錆びるなどして、たまに触っても間延びした音しか出なくなっていた。
仕事で大きなストレスを抱えて
この頃、仕事で突然大きなストレスを抱えた私はその捌け口を求めて、自室に飾りで置いていただけの電子ピアノを、毎日深夜に荒くれた感情のまま叩きまくるようになっていた。
不思議だが同じ頃、母が、家のピアノを処分していいかと聞いてきた。使わないのと場所を取るのとで、何年も前から考えていたが言い出せなかったらしい。もう調律してもダメだろうと考え、新しいのを買おうかなと考えながら、あっさり応じた。
ただ、練習すらまともにしなかったものの、音色以外にもなんとなく、外観の風格というか、何かわからない雰囲気を子供の時からずーっと感じていたのも事実である。改めてじっくり眺めてみると、やはり何かがある。私は初めて天板を開けて型番を調べ、ネットで検索した。
鳥肌が立った
我が家のピアノは、アップライトながらYAMAHAの最高技術を集約した芸術品と評され、今でも希少品として流通しているピアノであった。現在は輸出入の規制により材料が簡単に揃わず、もう同じグレードのものはコスト的に作れないらしい。更に当時の購入価格を母に聞いてひっくり返りそうになった。元々私からピアノをやりたいと言ったのではなく、両親はピアノを弾かない。せいぜい中学、もしかしたら小学生の間も続くかどうかと考える買い物で、何故これを選んだ?どういうつもりで買ったのか?と、ちょっとしたパニックを覚えた。購入当時、家計に余裕があったとは全く思えず、実際余裕はなかったのだが、展示場で母が気に入ったらしく、やはり値段で悩んだがこれに決めたとのことだった。恐らく、相当なやりくりをして娘の為に買ってくれたピアノだったのである。
親の想いも知らず、感謝もなく惰性で続けていたピアノ。放置した挙句、安易に処分しようとした自分に、経験したことのない感情が込み上げてきた。ピアノとして生まれてきたこのピアノに、本当に可哀想なことをしてしまった。その感情のままを母に伝えた。自責と、やっと気づいた感謝の気持ちを込めた、心からのありがとうを全部伝えた。
父にも同様に伝えたところ、これが父にとって相当な驚きと感動だったらしい。詳細は書かないが。私は父に対して、日頃、よほど冷たい態度を取っているのだと感じた。自分にそんなつもりはないのだが、多分そうなのである。
大規模メンテナンスを経て
調べてみて、ピアノは災害で水没したりしても修復が可能だと知った。すぐにYAMAHAに相談し、3ヵ月かけて修理をし、輝きと音色を取り戻したピアノの練習を25年ぶりに再開した。ストレスだらけの心を包んでくれる、なんとも深い音色である。ヴィンテージワインにも似た余韻。そしてこの弾力。ただ、指の筋肉はやはり落ちてしまい、息が上がって一曲が完奏できない。それでも楽しいという感覚をこの歳で初めて感じた。電気を使わずに楽器そのものから出る音は細胞に染み渡る。39年前、全く素人の母がこのピアノに目を留めた、その感性にも恐れ入る。気付くのに時間がかかったけど、買ってもらって本当に良かった。
私を追い込んだ、あの異常なストレスにも感謝しようと思う。あれが無ければ再びピアノを叩くことはなく、大切なことに気づかないままきっと手放してしまっていた。考えるとゾッとする。
楽器というのは標準のグレードでも決して安くないものが多く、場所も取る。ピアノもそうである。それに月謝だってバカにならない。大人になってやめてしまった人、処分した人も多いだろうが、子供の時に家にピアノがあった人、習い事やお稽古塾に通っていた人は、それが今役に立っているかどうかはともかく、改めてご両親にきちんと感謝を伝えてみられてはいかがだろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?