ミステリとしての『FF16』考
〈注意事項〉
記事の性質上、複数のミステリ小説のネタバレが含まれます。
どれも名作ですので、一通り読んでから本記事に戻って来ることを推奨します。
なお、FF16に関連させて語る以上、作品名を知ること自体がネタバレになる可能性もありますので、作品リストは以下の別記事にて提示しておきます。
☆がついているものは完全にネタバレしているもの、☆がついていないものはほとんどタイトルに言及するのみにとどめているものです。参考にしてください。
また、有識者の方からすれば「これはあの作品の方が似ている」といったご指摘があるかもしれませんが、本文中にも述べているように、ある基準に従って取り上げる作品を決定しています。加えて、可能な限り取り上げる作品を少なくし、ネタバレの影響を小さくするよう努力しました。ご了承ください。
https://note.com/rsh_rh/n/n1c11b924a15e
※全編敬称略
いきなりだが、吉田直樹をご存じだろうか。
そう、FF14のプロデューサー兼ディレクターにして、肩書が多いので省略するが、シリーズ最新作であるFF16のプロデューサーである。FF14で培った信頼から、「吉田なら神ゲーを作ってくれる」とささやかれ続け、皆の期待を背負ったFF16は生まれる前から伝説となった。まあ、FF16の売り上げやゲームとしての評価は私が語るまでもなくゲハなどで散々叫ばれていることだから置いておくとして。
またまた突然だが、綾辻行人をご存じだろうか。
そう、『館』シリーズを代表作とする、いわゆる新本格のミステリ作家である。本格ミステリは綾辻以前と以後で分けられるという言説もあるくらいには偉大な人物だ。
さて、もちろん私は全く関係のない二名の人物を取り上げたわけではない。
私が両名を取り上げたのは、次に示す対談の存在を知ってのことである。
なんと、吉田直樹と綾辻行人がFF16発売前に対談を行っているのだ。
(私の記憶では発売前に公開される予定だったはずだが、何らかの事情で公開延期になっていたようだ)
対談自体は短いもので、内容もFF16についてはほとんど語っていない。その意味で面白味はないのだが、今回私が扱うテーマ、その正当性の根拠となる発言が明示的に出ているので、これを紹介したい。
(以下、引用部分の太字は私の編集である)
吉田直樹のテーマとして、「プレイヤーを驚かせる」というものがあるというのがお分かりだろう。
ここで言及されている『迷路館の殺人』は、若干アンフェアという指摘もあるものの、個人的にも世間的にも巧妙な叙述トリックの作品として高く評価されている。
ミステリには様々な仕掛けがあるが、「驚き」という点に特化しているのはやはり叙述トリックだろう。「意外な犯人」も含めて、読者の先入観を利用し、誤った世界を想像させる類の仕掛けである。
であるからして、吉田直樹がゲームにおいて「驚き」を実装しようとするのであれば、おのずと叙述トリックの方向に進むと考えられる。
その先でも、吉田直樹は「驚かせる」ことについて言及している。
さらに、落合陽一とのNewsPicksにおける対談では、
と述べている。
これらの発言から、吉田直樹(とFF16)について、次のような推測が成り立つ。
・吉田直樹は、ゲームにミステリのような「驚き」を実装したい
・FF16には、ミステリのような「驚き」が実装されている
回りくどくなった。
吉田直樹がFF16にミステリ的な要素を取り入れようとした、その根拠をある程度示せたと思う。
では、いよいよ本題に入ろう。
FF16のストーリーのうち、特に大きな「驚き」を狙ったであろうポイントを三点取り上げて、それらについて、ミステリ的に考えてみる。
