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【私の偏愛】歴史は生き方につながる

偏愛。
私が偏愛するものは「歴史」だ。
そして、偏愛によって生き方が変わった人間である。

歴史を知るには、寿命がいくらあっても足りない


私が歴史好きになったのは小学生の頃。平安貴族と大政奉還が好きだった。
中学高校でもクラスメイトが居眠りしていた歴史の授業で、ひとり夢中でノートをとるほど。その流れで、大学・大学院でも歴史を専攻した。

その後メンタル不調や子育てのため、10年弱離れていた時期を経て、2020年にライターを始めた頃から再び勉強をはじめた、そんな長い付き合いである。

再び学び始めると、さらに面白くなり、もっと、もっと知りたくなった。

あらゆるものの歴史が知りたいのだ。

タイムテレビを手に入れて、血眼になって、700万年前の人類が誕生したころから見てみたい。いや、なんなら地球誕生からでもいい。

胡椒の歴史 パンの歴史 海賊の歴史 色の歴史 文字の歴史 家の歴史 道の歴史 お金の歴史 贈り物の歴史 衣類の歴史 神社の歴史 〇〇県の歴史 〇〇国の歴史・・・ 

「歴史」とつけば、何だっていい。
何でも知りたい。
まるでフードファイターのように歴史を摂取したい。そんな欲深い感覚を覚える毎日を生きている。

歴史フィルターで世の中を見てしまう


そんな歴史と仲良しな生活を送っているものだから、目の前にあることを何でも歴史フィルターで見てしまう。

例えば、歯医者での治療中に思うことは…縄文人の「抜歯」の風習。
縄文時代には、通過儀礼として、歯を抜く風習があった。
「…さぞかし痛かっただろうなぁ。痛みで死んじゃう人もいたんじゃないかな…。」

「それに徳川家茂は歯のほとんどが虫歯だったというし、源頼朝とかジョージ・ワシントンとかエリザベス女王とか、虫歯に苦しんだ歴史上の人物はたくさんいる。
虫歯は痛いし、治療も死ぬほど痛い。」

「現代医療に心から感謝だ(涙)。」

といった感じ。


また、ほかにも、「このピーマンの原産地はどこだろう?」「いつどこからどうやって日本にやってきたのだろう?」など、
いろんなことがしょっちゅう気になって、過去に意識が飛んでしまう。

歴史とつながる感覚を感じた出来事

歴史と自分がつながる感覚がした体験は、今までに3回あった。

1回目:小学6年生の冬「二条城にて」


1回目は、家族旅行で京都の二条城へ行ったときだ。
秋田県で生まれ育った私は、歴史をどこか遠くのことだと感じていた。
それもそのはずで、教科書にあるのは奈良や京都の話、江戸時代以降は東京がメイン。東北地方はほとんど出てこない。

それでも、なぜだか歴史に惹かれていた私は、実際に大政奉還が行われた場所である二条城を拝観することに。
うぐいす張りの廊下を歩き、大政奉還が行われたという広間の前に立った時、カミナリにうたれた感覚になったのだ。
ビリビリっと。江戸時代とつながったような気がした。
これがおそらく原体験になったのだろう。

2回目:2020年春「近所の田んぼを見ながら」


1回目からはだいぶ歳をとり、次につながったのはコロナ下一斉休校の時期のこと。
その頃、学校は休みになり、あまり外出できず、子どもと引きこもり鬱々しているママさんたちが多いように感じていた。
気を紛らわす手助けになれば…と町のママさんコミュニティむけに、地域の歴史をテーマにnote記事を連載してみたのだ。

書いているうちに気づいたのが「歴史は、京都、奈良、江戸のみにあらず。全ての地域にある。」ということだった。(気づくの遅い)
それまでは、ことあるごとに各地の遺跡やら博物館やらは訪れていた。なのに、どうしてか他人事だったのだ。

いま私がこうして眺めている田んぼの並ぶ景色。これを数百年前の人々も眺めていたのかなぁ…

汗を拭きながら、田植えや稲刈り、虫退治をする農民の姿が浮かんだ。
私には血縁がないけれど、子どもたちのご先祖かもしれない。

また、家の近くで土器が出土しているとか、古墳や山城がたくさんあるとか、地域の名前の由来とか、知れば知るほど、ここにも大昔から人々が住んでいたことが分かる。

いま私が歩いているこの道も、大勢のだれかが歩いたかもしれないし、涙や血を流したかもしれない。大切な人と笑い合ったかもしれない。

…私たちは、いまここで生きている。

こうして地域の歴史とつながった。主人の実家というだけで、なんの縁もゆかりもない土地にきて、感じていたよそ者感は、これを機になくなったのだった。

3回目:昨年の夏。秋田の実家で母にインタビューをして


3度目は、昨年の夏に帰省して、母にインタビューもどきのことをしたときだった。
母の生きてきた時代というものが、ふと気になり、インタビューの練習にもなるし!と、聞き書きしてみたのだった。

