生活保護世帯から東大で博士号を取るまで①

最近東大で博士号を取りました。専門は数学です。

数学の道を志すと決めたのは15歳のときでした。
この時の私は生活保護受給世帯で暮らしており、他の人より多くの困難を覚悟してこの決断をしました。

そして、実際に、ここまで来るには多くの困難がありました。
ここではその困難についてと、私がそれをどう打開したのかについてを書きたいと思います。

本稿は私の経験を共有することにより、次の世代を励まし、生活保護制度や大学・大学院の問題点を明らかにすることを目指して書いています。

一方で、私の事例がこれとは逆の使われ方をすることがあります。
例えば「生活保護世帯出身でも努力すれば大学に行ける。行けない奴は努力が足りないんだ。」というような主張の根拠として使われることがあります。

このような使われ方は、私の意図するところとは全く異なります。

むしろ私は、どんなに努力してもくじ引きで当たりを引かなければ前に進めないような状況があるということを指摘したいのです。
私は運良く当たりを引き続けたのでここまで来られました。

しかし運が悪いというだけで一般に保障されるべき権利を享受できない人が沢山います。
この問題点を指摘したいのです。

中学校入学、そして生活保護世帯に

記憶にある限りずっと、我が家は貧しかったと思います。

父親は家にほとんどお金を入れず、母親が一人で家計を担っていました。
しかしそれも限界だったようで、母親の実家の財産を売って生計を立てていたようです。

小学校のとき、同級生が持っているもの、例えばゲーム機なんかを自分だけ持っていないというようなことはよくありました。
旅行や習い事もほとんどできませんでした。

父親はよく母親のことを「ノイローゼ」だと言っていました。
元を辿ればそれは父親のせいだろうという感じですが、実際、母親の精神状態はずっと悪く、子どもに当たることも多かったです。

二度、喉元に包丁を突き付けられて、私か妹のどちらが死ぬか選べと言われたことがあります。
一度目の時はまだ未就学だったと思いますが、それでもこの時のことは鮮明に覚えています。

小学校高学年の頃には、売るものも無くなり、生活は困窮を極めました。
食べるものもなく、そば粉をこねただけのものに醤油をつけて食べることで食い繋いでいました。
この時は給食だけがまともな食事だったように思います。

そして中学校に入学してすぐの頃、突然、両親が離婚することと、
母親に引き取られて生活保護を受給することを告げられました。

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