生活保護世帯から東大で博士号を取るまで②

勉強を始めるきっかけ

生活保護世帯になってからしばらくは、ありがたいことに、食べ物に困ることは無くなりました。
でも、今思えば、ただ生かされているだけだったようにも感じます。

私が生まれ育った地域は貧しい家庭も多く、中学には(私自身も含め)素行の悪い生徒が沢山いました。
警察のお世話になるような事件は日常茶飯事で、少年院まで行った同級生も複数人います。

そんな環境で私が勉強を始めたきっかけは全くの偶然でした。

中学3年生になる直前、友人に地元の小さな個人塾へ誘われました。
そこの体験授業で、英語の授業を受けました。

先生は「be動詞」の説明をしていました。
私はそれを「B動詞」だと勘違いし、
「先生、B動詞とはなんですか?A動詞やC動詞もあるんですか?」
と聞きました。それくらい勉強が出来ませんでした。

当然、私は笑いものにされ、大変な屈辱を味わいました。
一方で、私は今まで必ず受けた屈辱を晴らしてきました。

この時もそうで、入塾を決めた私は一ヶ月くらいで塾で一番の成績を取りました。
起きている間中ずっと勉強をしてたので、その後も成績は上がり続けました。

高校受験直前に受けた模試の成績

そして東大を目指す

猛勉強の甲斐あって、県内で一番の公立進学校に合格できました。
この頃にはもう勉強が好きになっていたので、学者になろうと思っていました。
分野としては特に好きだった数学の研究をしたいと考えました。

しかし、大学進学のための情報を集めている過程で、自分がこの夢を実現するにはとても高いハードルがあることに気がつきました。

まずは進学後、完全に独立して生計を立てる必要があります。
そのためには、授業料、住居費、生活費をクリアしなければなりません。
また大学院にも行きたいと考えており、そうなると貸与の奨学金だけでは厳しいというのは明らかでした。

授業料は国公立大学の免除制度を利用し、住居は大学の寮に入れば安く抑えられるのではないかと考えました。
生活費はバイトや奨学金で賄うしかありません。
そして給付型の奨学金も探し条件の良いものを見つけたのですが、その奨学金は当時、文系の難関大学限定でした。
(当時、給付型奨学金は今よりもずっと少なかったです。)

こうなると、数学者になるという私の夢を実現でき、かつ生計を成り立たせることができるのは、授業料免除のある国公立大学で、安い寮があり、かつ難関大学文系で理系の研究ができるところということになります。

この無茶苦茶な条件を満たす大学は国内に一つだけ、東大でした。
東大では大学三年からの専門の学部を選ぶことができ、一定の条件を満たせば文系でも理系の学部に進学することができます。

そこで私は、数学者になるために、文系で東大に合格し、その後数学科に進学して大学院にも行き博士号を取るという計画を立てました。
この時私はまだ15歳でした。

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