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古代一豪華な水洗トイレへようこそ

トイレットペーパーがこの世からなくなったら、あなたはどうするだろうか?

「コレつかえよ」と爽やかなメンズ(美女でもよい)に横から何かを差し出されたとしたら…

差し出されたものが、コレだとしたら、あなたは使うだろうか?


籌木(ちゅうぎ)。通称クソベラ。

なんてストレートな通称なんだろう。

この木の破片を使って、どうやってお尻を拭くのか、いったん想像し終えたところで(想像したよね?)

今回は、この籌木を持って(持たなくてもいい)古代で一番豪華なトイレへと行ってみたいとおもう。

古代一豪華な水洗トイレへようこそ


到着したのは「秋田城跡」

秋田城とは、現在の秋田県秋田市にある、地方官庁のことで、奈良時代から平安時代に機能していた、いわば県庁みたいなもの。

当時の政治・軍事・文化の中心で、現在の青森や北海道、中国東北部にあった渤海国(ぼっかい)などとの交易・交流の拠点でもあったというすごさ。

ここに、古代一豪華だといわれるトイレがある。しかも、当時では最新鋭の水洗だ。

この建物は、中に入ることができる。
中には3つの個室があり、それぞれ、発掘されたときの状態、便槽や木樋の状態がわかるように土を取り除いた状態、当時の使用状態という様子で保存されているという有り難さ。

個室内はけっこう広い。和式便所の要領でまたがり用を足し、甕に入った水をすくって流したのではないかと考えられている。

言っておくが、この古代トイレは、遺構を埋めて盛り土の上に建てたものなので、その、実際に染み込んだ土ではないようだ。(巡り巡って…はありえるかもしれないけど)

水で流したあとはどうなっているのかというと、円形の便槽の底には、丸太を半分にして、なかをくり抜いたものをあわせた木樋があった。汚物は木樋を通っていったん沈殿槽にためられ、汚れの少ない上澄みだけを沼に流すようになっていたらしい。

ちなみに、また水をさすようだけれど、その沼では、まじないごとなどの儀式がおこなわれていたという。(あとは想像にお任せする)

現在は、カモシカに会える素敵な沼地

建てられた時期は、西暦756年以降で、土器の年代などとあわせて考えると奈良時代後半だという。やっぱりすごい。こんな最新鋭のトイレが奈良時代にあったなんて!

トイレ遺構からわかること

うんうん。すごいトイレの遺構からはもっと素敵なことがわかる。それは、当時このトイレで用を足した人が、何を食べていたのかってことだ。

(※ここからは、お食事中の方はご遠慮ください。)

沈殿槽内に堆積した土からは、未消化の種、便所周辺に群がるフン虫、ハエの蛹、寄生虫の卵などが見つかっている。

未消化の種は、キイチゴやアケビ、ナス、ウリなどで、野生の果実も栽培された野菜も食べていたことがわかる。

また、虫や寄生虫からは、野菜をよく洗わずに熱処理が不十分のまま食べていたこと、コイ・フナ・アユなどをよく加熱ぜず食べていたことがわかる。

さらに、ここで驚きの事実がわかったそうだ。
それはこのトイレは客人用だったということ。

秋田を含む東日本の人は、サケ・マスを好んで食べていた。サケやマスには、日本海裂頭条虫(にほんかいれっとうじょうちゅう。通称サナダムシ)がいるものだ。

現代日本では、気をつけるべき寄生虫としてアニサキスが一時話題になったが、食品衛生の向上や、田畑への肥料が糞尿ではなくなったことなどから、昔より寄生虫の心配はしなくてよくなった。

土の中には、いつくかの種類の寄生虫の卵があり、日本海裂頭条虫もあったが、当時の日本では見つからないはずの寄生虫がいた。

で、何がいたのかというと「有鉤条虫(ゆうこうじょうちゅう)」という寄生虫。この虫さんは、ブタを食べる人にいる。
しかし豚食の習慣は当時の日本にはないため、交流のあった渤海国の使節が使ったかもしれないといわれている。

おもしろーい。

ちなみに、トイレの近くの沼ではまじないが行われていたと書いたけれど、そのまじないに使った「墨書土器」が個人的にツボだったので、ご紹介したい。

現代のトイレの素晴らしさよ

・・・夢でよかった。
トイレットペーパーはある。
さらにウォッシュレットという大発明までもがあるのだから。

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