中学時代の記憶#1:学級崩壊

上の記事で私の通っていた中学校には素行の悪い生徒もいたということに触れました。
ここではもう少し具体的にどのような状況だったのか説明したいと思います。

「中だるみ」

中学校に入ってすぐの頃はまだみんな落ち着いていたと思います。
ただ二年生になってから担任の先生がしきりに「中だるみ」しないようにしなさいと言っていました。
そのときはあまり意味がわかりませんでしたが、実際二年生の途中から複数クラスでかなりひどい学級崩壊が始まりました。

元々授業中に席を立って教室中を歩き回るというようなことは当たり前でした。
私は高校に入ってから初めて全員が着席した状態での授業を経験しました。
これが本当の授業の形なんだとても驚いた覚えがあります。

しかしこの「中だるみ」が起こってからは、学校に来ているのに教室に来ない「エスケープ」が横行し、自分のクラスも三分の一くらいは教室に居なかったと思います。
先生が教室に連れ戻してもかえって授業妨害をするので本当に手のつけられない状態だったと思います。

実は私も授業に行かず体育館裏や近くのコンビニにたむろしていました。
ただ勉強に目覚めてからは参考書を持ち歩いてそれをずっと読んでいました。
不良グループの中では正直ちょっと浮いてたんじゃないかなと思います。

この「エスケープ」組は数十人いて、たまに警察のお世話になるような感じだったと思います。
その中で特に酷い非行を行う生徒が数人いました。

例えば授業中にゲームをしているのを注意された生徒が先生の肩をどつくのを見たことがあります。
その他近隣住民に危害を加えたりというようなこともあったようです。
(私が聞いた話では最初に「喧嘩を売ってきた」のはこの住民の方らしいですが。)

学校側の対応

このような状況を打開するために学校が取った対応はまず親に相談するということでしたが、あまり効果がなかったようです。
学校側としても対応に苦慮していたようで、5クラスあったうち2クラスの担任が精神的に追い込まれ休職する事態になりました。

最終的に学校は警察に相談するということにしたようです。
その結果、特に荒れていた数人は逮捕され、最終的に少年院まで行きました。

当時、私は学校の対応にとても怒った覚えがあります。
私には、学校側が生徒を助けるのを諦めて警察に引き渡したように見えました。

実は私自身もお金を盗まれるという被害に遭っていました。
犯人は逮捕された内の一人で、これは余罪として明らかになったことでした。

犯人が明らかになった後のある日、私は学校の小さな部屋に呼び出されました。
そこには警察の人がいて、窃盗で被害届を出すように迫られました。

私はそれを拒否しました。
盗んだ生徒が謝ってくれれば許すつもりだったからです。

警察の人は私に被害届を書くまで帰さないと言いました。
この一言で絶対に書くまいと思いました。
同時に、こうやって被害届を出させて問題児を学校から追い出しているんだなと確信し、とてつもない怒りを覚えました。

私がボロボロ泣きながら書きたくないと抵抗するので、それを見かねた教頭先生がその日は帰るように言ってくれ、書かずに済みました。

私の隣には同じく窃盗で被害届を出すように言われた生徒がいて、そのとき彼は素直に書いているように見えました。
しかし、後日知ったことですが、この生徒も警察署を訪れ被害届を取り下げたいと申し出たようです。
(警察は受け付けてくれなかったらしいですが。)

今思うと、学校側の対応もある程度やむを得ない部分があると思います。
一方で、私が怒ったのは捕まった生徒たちの家庭状況を知っていたからでした。
彼らは「そりゃ荒れるよな」というような状況に置かれていました。

学校の先生はそういう根本の問題を解決しようとしていないように見えました。
それがどうしても許せませんでした。

こういう問題に学校の先生だけで対応するのは限界があると思います。
最近はスクールソーシャルワーカーの配備が進んでいるようですが、そういう対応をもっと推し進める必要があると感じます。

少年院へ行った子達は高校受験直前にみんな帰ってきました。
せめて受験できるようにという計らいなんだと思います。

そのうち実際に高校に受かったのは一人だけで、その一人もすぐに高校を退学したと聞きました。

私からお金を盗んだ彼はどこの高校にも受かりませんでした。

いいなと思ったら応援しよう!