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そうは言ったものの、大事なのは、その先

昨日、図らずも宣言をしてしまったが(筆が滑った?”書くこと”があんなところまで連れて行ってくれた感覚?)

「大事なのは、その先だ」と釘を刺している自分がいる。

ひとつ、あの宣言について、恐れていることがある。
それは、

「歴史ライター」が”名詞”だということだ。

つまり、大事なのは、歴史ライターになって
「自分は何をしたいのか?何を書きたいのか?」
「何を書いて、どのように誰かの役に立ちたいのか?」
それを忘れちゃいけないということ。

そうでなければ、ただの肩書きお化けになってしまいそうだから。

名詞を目指した手痛い失敗

名詞を目指したことによる、手痛い失敗がある。

それは「栄養士」を目指したときのことだ。

私は大学卒業後、栄養士の専門学校に行き、栄養士や栄養教諭の資格をとった。

(なぜ歴史から栄養士?と疑問に思われるかもしれないが、とりあえず、大学卒業後の進路を決めねばならない中での、苦肉の策であった。
就職して働ける自信がなかったし、みんなと同じ格好をして、自分を偽って行う(当時の自分はそう思っていた)就活がどうしてもできなかった。)

そのとき、まわりには「栄養士になる」と豪語。
でもその先がなかった。
(当時は都合よく、勉強しているうちに見えてくるだろうなどと言って誤魔化していた)

だから、2年生になって進路を決める段階になって「あれ?」となる。

やりたいこと、進みたい道がなかったのだ。
学校給食?事業所給食?保育園?自治体?・・・
答えは全て「No」だった。

肩書きにすがっていただけだった。

その後、歴史の大学院へ。
歴史の道に戻ってみたものの、「歴史をやりたい」だけでは、何がしたいのか全くわからず、メンタルをさらに崩した。(この辺の話は割愛)

一方で、動詞を目指して、いや行動していたら、事後的に名詞に出会ったパターンもある。

「ライター」になった

動詞を目指してうまくいった、いや事後的に「これはいけるのではないか!」となった経験は、ライターだ。

私がライターになった流れは以下。

書くことならまぁまぁ得意だし仕事になるかも
 ↓
クラウドワークスなどでやってみる
 ↓
Webライターラボに入る
 ↓
「あ、この仕事、Webライターというのか!」(気づくの遅)
 ↓
「プロフィールの肩書き作らなきゃ…」「あれ?私Webライターなのか!」と肩書きをつける段階で知る。(遅!)

だから、もしかしたら事後的に
「あれ?自分、歴史ライターになってた!」
と気づく方が好ましい気がしている。
(まぁ、現在も歴史を書く仕事をいただけているので、もうなっているといえばそうなのかもしれないが)

歩き続けられなかった理由

つまりまとめると、
大事なのは「何になるかじゃなくて、何をするか」ということ

そこんとこ、もっと深掘りしていかないと…と思っている。

もうひとつ付け加えると、「歴史を書くことで誰の何の役に立ちたいのか、誰を応援したいのか」という視点が大事。

「そんなこと、みんな言っている、聞き飽きたよ」と思われるかもしれない。
実際のところ、私も頭ではわかっていた。
でも実際に考えが及んではいなかったと思う。

とくに今までの私には、「歴史を書くことで誰の何の役に立ちたいのか、誰を応援したいのか」という視点が圧倒的に足りていなかった。

私が歴史ブログをはじめた出発点は「自分が書けそうなこと」それから「自分が知りたいこと」だった。

でも、それだと書き続けられなかった。

この活動は、何の役に立つのか、自分は役に立っているのか…という疑念が次から次へと湧き、たちまち進めなくなるのだ。

でも、厄介なことにこの「役に立つ」という言葉は、長年私を悩ませた。

「歴史が誰のどんな悩みを解決する?」
の答えが一向に出てこない。

まわりまわって役に立つとか、コテンラジオみたいに「メタ認知のきっかけを…」としてみても、話が大きすぎて、はっきりしない。読者の顔が見えない。

しかし、
最近、ようやく、これかも?という言葉に出会えた。

それは「応援」 。
書くことで歴史に携わる誰かや何かを応援する。
歴史を書くことで、誰かの人生を応援する。

これなら、できるかもしれない。

まぁ、歩き続けよう

「歴史ライター」という言葉におぼれないようにと、自分に出した危険信号で、ここまで書いてしまった。

とはいえ、歩き続けることが一番大事。
重く考えるときは考えて、口笛を吹きながら気楽に歩く時は歩いて。

今日は土曜日だから、子どもメインになるだろう。ゆっくり歩きます。
みなさまも良い1日を…😊


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