そして、また生活が始まる|北海道旅行記
日本最北端。
そんな冠に惹かれて、北海道・稚内に行ってきた。はなはだミーハーである。
特別な土地に出向けば、自分も特別と思える。そんな下心もあったかもしれないが、期待したような感動も変化もなく、いたって単なる寒い岬だったと思う。
よくよく考えれば、当たり前だ。移動しただけで、特別になれるなら、みんな北極に行ってる。
どんな場所に出向こうとも、めずらしい旅をしようとも、日常の延長線上でしかない。自分は自分でしかない。
経験のひとつとして、積み重なるだけだ。
大切なのは何を積み重ねるか、だと思う。
◇◇◇
札幌から、特急列車で5時間10分。さらにバスで50分。直線距離にして東京−大阪くらいの距離。
日本最北端の場所は、遠い。
朝7時半。札幌発、稚内行きの列車に乗り込む。外との温度差でメガネが曇った。
車内は0度を下回る寒さの中、平然とした顔の通勤客でほぼ満席。仕事へ向かう人たちの顔は、東京となんら変わりない。
重いエンジン音を立てながら、時間通りに駅を出発すると、高い建物はすぐになくなった。
枯れきった木々をへし折らんとばかりに積もる雪。背丈をゆうに超え威圧感を放つ雪。そして、厳寒を意にも介さず餌を探す鹿。
この土地は、全くもって、人が住むような場所ではない。
また、平地と山地の境目がえらくハッキリしている。元々はすべて山だった土地を、江戸時代から切り崩していった証拠だろう。
余談だが、北海道の先住民・アイヌ民族から見ると“占領”、幕府側では“開拓”と、表されている部分に、歴史的背景の重みを感じる。
出発して1時間。どうにも目の前の景色に現実感がない。
映像で見た印象とさして変わらないのは、窓枠から眺めているからか。車内の暖房が心地よいからか。
生ぬるい気持ちで、ボーッと呆けていると、あっという間に稚内に到着した。
キレイな駅舎。港町の雰囲気はあるが、“果て”という感じがあまりない。もっとたどり着いた感動があると思っていたが、存外あっけなかった。ただただ、降り積もった高い雪の壁が、北の大地に来たことを実感させる。
わざわざ、何時間も、何万円も使って、なぜ自分はこんな所にいるんだろう?
余計な邪念が頭をよぎるが、いまさら考えても仕方ない。ブツクサ物言うもう1人の自分は無視して、バスに乗り継いだ。
◇◇◇
長い、長い1本道を走った先に、日本最北端の地はあった。
内臓をエグるような風が痛い。強風に対抗するように海が波を立てている。冬の宗谷岬は、こちらの事情などお構いなしに厳しい寒さが歯を立てていた。
さっきまでとは、明らかに1段増した寒さは、ここが北の最果てであることを物語っている。
なんだろう、この“来るとこまで来た感”は。
「感動」や「達成感」の類ではない。これより先は日本ではない。これより先はない。行き止まりなのだ。
この2週間、金沢、横浜、四国、広島など、さまざまな土地を周ってきた。そのひとり旅も、これで終わりだろう。そう、本能的に理解させられた気分だった。
曲がりなりにも、ライターを生業にしている者としては恥ずかしい話であるが、少なからず自分の今の力量では、この感情を言語化することはできない。日本で生まれ育ち、実際に足を運んだ人にしか感じられない“何か”が、この土地にはあった。
◇◇◇
図らずも、ひとり旅の終わりを感じた稚内。自分探しなどと、カッコつけて始めた旅だったが、何か答えが見つかったわけでも、大きな変化が生まれたわけではない。
むしろ、スケジュール管理や、金銭感覚、対人能力など、自分の欠点が浮き彫りになったと思う。そして同時に諦めもついた気がする。このまま、どうにかやっていくしかないんだと。
簡単に人は変われない。欠点も、視点を変えれば個性。自分の考え方も、今回の経験も、すべてを糧にするほかないのだ。
さあ、伏線は張り終わった。あとは回収するだけだ。
、、、
と、理屈では分かっているものの、実際どう行動に移せばいいのか。モヤモヤを残したまま、コメダ珈琲店にて、この文章を書いている。
■ 日々のストリートスナップはこちら(Instagram)
■ 写真に関すること、その他日記的なもの(note)
noteのマガジン機能を使った写真展『at あしあと』を更新しています。
■「at あしあと画廊」はこちら(Instagram)
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?