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数学は言語か?

「数学は自然を記述する言語である」というような言説をよく耳にします。
これ自体間違いだとは言いませんが、数学の重要な側面に言及できていないように思います。

例えばあなたの4m先に高さ3m木が立っていて「あなたの足元と木のてっぺんとの距離は何mか?」と問うたとします。

素晴らしい絵

確かにこの問題は数学の言葉で次のように述べることもできます。
「底辺の長さが4、高さが3の直角三角形の斜辺の長さは?」

ここまでなら数学の果たす役割は言語だと言えるでしょう。
ですが、数学が単なる言語に留まらないのは我々はこの問題を実際に解くことができるからです。

実際、三平方の定理、つまり直角三角形の斜辺の長さ$${z}$$は他の二辺の長さを$${x,y}$$とすると$${z^2=x^2+y^2}$$を満たすという定理から、今回の場合$${z=5}$$であることが分かります。

このように数学には定理があります。
それは「数学的現実」に対する深い洞察であり、この世界についての非自明な真実なのです。

一方この問題を「What is the distance between you and the top of the tree?」と言い換えても解けることはありません。
英語には(当然日本語にも)定理はないからです。

「数学は言語である」というような言い方は、こうした定理の有無という違いを無視して数学という学問を矮小化しているように聞こえることがあります。
だとすると、それは大きな勘違いです。

また上述の定理の有無という点を理解している人でも、数学の定理が価値を持つのはそれが物理的に観測可能な現象を表しているときだけだと考えている人たちもいるようです。
これも大きな誤解なのですが、このことを説明するのはまた別の機会に。



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