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【宣言】歴史エッセイを毎日書きます!

12月は、毎日歴史エッセイ投稿に挑戦します。

ずっとやりたかったけれど、恐怖に負け、ずっと後回しにしてきた。
やると決めてからも、発信の軸が決まらず、歩き出せなかった。

それが、この度ようやくようやくまとまったのであります。

コンセプトは「考えたくなる歴史」

書いていくうちに変わるかもしれないけれど、今はこれが一番しっくりきたので。
これで走り出し、いや歩き出します。

なぜ歴史を伝えるのか

なぜ歴史を伝えたいのかというと、
私が小学生の頃から好きで、この溢れるおもしろさを伝えたいというのはもちろんあるけれど、読者の方にも、いいことがあると思っている。
それは…

・歴史を知ると、自分がわかる
・大きなつながりがみえて、孤独じゃないと気づく
・「人間とは」が見えてくる
・世の中の見方や考えの視野が広がり、生きるのがラクになる
・目の前の当たり前が当たり前じゃなかったことに気づき、思考のブロックが外れてくる
・知的好奇心が満たされて、毎日がちょっと楽しくなる
・今ここでこうして生きていることに感謝できる

なんだか、こう書くと、押し付けがましい感じに見えてきた。。。
これはあくまで、私が歴史を学ぶなかで感じたことなので、ご参考程度にしてくださいね。
歴史を学ぶことで、感じること考えることはもちろん読者の自由だから。

ここで、「歴史を学んだことによる変化」として、ひとつ自分の例をあげてみる。

私は以前、ものすごく自己肯定感が低くて、「自分なんて消えてしまえばいいのに」とか「自分なんかのために犠牲になった命、ごめんなさい」と食卓の魚に謝るほど、地に堕ちていたときもあった。

だけど、歴史を学ぶことで、時間軸と空間軸がダブルで広がり、視野(=私の捉える世界)が広がった。すると、空を見上げるだけでも、世界の違う地域が想像されて、自由な気持ちになった。

また、ホモサピエンス(私たちの超ご先祖)がアフリカで20〜30万年前にうまれてから、疫病や戦争、災害など、幾多の困難があっただろうに、それでも生き延びて、いま私に命のバトンがつながっている。そう思っただけでも、大きなつながりを感じたし、「ごめんなさい」が少しずつ「感謝」に変わっていった。この命を無駄にしては、たっくさんのご先祖さまに申し訳ないと思えた。

こんなコアな話でなくても、歴史が自分ごとになること、身近になることで、自分の感覚や世の中の見方が変わるはず。その体験を提供できたらなと思っている。
少なくとも「歴史=教科書の暗記、自分とは関係なさそうな年表の羅列」のイメージは覆ってほしいなぁというのが小さな希望である。

なぜ「エッセイ」なのか

「エッセイ」を選んだのは、コンセプトにもあるように、読者のみなさんが自分で考えた方がおもしろいから。自分の感じ方を大事にしてほしいし、そもそも私は答えなんか持っていないから。

正直いうと「エッセイ」が何か、はっきりとは分かっていない。(おい)
先週木曜日のさとゆみさんスペースでエッセイについて対談されていたのを聴いて、「これだ!」と思ったから。(おい)

私は論文を書きたいわけでもなくて、人生訓を伝えたいわけでもなくて、知識の羅列やガチで詳しい歴史なんかは、プロの方がすでにやっていることなので…。なんだろうな〜とずっと考えていた。

あ、「エッセイじゃん」と。
とにかく走りだそう。ということです。
そのうち「これはエッセイじゃない」とご指摘されたら、そのとき考えます。

いろいろ余談が過ぎたけれど。
私は、歴史は自分ごとになることでおもしろくなると思っている。
歴史が自分ごとになるように、できるだけ分かりやすく、親しみやすく伝えたい。

カフェでゆったりと読めるクロワッサンみたいな雰囲気の記事にしたい。
できるかな…。「クロワッサンじゃなくて焦げた餅だ」とかいうご指摘を受けたら、またそのとき考えます。

ということで、12月。いざ出陣♪
カフェっぽいジャズを流して、お待ちくださいね。


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