【宣言】歴史エッセイを毎日書きます!
12月は、毎日歴史エッセイ投稿に挑戦します。
ずっとやりたかったけれど、恐怖に負け、ずっと後回しにしてきた。
やると決めてからも、発信の軸が決まらず、歩き出せなかった。
それが、この度ようやくようやくまとまったのであります。
書いていくうちに変わるかもしれないけれど、今はこれが一番しっくりきたので。
これで走り出し、いや歩き出します。
なぜ歴史を伝えるのか
なぜ歴史を伝えたいのかというと、
私が小学生の頃から好きで、この溢れるおもしろさを伝えたいというのはもちろんあるけれど、読者の方にも、いいことがあると思っている。
それは…
なんだか、こう書くと、押し付けがましい感じに見えてきた。。。
これはあくまで、私が歴史を学ぶなかで感じたことなので、ご参考程度にしてくださいね。
歴史を学ぶことで、感じること考えることはもちろん読者の自由だから。
ここで、「歴史を学んだことによる変化」として、ひとつ自分の例をあげてみる。
こんなコアな話でなくても、歴史が自分ごとになること、身近になることで、自分の感覚や世の中の見方が変わるはず。その体験を提供できたらなと思っている。
少なくとも「歴史=教科書の暗記、自分とは関係なさそうな年表の羅列」のイメージは覆ってほしいなぁというのが小さな希望である。
なぜ「エッセイ」なのか
「エッセイ」を選んだのは、コンセプトにもあるように、読者のみなさんが自分で考えた方がおもしろいから。自分の感じ方を大事にしてほしいし、そもそも私は答えなんか持っていないから。
正直いうと「エッセイ」が何か、はっきりとは分かっていない。(おい)
先週木曜日のさとゆみさんスペースでエッセイについて対談されていたのを聴いて、「これだ!」と思ったから。(おい)
私は論文を書きたいわけでもなくて、人生訓を伝えたいわけでもなくて、知識の羅列やガチで詳しい歴史なんかは、プロの方がすでにやっていることなので…。なんだろうな〜とずっと考えていた。
あ、「エッセイじゃん」と。
とにかく走りだそう。ということです。
そのうち「これはエッセイじゃない」とご指摘されたら、そのとき考えます。
いろいろ余談が過ぎたけれど。
私は、歴史は自分ごとになることでおもしろくなると思っている。
歴史が自分ごとになるように、できるだけ分かりやすく、親しみやすく伝えたい。
カフェでゆったりと読めるクロワッサンみたいな雰囲気の記事にしたい。
できるかな…。「クロワッサンじゃなくて焦げた餅だ」とかいうご指摘を受けたら、またそのとき考えます。
ということで、12月。いざ出陣♪
カフェっぽいジャズを流して、お待ちくださいね。