万事修養|致知1月号
特集:万事修養
「万事修養」という言葉を調べてみたが、
そのような言葉は検索してみたが見つからなく、
致知のHPにこう記載されていた。
『苦難や不条理も含めてあらゆる出来事が
自分を成長させてくれると捉えることが大切であり、
その心構えで努力精進を重ねていくことによって深奥な世界が開ける』と。
特集にも記載されていたが、
要は「あらゆるすべての出来事を修養と考え、人生の糧にする」とのこと。
人生は常に修行だ。
特集には先人や先輩たちが表現は違えど、同じことを述べているとあった。確かに…。で、ふと思った。
自省録や貞観政要などを読んでいてもはるか昔の人たちの悩みは
今を生きるている自分たちと正直たいして変わらない。
結局、人間は進化しているらしいが
人としての生き方や意味といったことでは全く進化しておらず、
むしろ、同じ悩みや迷いをグルグルとしている。
ただ、データが残るのと一緒で
過去の人たちの考えや言葉は、どんどんと積み重ねられていくので
今の私たちは先人たちからの学べることも、
昔の人たちと比べても、格段に多くなってきているはず。
でもその反面、どこからどう学ぶのかはSNSの情報と同じで
選べることが多くなればなるほど、取捨選択が大変になっているとも思う。
話は逸れたが、要はどう捉えるか考えるかよりも
まずは、自分が自分と向き合えているのか、なのかなと思う。
弱さも強さも含め、すべて自分と向き合えていないかぎり、
人生に起こることすべてを修養と考えるのは難しいのではないか。
何をしたいのか、どう生きたいのかなどを考え
「自分自身と向き合い、自身を受け入れること」が
起こることすべてを修養と受け止められる第一歩なのかなと感じた。