なお、ミステリと言うとあまりにも範囲が広く、正直言ってなんでもこじつけてしまうことが可能であるから、基本的には吉田直樹が対談し、また強く影響を受けていることを明言した綾辻行人の作品を参照する。綾辻行人以外の作品に関しては、ミステリをかじったことのある人間ならば必ず通ると言っていいような超有名作品のみを参照することにする。定性的な基準で恐縮だが、これでフェアだろう。
取り上げる三つのポイント(仕掛け)は、以下の通り。
仕掛け1.フェニックスを殺した火のドミナントの正体
仕掛け2.イフリートとフェニックスの正体
仕掛け3.アルテマの正体
既プレイの方には「ああ、あのことか」とお分かりいただけただろうと思う。未プレイの方、忘れている方に向けてそれぞれ各項で説明はするので、その点はご心配なく。
なお、リヴァイアサンについては扱わない。これはDLCで語られる可能性もあるが、まだプレイヤーに「驚き」を与えるには至っていないからである。犯人を明示しないミステリも存在するが、あくまで吉田直樹は「驚き」を重視しているので、DLCなどでその正体が提示されるまでは、本稿のテーマとは無関係の議題である。
仕掛け1 フェニックスを殺した火のドミナントの正体
<仕掛けの概要>
フェニックス(=ジョシュア)を殺したイフリート(=火のドミナントX)を探すクライヴだったが、実は火のドミナントXの正体はクライヴ自身だった。
〈ストーリー〉
未プレイの方に向けて、FF16の基本設定を説明しておく。
FF16には、ドミナントと呼ばれる特殊な人間が存在する。ドミナントは、各国家に一人いるかどうか程度の希少な存在であり、その身に召喚獣を一体宿している。たとえば、主人公であるクライヴの弟ジョシュアは、フェニックスという召喚獣をその身に宿している。フェニックスは火の召喚獣であるから、ジョシュアは「火のドミナント」と呼ばれる。各属性のドミナントは一人ずつしか存在しない。ドミナントは、(正直ここは曖昧なのだが)任意で召喚獣に変身することができる。召喚獣はめっちゃ強い。
FF16のストーリーのうち、チュートリアルに当たる部分で、主人公の弟であるジョシュアはフェニックスに変身する。そこに、新たな火の召喚獣イフリートが現れ、フェニックスをぼこぼこにしてしまう。本来なら火の召喚獣はフェニックスしか存在しないはず、ではあのイフリートは何者なのか。主人公クライヴは、ジョシュアの敵を取るため、イフリートを宿す火のドミナント”X”を探す旅に出る。
まあ、旅に出る前に奴隷になったり、旅に出るというかシドに協力するのがメインだったりと色々あるのだが、未プレイの方は前述のようなストーリーと理解して問題ない。
〈「驚き」〉
さて、クライヴは、火のドミナントXを殺すために旅を続けるわけだが、なんと”X”の正体は自分だったと判明する。
ジョシュアがフェニックスに変身した後、クライヴの意識はイフリートに乗っ取られ、知らずのうちにイフリートに変身し、フェニックスを攻撃していたのだ。
旅の途中であからさまに”X”と思われる人物が登場するのだが、その正体は実は生きていた弟のジョシュアであり、”X”ではなかった。
つまり、構図は次のようになる。
Xらしき人物 = 死んだと思っていたジョシュア
本当のX = 自分
ここにおけるミスリードは、以下の二点。
・ジョシュアが死んでいると思わせることで、Xらしき人物=ジョシュアではないと誤認させる
・クライヴの他者としてXらしき人物を登場させることで、本来のX=クライヴの可能性から意識を背けさせる
〈分析と感想〉
これに驚いた人はどれくらいいるのだろうか。
ありとあらゆるメディアでありがちな展開だし、ミスリードにしてもXらしき人物がなんとなくジョシュアっぽさも見え隠れしており、中途半端な印象を受けた。
”X”らしき人物がジョシュアだと匂わせることで、逆にではジョシュアを襲ったイフリートは何者なんだとプレイヤーに謎を提示する意図があったのかもしれないが、この場合の犯人候補にまともな人物は存在しない。なにせ最序盤であるからキャラクター自体が少ないうえに、主要なキャラクターはたいてい何らかのドミナントとして描写されているからである。すると、ある程度自然な論理的帰結として、クライヴに疑いの目が向いてしまう。
