脳と人類史〜うまく生きられないのは、あなたのせいじゃない〜
先日図書館で借りたこちらの本。
アンデシュ・ハンセン『メンタル脳』
中高生向けに書いただけあってめちゃ分かりやすく核心をついている本。
この本を起点に「脳の話」をしようと思う。
(歴史の話はちょっと待ってね)
脳が最優先にしていること
脳は何を最優先と捉えているのか?
それは「生き延びること」
生き延びて、子孫を残すことが組み込まれている。
生き延びるためには、危険を避けなければならない。
危険を遠ざけ、安全な状態にするために脳は、「不安や恐怖」という「感情」を使う。
反対に、いい気分や感情はどうか?
幸福はモチベーションになり、目標にむかって努力できる推進力になるが、
でも、心地よい気分や満腹感はすぐに消え去るようにできている。
仲間と過ごす楽しい時間や美味しい食べ物を食べたって、その時の幸せ気分は長続きしない。
だいたい、昨日食べたもの覚えてますか?
(私は思い出すのに時間がかかります…笑)
幸福は長続きしない。
それは死なないため。
また、ストレスと不安について、「ストレス」は身体や心への負荷に対する反応のことで、「不安」=「事前のストレス」といえるそう。
かつての人類にとって死の危険があるストレスというのは、例えばサバンナでトラと鉢合わせしてしまったときなど。そんなときは逃げるか、戦うかしかない。これを「闘争逃走反応」という。
ひとまず脳の性質をおさえたので、ここから人類の歴史をみていきますよ〜!
私たち人類はどうやって生き延びたのか(前提の話)
私たち現生人類は「ホモ・サピエンス」と呼ばれる。よくある進化の絵で記憶している方も多いかもしれないが、猿から一直線に進化したわけではない。
意味不明になりそうな方のためにもうちょっと説明すると、犬にプードルとか秋田犬といった犬種があるように、ホモ・サピエンスも「人類」のなかの一種。いま地球上には、ほかの人類はいない(絶滅した)ので、人類=ホモ・サピエンスと考えがちだが、厳密には違う。
我々、ホモ・サピエンスが地球上に登場したのは、約20〜30万年前という。さらに大昔、地球上には、ホモ・サピエンス以外の人類がいた。
ホモ・サピエンス以前の人類の最古と言われているのが「サヘラントロプス・チャデンシス」。この人類は600〜720万年前と推定されている。
ちなみに、有名な「ネアンデルタール人」はホモ・サピエンスの直接祖先ではなくて、共通祖先から枝分かれした別種。北京原人とかジャワ原人とかいう「原人」は正式には「ホモエレクトス」と呼ばれ、こちらも別種。(話をややこしくしている感・・)
そういう人類を含めて考えると、私たちは多くて719万年間(定住してからの1万年を引いてみた)、外敵に怯えながら、狩猟採集生活をしていたことになる。
半分納得?半分ホラーかSFな気がしてこないだろうか?
(詳しくは知らないが、生物学的な?進化のスピードは非常にゆっくりだときいたことがある。)
という前提(長くてごめんなさい)を踏まえて、人類が長〜い間どのような生活をしていたのかみていくことにしよう。
私たち人類の長きにわたる生活様式
約400年前のアウストラロピテクスの時代には、かつて果実などを食べていた樹上生活から降りてきたころ。土を掘って塊茎や根を主食にしていたと考えられる。
とはいえ、いつ外敵に襲われるかわからないため、警戒しながら。そして、むれをつくると襲われにくくなるため、集まって生活していたという。
アフリカのホモ・サピエンス
私たちホモサピエンスは、30万〜20万年前にアフリカに暮らしていた1万4000人ほどの集団からはじまった。
さらにその集団からわずか3000人ほどが、10万〜8万年前のアフリカを出て世界に広がったのだ。
アフリカにいたホモ・サピエンスは、野菜、果物、貝類、魚、狩りで仕留めた肉、昆虫などを食べて生きていた。
また、火の利用は10万年前以降の考古学的証拠がみつかっているが、おそらくそれ以前から山火事などで焼けた動物や植物を食べていたと考えられている。焼いたものはうまいし、消化にもいい。
アフリカから出たホモ・サピエンス
アフリカから出たみなさんはどうなっただろうか?
