音楽の記憶
私が初めて触れたジャズは、多分ルイ・アームストロングの「What a Wonderful World」だったと思う。お年玉で買ったラジカセでFMを聞いてた時に偶然かかった。味のあるしわがれた声は、思春期を迎えた心に、妙な切なさと温かさを投じてくれた。
dc DAYSで、心を支えてくれたのはノラ・ジョーンズの「sunrise」だった。深夜の静寂の中で、冬の朝焼けが差し込むひんやりとした窓辺で、なかなか進まない英語の予習で疲れた頭を緩め、新しい1日への出発を後押しをしてくれた。
とはいえ、私が小さな頃から慣れ親しんでいたのは、食事を作りながらいつも母が台所で歌っていた民謡だった。のびやかで感情豊か。こぶしもよく回って、子どもながらに「いい声だなぁ」と感心しながら聞いていた。母方の祖母は、女性会の踊りのチームに入って盆踊りに駆り出されていたそうだし、鈴を片手に、深く静かに御詠歌を歌っている姿も記憶している。父は父で、若い頃はギター片手に三橋美智也をよく歌っていたそうだ。兄は合唱団でとてもきれいなボーイソプラノだった。
元来うちの家系は目立ちたがり屋なのか、お調子者なのか、お正月ともなると、毎年親せき一同が集まり、旅館に泊まってカラオケ大会が催された。みんなに持ち歌があり、力の限り熱唱。もちろん子どもたちも例外でなく、オモシロネタを披露するか、うまく歌えると100円のおひねりがもらえるので、真剣に頑張った。
きっとこれが、私にとっての最初の音楽の扉だったんじゃないだろうか。「歌う=楽しい」がここで培われた。そして人前で何かをする度胸も。
その後も生活の中には必ず音楽があった。中学生時代はピアノにあこがれ、高校ではギター部へ。クラッシックが弾ければ、アコースティックもエレキも弾けるようになるとGBに書いてあり、真に受けて入部。コンクールでちょっとした賞をもらい、調子に乗って音楽の専門学校に通いたいと家族に相談するも、真剣に取り合ってもらえず撃沈。結局福祉の道へ進むことになった。
今でも思う。もし、真剣に音楽と向かい合ってたら、どこまでやれたかなって。でも突き詰めるには「何となく違う」という直感があったのかも知れない。今の仕事と比べると、突き抜ける勢いが全然違うことが分かる。ただただ無心に、気持ちのままに、誰に何を言われても自分を信じて前に進む勢い。私の場合、それを音楽の中ではなく、今の仕事の中に見つけたんだと思う。
今の仕事に関わってから、いつしか音楽との触れ合いが遠のいていた時期が長くあった。音楽が入る余地すらないぐらい、目まぐるしく日々を過ごしていたんだと思う。それはもう、150%、200%の勢いで。
でも、senriJazzに出会って、ふと足が止まり、音楽の扉が再び開いた。彼の音楽の影響で最近買ったピアノ。弾いていると気持ちが落ち着いて幸せな気持ちになる。ギターの音色は今でも大好き。ゴスペルを聴けば自然に涙があふれる。もっと音楽に素直になりたい。前よりももっと自由に音楽に触れたい。音楽こそが、自分の心を無条件に開放してくれる唯一のものなんじゃないかな、と最近思う。