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京丹波町の古墳と古墳時代の出土品

はじめに

古墳時代を簡単にいうと、ヤマト政権(現在の奈良県あたりにあった、中央政府のようなもの)の支配が拡大した時代で、畿内を中心に大規模な古墳(その地域の有力者の墓)が造られ、全国的にひろがった時代です。古墳時代の終わりに近づくと、小さな古墳がいくつも同じ場所に造られる群集墳というかたちが主流となり、次第に古墳は造られなくなりました。

また古墳には副葬品(棺と一緒に納められているもの)があり、呪術的な意味をもつもの、政治的権力的な意味を持つもの、日常で使われていたものがあります。

この記事では、京丹波町の古墳と古墳時代の出土品についてみていきましょう。

京丹波町の古墳

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上図は、参考文献を元に作成してみました。アナログですみません。


京丹波町内にある古墳は、81基あるといわれています。

が、しかし、調査が行われ明らかになっているのは、塩谷古墳群にあるわずか4基のみなんです!!OMG!笑

掘ってみたくなりますね。(勝手に掘っちゃダメですよ笑)

まずは有名な古墳2つを紹介します。

〇蒲生野古墳群

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蒲生野古墳群(蒲生野遺跡とも重なる)からは、古墳時代前期末~中期初頭の埋葬施設が見つかっています。

木棺の中から、花紋のある銅鏡、石釧(いしくしろ。石のブレスレット)、鉄の斧、鉇(やりがんな。槍のような形をした木材の表面を整える道具)、刀子(ナイフ)、鎌、管玉7点、ガラス玉101点、土師器が出土しました。

銅鏡は2点出土しており、直径7.6cmのものと9.1 cmで、国内で生産されたものと考えられており、細かな文様が描かれています。また 石釧にも細かな文様がありました。

ガラス玉は古墳時代に多くみられるアルミナソーダ石灰ガラスや弥生時代に多く作られていたカリガラスという種類のもので、美しい淡い青色のものです。ひもを通してネックレスのようにしていたのでしょうか。それとも、報告書に散布と書いてあるので、ばらまかれたのでしょうか。

また、木棺の中には赤色の塗料が散布された跡があります。古墳時代の赤色の塗布は広く行われており、魔除けや防腐の意味があったと考えられています。

〇塩谷古墳群

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京丹波でもっとも有名なのがこの塩谷古墳群でしょう。

こちらの古墳は古墳時代中期の終わり~後期のはじめ頃に築かれました。

小規模な古墳が12基集まった群集墳で、一番てっぺんにあり、かつ大きな5号墳から巫女形埴輪が2体と須恵器、鉄製品などが出土しました。

古墳時代には巫女形埴輪が並べて置かれていたと思われます。高台から、町?村?を見守っていたのかもしれませんね。

なんだか恐れ多いですが(笑)てっぺんの5号墳に登ると、とても見晴らしが良く周囲を見渡せます。緑が多い地域ですので、古代とあまり変わっていない景色もあるのかな~、どんな暮らしをしていたのだろう?と思いを馳せていまいました。

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塩谷古墳公園として整備されており、隣接の道の駅味夢の里には、お土産屋さんやドッグラン、案内所、そして古墳から出土した巫女埴輪のレプリカが置いてありますので、近くにお立ち寄りの際は、是非!(宣伝)

〇その他の古墳
この他にも、塩谷古墳公園の北側の田んぼの中にある、宮ノ浦古墳群の1号墳からは、⒒mを超える石室(棺が納められている場所)、鉄刀、須恵器が出土しています。25mほどの円墳が田んぼの中にたたずんでいます。

蒲生野古墳からは、古墳時代前期末~中期初頭の腕輪形石製品が出土。

深志野古墳群からは8基の横穴式石室や須恵器の甕が見つかっています。 

塩谷南古墳群からは、古墳時代のものとされる土師器・須恵器・鉄剣・鉄鏃・刀子が出土。

(※土師器・・弥生土器の流れをくむ、茶色っぽい土器)

(※須恵器・・朝鮮半島から伝わった技術で作られた、灰色っぽく丈夫)

(※鉄鏃・・鉄のやじり。矢の先っぽにつける)

前方後円墳では、富田の高屋川付近のカナヤ1号墳(34.5m)、豊田車塚古墳(31.5 m)が知られていますが、

豊田車塚古墳は、誰かが発掘してしまい豊富な副葬品が出土したにもかかわらず、なくなってしまったそうです。残念。

この他にも実はたくさん古墳があります。

緑多き京丹波町では、その辺の山や森や林などと区別がつきにくいので、普通に通りすぎてしまう可能性も大いにありますが、探してみて下さいね。

以下古墳を列挙してみます。

場所の説明がざっくりしすぎていてごめんなさい(笑)

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〇豊田(丹波ワインの近く)
鳥居野古墳

千原古墳

〇上野・蒲生
森の奥古墳群

浜付場古墳群

〇曽根・院内・中台
山田1・2号墳・・塩田谷遺跡のやや近く

中島古墳・・瑞穂ゴルフ倶楽部東側の中台遺跡にある。

〇実勢
実勢古墳群

〇瑞穂地区
皿引野古墳・・瑞穂ゴルフ倶楽部の西側にあります。

(道の駅さらびきがあります。こんな字書くんだ~!と今知りました)

コハケ谷古墳・・出口周辺。

別所1・2号墳

谷古墳・・垣内周辺にあります。

和田狐塚古墳・・橋爪周辺にあります。

古墳時代の遺跡・出土品

古墳以外からの出土品もあります。

蒲生遺跡から6世紀前葉の集落遺跡で、土坑や溝が発見されています。

また美月遺跡では、古墳時代前半の遺物である、食べ物などを保存するのに使った口壺、溝や水路が、瑞穂大朴からは古墳時代前期後半の小型の丸壺3点が出土しています。


以上のように、京丹波町にはたくさんの古墳や遺跡がありますが、まだまだ分かっていないことだらけです。古墳時代の京丹波がどのようであったかは、南丹・綾部・福知山・丹後などの周辺地域を含めて検討する必要があるかもしれませんね。

京丹波町の古墳・古墳時代の遺跡まとめ

○京丹波町でもっとも有名な塩谷古墳群は一見の価値あり。蒲生野古墳群も実はすごい。

○京丹波町の古墳はまだまだ分かっていないことが多い。

○たくさんの古墳や出土品があることから、身の回りの古墳を探したり、古代の生活を想像したりしてみましょう!


【参考文献】

京丹波町教育委員会 平成29年『京丹波町埋蔵文化財調査報告書 第1集』 


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