ジョシュア匂わせの意図があったにせよなかったにせよ、いずれにしても仕掛けとしてはやはり中途半端と言わざるを得ない。
ミステリ的に抽象化して抜き出してみれば、これは「犯人は自分のもう一つの人格だった」というパターンとほぼ同じである。
(死んだと思っていた人物が実は生きていた、という部分については取り上げる必要はないだろう)
綾辻行人作品で言えば、『人形館の殺人』がこれにあたるだろう。
Amazon.co.jp: 人形館の殺人 (講談社文庫) : 綾辻 行人: 本
主人公は多重人格者で、被害者=探偵=犯人というオチであった。『人形館の殺人』の最も優れた点は個人的には多重人格トリック以外の「別の仕掛け」で、その「別の仕掛け」は後述のFF16の仕掛けに関連していたりもするのだが、ここではそちらについてのこれ以上の言及は控えることにする。
「別の仕掛け」はさておき、『人形館の殺人』から何十年と経ったFF16で、やっていることは下位互換に過ぎないと言えそうである。
とはいえ、ここは序盤であるから、ジャブ程度の仕掛けとして、悪くはないと思う。むしろ良いまであるかもしれない。ゲームはストーリー以外の部分にも脳のリソースを割かなければならない以上、序盤から複雑すぎても困るわけだし。
そもそも、仕掛けだけを見て上位互換だの下位互換だの判断するのはナンセンスである。
仕掛け2 イフリートとフェニックスの正体
〈仕掛けの概要〉
イフリートとフェニックスはそれぞれ別の召喚獣だと思われていたが、実は元々一つの召喚獣だった。
〈ストーリー〉
仕掛け1で述べたように、本来火の召喚獣は一体のはずであった。しかし、フェニックスに加えて、イフリートという火の召喚獣も登場し、火の召喚獣が二体になってしまう。これはおかしいのだが、問題は解決しないまま、物語は終盤に突入する。終盤、ジョシュアが古代の壁画を発見する。そこには各召喚獣の姿が描かれているのだが、なんとフェニックスの姿はなく、代わりにイフリートに羽が生えたような姿が描かれていた。そう、実はフェニックスという召喚獣は本来単独で存在しない。イフリートとフェニックスが合体した姿、イフリート・リズンこそが、本来の火の召喚獣なのだ。
〈「驚き」〉
なるほど、イフリートとフェニックスがフュージョンしたものが真の姿。
だからどうした。
という感じなのだが、感想は感想の欄に譲るとして、構図を整理しよう。
まず、我々プレイヤーには「FFにはフェニックスという召喚獣と、イフリートという召喚獣が、異なる存在として個別に存在している」という先入観がある。
それに対してFF16は、「実はフェニックスという召喚獣は本来存在しませんでした。フェニックスはイフリート(・リズン)の一部でした」という意外な設定を用意した。FFという長寿シリーズだからこそ積み上げられた先入観、それを利用した巧みな仕掛けである。
〈分析・感想〉
この仕掛けの目的、すなわち「驚きを与えること」は完全に失敗している。
原因はいくつか考えられるし、複合的なものだろう。
そもそも、プレイヤーは、火の召喚獣が二体存在することをそれほど深刻に受け止めていなかっただろう。
「本来は○○のはずなのに、ありえないっ!」という展開はあらゆるコンテンツでよくある展開であり、特に主役級のキャラの場合、この事例は「例外」として理屈の説明を抜きにされることも少なくないように思う。
大半のプレイヤーは、「ほーん、じゃあ火の召喚獣は二体いたんだ」と納得してしまったことだろう。誰もFF16をミステリと思って読んでいないのだから、そんな設定の矛盾は優しく見逃してくれてしまうのである。
次に、フェニックスとイフリートが合体してイフリート・リズンになる展開が、少年漫画的な激熱フュージョン展開として回収されてしまったのが問題である。