寒い地域に行った人々は、洞窟の中で寒さをしのぎ、冷凍保存した肉を焼いたり、スープや粥のようなものを作っていた。生き延びるために命懸けで動物を狩ったり、魚介類や植物など食べられるものを探していたのだろう。
とくに2万4000年前〜1万8000年前は最寒冷期であり、地球がものすごく寒かった。
日本にホモ・サピエンスが住み始めたのは、約3万8000年前。
ここでこの時代の日本の様子をお伝えするので、想像してみてほしい。
北海道はサハリンと陸続きで、現在のシベリアの様相。
津軽海峡が冬場は凍りつくため、本州と陸続きに。
さらに本州と四国、九州も陸続き。瀬戸内海は完全に陸。
・・・冬に書くんじゃなかった。書きながら寒くなってしまった。
もちろん温かい地域に渡ったホモ・サピエンスもいた。温かい地域は植物が
豊富にあり、海の幸もゲットできた。
(彼らの方が食料の面ではラッキーだったのかもしれない。)
死亡率と平均寿命
定住生活がはじまったのが約1万年前。なのでそれまで人類は、テントのような簡易的な家または洞窟のようなところに住み、協力して狩りをして獲物をしとめたり、植物を探して歩き回ったりして生きてきた。
猛獣に襲われることもあっただろうし、危険な場所から落ちて死ぬ、怪我をしただけでも傷口から感染をおこして死ぬことだってあっただろう。子どもの死亡率も高かった。
とにかく、死亡率が高かった。
こちらの表をみると衝撃が走る。
もちろんどの時代にもご長寿はいたけれど、若くして死ぬ人がかなり多かった。
人類は、つねに死と隣り合わせで生きてきた。
というか、この表をみただけで、わざわざ旧石器時代まで引っ張ってこなくてもよかったかもと一瞬思ってしまった。笑
現代社会と脳のありがた迷惑
ということで、現代の脳に戻ろう。
現代は平均寿命も延びに延び、先進国ではすぐ死ぬことは考えなくてよくなった。
だけど、以上の話から何か見えてこないだろうか?
私たちは、ともすれば「幸せに生きること」「ポジティブな気分でいること」を望み、そうなれない自分を責めてはいないだろうか?
また「人前で話すのが苦手」、「変化することに恐怖を感じている」、「世界のニュースを見聞きするだけで不安で落ち込んでしまう」、「SNSのキラキラした人と比べて落ち込んでしまう」、「孤独を感じて辛い」・・・このような悩みはよく聞く。
悩むだけでなく、さらに悩んでいる自分を責めてしまう人だっている。
でも、このような悩みを作り出しているのが、脳だとしたら?
しかも、脳は自分自身を生き延びさせるために、よかれと思ってやっているのだとしたら?
生き延びるために、良い気分より、悪い気分が出やすいのがデフォルトだとしたら?
もちろん現代社会にも問題はある。
もともと多様性があったからこそ生き延びてきたのに、近代国家以降、画一的な教育や軍隊などによって、同質化するよう求められてきた。→会社での働き方や学校教育に違和感を持つ人が増えている。
もともと食べ物に飢えていたから、甘いものや油っこいものを好むようにプログラムされているのに、現代ではそのような食べ物にあふれている。→肥満や生活習慣病の問題。
もともと人は、共同体に爪弾きにされないように、周りと自分を相対的に比べるようにできているのに、かつては多くて150人くらいの集団だったのが、世界中の人と比べられるようになった。→SNSをみて落ち込む。
もともと猛獣や隣村の集団に襲われる危険性を抱えながら生活してきたから、世界のニュースが入ってきたとして、刃物をもった男がアフリカにいるのか、あなたが腰掛けているソファの隣にいるのか、脳は判断できない。→ニュースを見聞きしただけで、不安やストレスを感じる。
こうしてみてみると、心地よく生きられないのは、脳と現実社会とに齟齬があるからでは?と思えてくる。
決して自分が劣っているから、ではないのだ。
(自責癖の強かった、かつての自分に伝えたい)
実社会の問題も解決(緩和)することを願うがその前に、ひとまず脳と社会との折り合いをつけられると、もっと心地よく生きられるかもしれない。
例えば、ネガティブに目が行きやすいから、ポジティブに目を向ける習慣をつける、とかね。脳は「慣れ」が好きだから、何回もやっていくとそのうちできるようになるはず。
アンデシュ・ハンセンは言う。
脳よ、いつも守ろうとしてくれて、ありがとう。
<参考文献>
・アンデシュ・ハンセン『メンタル脳』
・更科功『絶滅の人類史 なぜ「私たち」が生き延びたのか』
・Rootport『人類を変えた7つの発明史』