母が生まれたのは、第二次世界大戦が終わった11年後のことだった。
その頃はまだ、道路も舗装されておらず、家にかまどがあった。学校にプールもなく川で泳ぐ。テレビや冷蔵庫も幼い頃はなかった。食材も、天秤棒を担いだ豆腐屋さんが売りにきたり、いまではシャッター街になってしまった商店街に買い物にいったり。
道端に落ちていた刺身を交番に届けたら、お巡りさんに「家さ持って帰って食え(秋田弁)」と言われたエピソードも聞いた。

たった1世代前でそうだったのかと衝撃を受けた。
昭和の時代の歴史は、教科書の最後の方で白黒写真で見たことがある。
それに健在な90代祖父母は、戦時中を生きのびたのだ。

それでもなお、自分とどこか関係のないように思えていたのかもしれない。
いや、戦争の歴史が大嫌いで(勉強はするけれど、メンタルを病む)第二次世界大戦とは自分を切り離しておきたかったのだろう。

母の人生を通じて、昭和の端くれの生まれである自分と、700万年間のすべての人類の歴史がつながった気がしたのだ。

歴史をライフワークにすると決めて変わったこと



歴史をライフワークにしよう、死ぬまで学ぼうと決めて、人生が変わった。

視野が広がった

日本史も世界史も学ぶことで、時間軸と空間軸がとてつもなく広がった。

例えば、息子が授業中に大人しく座ってられなかったとしても「この子が旧石器時代にうまれていたら、狩の名人だったかもな〜」などと思考を切り替えられるようになった。
娘が不登校になった時期にも「いまの教育制度ができたのは、明治時代になってから。それまでの人類はこんなことしてないのだから仕方ない。」などと思うことで周りからの「親が甘やかすからだ」といった攻撃から心を守ることができた。

それに、私はメンタルが弱く、以前はしょっちゅう絶望するタイプだったが(笑)
「人類の700万年の歴史のなかでみたら自分の人生なんてたった一瞬だし、そんなに気にしなくてもいいか」と、いい意味で諦めがつくというか、目の前の大きそうな問題も、実は大したことないと思えるようになった。

日常に感謝できるようになった

先ほどの歯医者で考えたこともそうだけど、いまの私たちはとても恵まれている。

頻繁に起こっていた飢饉も、現代日本では起こらなくなった。
竪穴住居にくらべたら、屋根もあってエアコンもあって、冷蔵庫もある。快適に暮らせる家がある。
命懸けで歩いての移動しかできなかった時代も長かったのに、いまでは飛行機も電車も車もある。
紙やインクが貴重だった時代、活版印刷が発明されていない時代、知識や情報を得ることも財や地位のある者しかできなかった。いまはGoogleやAIがすぐ教えてくれる。世の中には読みきれない量の本もある。

そういう物質的な豊かさだけではなくて、戦争の歴史や飢饉の歴史、処刑された人の歴史…人類の歴史には死が、争いが、つきもの。
いったいどれほどの悲しみがあったのか。

それに、数々の試練を乗り越えて、自分のご先祖さまたちが命のバトンをつないできたから、いま私がここで生きている。

いま、こうして子どもたちと健康に1日が過ごせていること、それだけで貴重で、奇跡的なことだと思えるようになった。
自然に感謝の気持ちや大事にしなきゃという気持ちが湧いてきた。

未来の世代のことを考えるようになった

そして次第に考えるに至ったのが、子どもたちや未来の子どもたちの生きる時代のこと。

よりよい世界を残してあげたい。

のほほんと、ふわふわと、自分の利益を考えて生きていた。そんな小さな自分の、時間軸が未来にまで広がったのである。

おわりに:想像以上に長文になってしまった

偏愛。
もっとライトな文章を書こうと思っていたのに、思いがけず壮大な話になってしまった。
偏愛だもの、仕方ないよ。
長文お読みいただきありがとうございました!

Discord名:くるみ
#Webライターラボ2405コラム企画

追伸
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みなさんの偏愛記事、とてもおもしろいです。


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