パートナーになることは、2つの人生の折り合いをつけていくこと
Stay homeの社会の緊張感もだいぶ苛立ちに変わってきたように感じてしまいますが、大半の方はステイホームしながら生活の中で小さな楽しみを見つる努力などをされているのでしょう。少し呑気すぎる話題かもしれませんが、最近観た映画「ラ・ラ・ランド」に関連して家族との生き方について考えたことをまとめます。アカデミー賞も獲られていますし言わずと知れた名作ですね。爽やかでテンポの良いお気に入りの作品になりました。
1.「ラ・ラ・ランド」のあらすじ
あらすじは、ジャズレストランを開く夢を持った男性ピアニストと売れない女優のヒロインがお互いに夢に向かってもがきながら惹かれ合っていくものの、社会的に成功していくにつれてすれ違っていくといういわばベタなものです。(レディ・ガガ主演の「アリー・スター誕生」の説明もそんな内容でしたね。)
個人的な圧巻はお互いがそれぞれに成功してすれ違った後の再会の場面で、遠巻きに目があった瞬間にお互いと築いていたかもしれない2人のハッピーなもう一つの人生について走馬灯のように回想(想像)するシーンがめちゃくちゃ素敵だったのでした。オープニングのハイウェイのダンスシーンと、最後の回想シーンがハイライトですね。
2.夢を追いかけるパートナーに「俺について来い」と言う痛々しさ
映像とは別に自分がもう一つ印象的だった場面は、バンドとして成功しつつあった男性がツアー中1日だけヒロインに会いに来て夕食の場で「舞台なんてやめて自分のツアーについて来なよ」とヒロインに言った時に2人のすれ違いが決定的になってしまうところです。男性目線で見て、自分のパートナーが男性側の社会的成功だけを期待しているというのは独善的で、いくら好きでもお互いが地に足つけて「自己実現」していくことがそれぞれの人生を彩り豊かなものにしていくことなんだろうとしみじみ考えたのでした。男性から見て、結婚することはパートナーに自分の船に乗り移って貰うことではなく(一時期そうだったとしても)、最終的にはお互いの船を自分で漕ぎ合って並走し続けるイメージというような。これはまさに自分の奥さんが専業主婦から10年ぶりに社会復帰するまでの1年に渡る話し合いで価値観が上書きされていったことと丸きり重なったのでした。
3.誰かと一緒に人生を歩むとは、自己実現の折り合いをつけていくこと
また、少し別の観点で言い換えると「パートナーと一緒に人生を歩むことを選ぶ」ことは「自分とパートナーの両方の自己実現の折り合いをつけていくこと(どちらかがほぼ全てを諦めることを含めて)」と同義と言えるのかもしれません。そして、そのバランスの中で夫婦がお互いに「仕事だけ」「家庭だけ」ではない人生を歩むことも、中長期で打たれ強い夫婦の1つの形なのかもしれないなと。もちろん夫婦の形は人それぞれなので強制される話ではありませんが、特に今の30代以上の男性は自分を含めて元々「相手を尊重はするけど生活のベースを自分に合わせてもらうのは大前提」と考えている方が多いのではと思います。20代の若手の方はもっと男女フラットな価値観かもしれません。人生で「一人で踏ん張って家族に何かを与え続けること」の美徳みたいなものは、書いていても時代遅れのように感じます。
少し思考を広げると、例えば子育てでも子供に「何かを買って与える」よりも子ども自身が「自分で作れることを教える」「自分でできるようにしてあげる」ことのほうがよっぽど本人の喜びは大きいのだろうなとも思ったり。思い当たる節はたくさんありますね。そういう意味で、経済的な余裕がなくておもちゃを買ってもらえないとか、地方出身で欲しい物が地元で手に入らないような環境の幼少期というのは自分でなんとかしてそれに近づこうとするインセンティブが生まれるのでポジティブに捉えられるかもしれませんね。
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こんなことを書きながら、GW中は次男三男が四六時中おんぶをねだってきて、朝夕は長男と2kmジョギングしてと、家族と長時間過ごす毎日をそれなりに満喫していたのでした。次男から「お父さんお父さん、僕今日お父さんとお風呂に入ってお父さんと一緒に寝るからね」と毎日念押しされる今の幸せを噛み締めながら、改めて仕事は自分なりに思い切り働いて行こうと思ったのでした。(以上)