いや、これはこれでいいのだが、「熱い!かっこいい!」となる人はいるかもしれないが、「なんだって…!?」とシリアスに驚く人はまずいないのである。守られる立場だった弟との共闘という文脈もあって、せいぜい「合体するんかーい」と突っ込む程度で終わったはずだ。
その後ジョシュアが古代の壁画を発見して、イフリート・リズンこそが真の姿だったと判明するわけだが、これも驚きが少ないだろう。
なにせ壁画の謎は、散々引っ張ってきたネタである。そのオチが、既に見たイフリート・リズンなのだから、驚くよりも「そうですか」で済んでしまうのである。
さらに、「真の姿」とやらがイフリート・リズンという中途半端な存在なのもこの仕掛けの驚きを小さくしている。ほぼイフリートと変わらないではないか。
たとえば、イフリートとフェニックスは本来存在せず、実は合体した姿=リヴァイアサンこそが真の姿だったのだ、などとすれば少しはマシになるだろう。「なるほど、道理でリヴァイアサンが見つからないわけだ」と気持ちのいい納得感も与えることができる。
また、FF16の作りだと難しいとは思うが、たとえばFF8のように、召喚獣の名前を自分で決定させるようにしておけば、さらに効果的に先入観を利用することはできただろう。明らかにフェニックスの見た目をしている召喚獣だが、あくまで名前はプレイヤーに決めさせることで、「実はフェニックスではなかった」というような演出が可能になる。もっとも、これは仕掛けを第一に考えているアイデアなので、そのままで実用的とは思わないが、対案的に提示はしておく。
ともかく、仕掛け自体は面白いのに、中身がまるで伴っていないがために形骸化しているという、非常に惜しい例である。
ミステリ作品についても言及しておこう。
これは、「二人だと思っていたのが実は同一人物だった(一人二役)」というタイプのトリックに近い。
綾辻行人作品で言えば、代表作『十角館の殺人』がまさにそれだろう。
十角館の殺人 (講談社文庫) | 綾辻 行人 |本 | 通販 | Amazon
『十角館の殺人』では、孤島で殺人事件が起こる一方、本土では探偵役と絵描きが駄弁っているわけだが、実は孤島で事件に巻き込まれている人物の一人と、本土の絵描きは同一人物だったのだ。当然、同一人物が同時に別の場所に存在することはできないので、その辺は上手く描写されている。ここで、もし犯人の呼称が統一されていた場合、この一人二役トリックは読者にとって成立しないというのがポイントである。「離島でAさんと呼ばれている人物が、本州ではBさんと呼ばれている」から騙されるのであって、「離島でも本州でもAさんと呼ばれている」ならば勘違いのしようがない。
つまり、基本的に一人二役トリックは、二つの役の呼称が異なることで実現される。FF16はその点忠実であり、「イフリート」「フェニックス」と呼ぶことで、その二つの召喚獣が全く違う別の存在であるということを強調し、ミスリードしているわけだ。もちろん、『十角館の殺人』とは異なり、FF16の場合は実際に二人存在するわけなので、この場合はあくまでも「本来は一つであった」という真相を隠すためのアプローチである。
さらに、仕掛け1では言及を控えた、『人形館の殺人』とのさらなる関連性について。
まず、『人形館の殺人』も、多重人格という形ではあるが「一人二役(三役)」である。このタイプのトリックは綾辻行人に限定しても複数作品で用いられているわけだ。
そして肝要なのは、『人形館の殺人』は「『館』シリーズへの先入観を利用したトリック」が用いられているという点である。仕掛け1で後回しにしたのはこのトリックだ。シリーズの設定を理解していないと意味のないトリックなので、説明が少々長くなる。具体的な内容に興味のない方は、以下の説明は、画像のあとまで読み飛ばしてもらっても問題ない。
『館』シリーズの設定
