逃げろ!ドブネズミ!
僕が小学生低学年の頃だと記憶するが、
当時、近所に、中華屋さんがあった。昔ながらの町中華というやつだ。その店には、僕より一学年下の男の子がおり、通学の班も同じだったため、そこの大将、すなわち、その男の子のお父さんとも顔なじみだった。
あるとき、その中華屋さんの裏口にあたる道路を歩いていると、なにやら「チューチュー」「ガタガタ」と聞こえる。
「?」
なんだろうと思った僕は、そちらの方に目をやると、小さなカゴのなかにネズミが三匹ほど入っている。
灰色をしたその身体から、ドブネズミであろうことは、一目瞭然だ。
幼い僕は、それが捕まったネズミだとも思わず
「中華屋さんの裏口でネズミをカゴに入れて飼ってるのかな?」
と間抜けなことを考えていた。
するとそこに店の大将が出てきたので僕は尋ねた。
「おじさん、そのネズミ、なに?」
すると大将は、
「ワナを仕掛けて捕まえたんだよ」
というので、
「捕まえてどうするの?」
と続けると、
「このまま水の中に沈めて殺すんだよ」
と言った。
「何て残酷な!」
僕は言葉を失った。
いつも僕に優しく声をかけてくれる友達のお父さんでもあり中華屋さんの大将でもある目の前の人物が、とてつもなく悪いやつに見えてきた。
甘いエサで、動物をおびきよせ、そして、捕まえ、
水につけて殺し、その肉をギョーザにしているのだ。きっとそうだ。シューマイにされた動物もいるかもしれない。
僕の妄想は広がり、
僕は、「動物虐待中華ジジイ」をにらみつけて、その場を立ち去った。それも、ダッシュで。
僕は自宅にもどり、家に居た母にその事を話した。
僕は動物好きなのだが、それは、母譲りと云える。
当時、犬はみんな外で飼っていた。
それを母は不憫に思い、
そんな犬を見つけると、見ず知らずのその家を訪ねていき、
「もっとふわふわの暖かい犬小屋にしてやれ」
と訳のわからぬことを言って度々問題になっていた。
僕は母に
「ふわふわの暖かい犬小屋」とはどういうものかと聞いたことがあるが、いまだに明確な回答はない。
さて、そんな母なので、
中華屋のネズミ水攻めに黙っているはずがない。
「あのおっさん!そんな残酷なことするんか!
前から不味い不味いとはおもとったけど、やっぱりまずいわ!あそこの中華!」
と、中華屋の味に難色を示し、
僕に、まだ、ネズミがカゴの中にいるか見てこいと
命令した。
僕が見に行くと、
居た。依然として、カゴのなかでガサガサネズミたちは動いている。
すぐさま戻り母に告げると、
「よっしゃ、ほんなら、いくでぇ。ついておいで」
というので僕はすこしワクワクしながら母と共にまた中華屋の裏口に向かった。
中華屋のすこし手前の電柱の影に、母は身を隠した。
僕にも近くによれと合図してくる。
いい年した大人がこんなスパイごっこみたいなことを真剣にやっている事実が
ますます僕のワクワクを掻き立てた。
母は
「どこにおるん?ネズミ。」
というので、
「あのドアの手前においてあるカゴ見える?」
というと、
「見える見える。あれやな?」
すると母はどこからともなく軍手を取り出し、
「ネズミはかわいらしいけど汚いからな、あんたも、かわいいからゆうて、さわったらあかんで!」
という台詞を残し、
腰をかがめて小走りで中華屋の裏口に向かって走っていった。
途中、つまずき、転びかけるところが、中年期に差し掛かった女の悲しいところでもある。
なんとか母はネズミのところにたどり着き、
カゴを抱えて戻ってきた。
「よし!こっちや!ついておいで!」
と僕は云われて、軍手をはめてネズミの入ったカゴを抱えた母のあとをついていった。
中華屋から我が家を挟んで裏手にある、
ボロっちいビルとビルの間に、草がボーボーの空き地がある。
すこし草を掻き分け、なかに入っていき、
そこで母は、カゴのふたを開け、
ネズミを野に放った。
三匹のネズミは、みんなバラバラに走りだし、瞬く間に居なくなった。
全く仲間意識も協調性もないネズミたちだ。
当然、逃げ様に振り返り、ペコリと頭を下げましたとさ、みたいなことも全くなかった。
そんなことはどうでもよいのだが、
さて、ネズミが居なくなったあとのこのカゴをどうするかだ。
もとあった場所に戻しにいくのもなかなかリスクが高い。
もし、中華屋の親父に見つかるようなことがあれば、僕たち親子が水攻めにされる可能性も否定できない。
そして、このカゴを戻せば、また、犠牲になるネズミが出てくるに違いない。
そんなことを母と話した結果、
「よっしゃ!お母さんに任しとき!ええ考えがあるわ」
と言って母がとった行動は、
「もともとおいてあったカゴの場所からすこし離れたところにカゴを置く」
というものだった。
それのどこが「ええ考え」
なのかは解らないが、何事もいつも詰めが甘い母なのである。
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