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#2 初めて芽生えた悔しいという感情

小学校1-3年生のマラソン大会では4位→5位→4位と割と順調に上位に入れた私は、小学校4年生〜6年生のマラソン大会では、2位→2位→3位とさらに順位を上げ低学年の時に自分より上だった2人を追い越すことができました。

順位をあげた理由はこれ!というのはわかりませんがもしかすると自分が小学校1年生の終わり頃に父親のパチンコ通いで膨れ上がった借金を理由に両親が離婚し、母はフルタイムで仕事をしなければいけなくなり、その母の負担を軽くするために近くに住んでいた祖父母が小学校が終わってから母親が迎えにくるまで自分と妹の面倒を見てくれて、夜ご飯も作ってくれていました。
小学校低学年までは学校に育成クラブという両親共働きの家庭だったり、自分のように母子家庭の児童を夕方まで預かってくれる場所がありましたが小学3年生からは、育成クラブを卒業して母から自宅の鍵の所持を許されたので学校が終わると誰もいない家に帰るや否やランドセルを放り投げて、友達と公園や学校のグラウンドでサッカーを門限(18時か18時半だったか忘れました)ギリギリまでやって祖父母の家まで1.5km程の距離を全力で走って帰る。そのような生活を送っていました。
放課後の遊びは7割サッカーで、友達もサッカーをしてる子が多かったので自分もサッカー部に入りたかったものの母には部活は中学になるまで我慢と言われていて何もクラブ活動してない小学生にしては足が速くなる、長距離が得意になるには今思い返せば十分すぎる運動量だったかもしれません。
話をマラソン大会に戻します。高学年では良い成績を残せたと思うかもしれませんが自分の中の感情は1位になれなかった悔しさその1点に尽きます。
しかも余計に悔しかったのは、4年生5年生のマラソン大会ともに中盤まで自分は1位を走っていながら、最後の上り坂で抜かれたことです。1位を走るというのは本当に気持ちが良くとても楽しい時間だった、しかし最後の最後に抜かれて負けての2位。2位という順位は1位以外全員に勝った喜びと1位を取れなかった悔しさどちらもありますが自分は後者のイメージしかほとんど残ってないです。
小学校低学年の1.2年生の時はサッカー部のおいしくんが2年連続1位でしたが小学校3年生になると優勝戦線にガラリと変化が起きます。
その変化を起こしたのは、小学校3年生から6年生のマラソン大会で4年間1度も負けることなく絶対王者として君臨し続けた自分にとってかけがえのない存在。

Next. スーパースター久保田健太の登場。


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