40回目の誕生日

今年の誕生日が新月だということは、2020年の手帳を買って開いた時からずっと楽しみにしていた。

新月時刻は12月15日午前1:16ごろ。

2020年だし、40歳だし、新月だし、皆既日食だし、(大安だし)、それだけで何だかわくわくしてしまう。そんな性格でちょっと恥ずかしい。

今年は世の中が色々と変化して、思わぬことが起こっているけれど、私の中も色々と変化して、思わぬことが起こっている。新しい世界へ向かうための毒出しがどんどん進んでいる感じ。みんなもそうなのかな?

そんなふうに感じて過ごしてきただけに、誕生日までに断食をしようか?とか、どこかひとりで旅にでも出ようか?誕生日はどう過ごそうか?なんて考えを巡らせていたけれど、そんなタイミングもないくらいあっという間に時は過ぎて、誕生日当日を迎えていた。特別感は全くなく普段通りの誕生日、むしろそれまでの日々の方がずっと特別だった。

年末の仕事で忙しくしている夫は前夜に帰ってこなかったので、私は日が変わる前に寝ていた。朝起きてiphoneを見ると、15日0:00 に LINE にメッセージが夫から届いていた。何も予定がないけれど、それだけで気持ちは温まり、そのあとは家のことや制作を少ししたり、やるべきことをした。

以前、いつも足もみを施術してもらっている先生と話しているとき、先生の旦那さんと私が同じ誕生日だという話になり「誕生日は運気が上がるから宝くじ買うといいよ」と教えてくれた。「欲は出さずに3枚ね、ちょっと増やしても奇数にしてね」ということで、そのときから今年は買ってみようと思っていて、そのうえ数日前に急に鎌倉へ行く機会が訪れて歩いていたら、岩の中にある銭洗弁天宇賀福神社というところに吸い込まれ、いつの間にか千円札を一枚洗っていた。有意義にお使いくださいと言われた、のか書いてあったのかはっきり思い出せないけれど、これで宝くじ買うしかないと思ったのだった。

そういうわけで、日が暮れてきたので制作を切り上げて家を出て、いつも買い物する食品店のすぐ近くにある宝くじ売り場へ向かった。10人くらい並んでいたので先に買い物をすることにして、夕食は何にしようかと考えながら(本当は近所の寿司屋の美味しそうなちらし寿司をデリバリーしたかったのだけれど、休みだということがわかり少し気落ちしていた)、なんとなく目に入った魚の切り身となめこ、苺とバナナを買い、ふたたび宝くじ売り場へ戻ったら並んでいなかったので、千円札で3枚買った。

そして宝くじ売り場から振り返ると花屋が見えて、誕生日と言えばお花いるよねと思ってそちらへ向かい、よくある駅構内の花屋なので好きなのあるかなあと見ていたら、華やかな花の中にひっそりと静かな水仙を見つけて嬉しくなった。水仙は特に好きな花ではなかったけれど、数年前に大自然の野に咲く口紅水仙の美しさに心を奪われてからは、普通の水仙も好きになった。3本買って、良い日だなあと思いながら帰った。

家について少しすると夫も帰ってきて「お誕生日おめでとう」と何回も言ってくれた。なんだか私より嬉しそう。そして素敵なプレゼントをくれて、一緒に夕食の準備をして、美味しい食事をして、生まれてから今日で40年経ったことに感謝した。

まちにまった40歳、新月だし、何かあたらしいこと始めようかなということで翌日だけど note を書いてみた。なんか宝くじの話になってしまったけど、まあいいか。今年の2月に96歳で旅立った祖母は宝くじが大好きで、昔から会うたびに宝くじの話をしていたし、認知症になってからも繰り返し言いつづけていたから、私にバトンタッチされたのかもしれない。買ってきた宝くじは祖母の写真のそばに置いた。

今朝は水仙の花言葉が気になって検索してみたら、「自己愛」「神秘」だった。また心に響いて、好きになった。



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