#3 スーパースター久保田健太の存在。
自分が小学校6年間で1度として勝てなかったのがタイトルにもある通り、久保田健太である。
彼の存在は自分にとって本当に圧倒的であった。
1.2年生の時の彼はマラソン大会で3位に甘じていたものの中学年に入り徐々に持っていた才能を開花させて行く。
彼はランニングクラブに入ってて、それが小学生にとって大きなアドバンテージであることは間違いないとしてもそんなことはどうでもいいくらいとにかく速かった。凄まじかった。
久保田健太と書いて速いと読む。そう言っていいだろう。しかも久保田健太が速かったのは足だけではなく、頭の回転も速かった。そろばんをやっていたのもあるんだろうけど計算スピードも群を抜いていた。小学生にとって1番かっこいいのは速さ。その速さを彼は全て兼ね備えていた。
ここまでマラソン大会(長距離)の話をしていたがむしろ彼は短距離の方が得意だったようにも思う。短距離でももちろんNo. 1。彼の速さはずば抜けていた。毎年のように運動会のリレーのアンカーとして大活躍していたのは言うまでもない。
短距離はそこまで速くなかった自分は運動会でも彼の速さに惚れ惚れしていた。一瞬の加速力が群を抜いていて、フォームもグングンと進んでいく様がとてもカッコよかった。
どんなに前と差が開いていようが必ず最後には全員を捉え1位でゴールする。瞬発力も持続力も持ち合わせていて、例えるなら日本の競馬史上最強の馬"イクイノックス"と言っても大袈裟ではない。
そんな彼に4.5年生のマラソン大会では追い詰めたとまでは言わないが中終盤までリードを奪えたこと。もしかしてこのまま勝てるんじゃないかと少しでも希望を持てたこと。やはり最後には彼の強さに屈し自分にとって高い壁となってくれたこと。彼と優勝を争って勝負できたこと。
その一瞬一瞬の感情や経験の全てが今でも自分にとって大きな財産になってるといえる。
あの時1位を取れていたら、満足してしまい、人が成長するのに1番大事と言っても過言ではない悔しいという感情を抱くことができなかったかもしれない。今マラソンをしていないかもしれない。
ちなみに6年生の時には健太との力の差は広がっていて何も出来ずに完敗したどころか、小学生時代に1.2を争うくらい遊んだサッカー部のさっちんにも最後の上り坂で抜かされる始末。正直健太以外には負けると思っていなかったが故の油断かもしくはさっちんの気迫か。このような形で自分の小学校6年間のマラソン大会は幕を閉じた。
これは補足になりますが自分はマラソンだけでなく将棋でも2位だった。自分の小学校では将棋が流行っていて、ほとんどの男子は将棋を指すことができたように思う。雨の日の昼休みはもちろん、2時間目と3時間目にある15分間の中休みでもみんなこぞって隣の空いている教室で将棋バトルを繰り広げていた。自分は将棋教室に月2回ほど通ってたこともあり、強い方だった。
(将棋では久保田健太より強かった。笑)
高学年の時に将棋教室で開かれていた将棋大会で自分は決勝まで勝ち進んだ。決勝の相手はクラスメイトの大器である。これまた小学生時代よく遊ぶ仲で遊びでも何度も将棋を指すことも多々あった。勝ったり負けたりだが自分の方が通算では負け越してるもののやってみないとわからない。そう思っていたが決勝ではボロ負け。なぜそんなによくやり合ってるのにボロ負けしたのか。その答えは簡単すぎた。
決勝ということもあり自分は守りに入り、普段全くと言っていいほど使うことのない穴熊という囲いを使ったのだ。守ることに徹した自分は攻守のバランスが取れず攻撃も中途半端になり、徐々に守りを崩されてからは防戦一方。負けて優勝出来なかったこともだが自分の将棋は攻めてこそ。自分のスタイルを貫いて負けるなら仕方ないがそれさえ出来ずに負けたことが何より情けなかった。それ以来は負けるにしても負け方も大事だと学んだ。
2月のマラソン大会も終わり、卒業が近づくにつれて、学校の間でも中学生になったらの話題が増えてくる。その話題の1番手は"部活"の話題である。サッカーをやってる子は殆どがサッカー部。久保田健太はもちろん陸上部。自分はその時はまだ決めあぐねていた。走るのは好きだけどそれと同じくらいサッカーや球技自体が大好きだったので。ありがたいことに久保田健太からは陸上部に誘われていたし、さっちん含めサッカー部の友達からはサッカー部に誘われていた。
Nest.南極は何部へ?
追記:小学校を卒業してもう15年以上もの月日が流れても色褪せない記憶。未だに自分は心のどこかで久保田健太の背中を追っているのかもしれない。そういう意味でも自分の人生の最終目標である南極マラソンでは参加するだけでなく、2位でもなく優勝を勝ち取りたいと強く思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?