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あなたが片付けに悩まなくていい理由〜「定住革命」は終わらない〜

あなたは、定住してますか?
日本に暮らす私たちは、たいてい、定住していると思う。
たいていの人には、家があって、住所があって、ご近所さんがいる。

それに、いろんな困りごともあるだろう。

ご近所にちょっと気の合わなすぎる人がいたり、もうすぐ年末だから片付けをしたいのだけれど全く進まなかったり、子どものトイレトレーニングに途方に暮れていたり。
かくいう私も、片付けは苦手。苦手なのに、5人の子どもと夫がそれに輪をかけてくるため、永遠に家が片付く日は来ないのではないかと思ってしまう。

そう、私たちは何かにつけて問題を抱えている。

だけど、決して自分がポンコツだからだと自分を責めてはいけない。
だって、私たちはまだ過渡期。
定住したばかりなのだから。。。

定住革命とは何か?

「定住革命」これは、文字通り、人類が移動生活をやめて、定住(ひとところに住む)をしたこと。
1万年前、つい最近の出来事だ。

「革命」だなんておおげさな、とあなどるなかれ、人類にとって実はめちゃめちゃ大きな出来事だった。


遊動生活から定住生活へ

「ノマド」という言葉はわりと一般的だけど、日本人は定住民がほとんどなので、あまり感覚がないはず。
ここで、遊動民のメリットを紹介する。(遊動民がうらやましくなるかもしれない。)

・遊動民は、暑ければ涼しいところへ、洪水などの災害がおこれば別の地へ…と快適な場所を探せる
・ゴミや排泄物がたまったら、処理せずとも綺麗な場所へ移るだけ
・気の合わないメンバーが共同体にいたら、さっさと離れればいい
・移動するので、情報交換や交易もしやすい
・心理的負荷が供給されるので退屈することがない

最後の「心理的負荷」を補足すると、新しい場所にいくと、食料や危険のある場所などを五感を研ぎ澄ませて探索する必要があるため、退屈しているひまがないということだ。
現代人が引越ししたり、留学したりしたときに感じる新鮮さと同じようなもの。


これが、定住生活をはじめることで、どう変わるのかというと・・・。

・ゴミや排泄物の蓄積による環境汚染(においや感染症のもとに)
・丈夫な家が必要(建てるの大変だよ!)
・集落の近くに、水や薪が得られる場所、そう遠くない範囲のなかで食料を調達できなければならない
・集落内での不和や不満を解消することも必要(ルールや、権威的な人物が現れる)
・死者や災いとの共存(墓地をつくる、災いをさける儀式をする)
・退屈への対応(刺激不足)

・・・あれ?思ってたんと違う?
定住って大変だったの?実は大変なことをしていたの?と少し恐怖しないだろうか。

それでも定住したのはなぜ?

では、それでも人が定住したのはなぜだろうか?
それは、地球環境の変化が考えられている。

原因が地球なら、諦めるしかないよね。

地球環境が変化すると生業活動が変化する。つまり食料確保の方法が変わる。
具体的にいうと、
日本を含む中緯度地帯は冬の食料が枯渇するようになった、のである。

氷河期の中緯度地域では、草原や疎林にすむトナカイ、ウマ、バイソン、マンモス、オオツノジカ、ウシなどが広く分布していた。これらの動物は大きいため、食料としてのインパクトが大きい。

しかし、氷河が後退し、このような大型の動物がいなくなり、シカやイノシシがメインになる。シカやイノシシでは、マンモスとかと比べてお肉が少ない。これでは冬が越せない。

それから、ナッツが貯蔵食料に加わる。
ナッツはほとんどの場合、貯蔵穴を掘って貯蔵されていた。
穴を持って引越しはできない。

またナッツ類は、すりつぶしたり、水にさらしてアクをぬいたり、加熱したりしないと食べられないため、加熱調理の技術も出現した。
縄文時代でいえば、石皿や磨石でナッツをすりつぶしたり、土器でグツグツ煮込んだり。
移動のたびに、大きな土器や重い石皿を運ばなければならないのはやっぱり大変。

さらにインパクトが大きかったのが魚の利用だといわれている。魚の生産性は高く、動物を狩るよりも、定置漁具を使ってガッサーと大量にとることができた。
漁具をつくるには、多くの時間と労力がかかり、高度な技術も必要だ。土器もそうだけど、これらの複雑な道具類は、定住によってできた暇(時間)をつかって作る。

こうして日本、北米、ヨーロッパ、西アジアなどの中緯度地帯の初期の定住者は、生き延びたのだ。


そもそも定住革命は終わったのか?

ホモサピエンスがアフリカでうまれたのが、約30〜20万年前のこと。彼らが日本にやって来たのは約3万年前のことだ。

定住生活をはじめた、ここ1万年の歴史をみても、古代ローマの出現は2700年前だし、コロンブスが大航海をしたのは500年前、産業革命が起こったのだってたった250年前のことだ。めまぐるしく落ち着くことがない変化(歴史)が続いている。

もし人類がまだ過渡期であるならば、
私が片付けで苦労しつつ、そろそろ本気で断捨離しようとしていることも。
4人の子どものトイトレを思い返して、2歳になった末っ子のトイトレがまたやってくるのかと恐怖していることも。

人類の試行錯誤であるような壮大な気持ちになるのである。 

さらにもうちょっと視野を広げると、
もともと片付けの本能などないのに、産業革命や資本主義の発展、高度経済成長などを経て、モノが大量になり困ってしまったから、断捨離本やミニマリストが出現した。

共同体内でも気が合わないとどこかへ行けば解決したのに、定住しているがゆえに行けない。人口が増えすぎて、住み良いところはどこへ行っても他の人がいる。
異なる共同体同士、折り合いが悪くても、共同体ごと移動なんてできないから、平和のルール作りや調停に大なり小なり苦労し続けている。
人間関係でのお悩みは人類共通の問題だ。

よいことといえば、暇になったので、文化や芸術、アートなどが生まれたことか?

なんだか、書けば書くほど、定住革命は終わっていなくて、まだまだ問題は山積みで、定住革命は過渡期ではないかと思えてくる。

<参考文献>
西田正規『人類史のなかの定住革命』


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