・『館』シリーズでは、毎回「○○館」が舞台となるのだが、この「○○館」は中村青司という人物によって設計されている。中村青司の館には、なんらかの仕掛けが施されており、たとえば隠し通路がほぼ確実に存在する。
・『館』シリーズの探偵役は、島田潔という男性である。
この設定を利用した『人形館の殺人』のトリックが次のようになる。
・『人形館の殺人』の舞台となる館は、実は中村青司の設計した館ではない、普通の館である。そのため、隠し通路は存在しない。作中の謎のひとつは隠し通路の存在があれば解決できるが、隠し通路は存在しないので、別のトリックが必要となる。
・『人形館の殺人』に登場する島田潔には、本物の島田潔と、偽物の島田潔(=犯人の別人格)がいる。
と、『人形館の殺人』はシリーズへの先入観を見事に利用して読者の思考を誘導しているわけだが、一方でFF16は、この仕組みをうまく活用できていない、というのが正直な印象である。
念のため明言しておくが、これは「FF16はパクリである、けしからん」という主張ではない。「あくまで着想を得たとすればこの作品からではないか」という推測と、そこから類型を拾い出す試みが私のやりたいことである。
さらに、FF16の名誉のためにも補足しておくと、いずれのトリックについても、あくまで「ミステリとして」「驚きの要素として」見た場合の話である。前述のように、FF16の演出意図は恐らく少年漫画的な燃える展開を狙ったものであり、その意味では成功している。一人二役的な仕掛け自体、「合体させたら面白いんじゃないか」という発想から逆算で生み出されたものだろうから、先の「イフリート・リズンは中途半端、リヴァイアサンにした方が面白い」というのはその意味で的外れな提案である。先入観の利用に関しては、結果的にそうなっただけで、トリックとして活用しようとは端から考えられていなかったのかもしれない。私としても歪みは自覚した上で、本記事のテーマに徹した見方をしているだけなので、誤解はしないでいただきたい。
ちなみに、既プレイの方はおわかりかもしれないが、主人公サイドが一人二役ネタを搭載する一方、ラスボスサイドは真逆のネタを持っている。
それが次に語る、アルテマの正体である。
仕掛け3 アルテマの正体
〈仕掛けの概要〉
ジョシュアはアルテマをその体に封印していたのだが、実はアルテマは個体名ではなく種族名であり、ジョシュアが封印した個体以外にも複数のアルテマが存在していた。
〈ストーリー〉
クライヴを狙うアルテマの計画を阻止するため、ジョシュアは自身の肉体にアルテマを封印していた。しかし、アルテマの暗躍は止まらない。ジョシュアは、封印が部分的にしかできていないのだと解釈するが、実はそうではなかった。アルテマとは種族の名前であり、ジョシュアが封印したのはアルテマのうちの一体に過ぎなかったのだ。すべてのアルテマたちが合体することで、アルテマは究極の姿になる。
〈「驚き」〉
これは仕掛け2とは真逆の仕掛けである。
複数体が合体して一つになるという構造は同じだが、プレイヤーに見せる情報が逆で、仕掛け2では「複数体」の方だけを、アルテマに関しては「一つ」の方だけを見せているのだ。
我々は「アルテマ(ウェポン)」という存在を知っているから、「アルテマ」は他の召喚獣と同じような一個の存在なのだと勘違いしてしまうわけだが、実際の「アルテマ」は複数存在する。これについても、先入観が利用されていると言えるかもしれない。
〈分析・感想〉
この仕掛けはそこそこ効果的に機能しているのではないかと思うが、どうだろうか。
私自身は種明かしの際に「ああ、なるほどな!」と少し驚いたように記憶している。
ミステリ的に言えば、人物誤認のうち、「複数人を一人に見せかける」パターンである。代表的なのは「二人一役」だろう。
FF16との関連を意識していたのかはわからないが、吉田直樹が対談で言及した『殺人鬼』のトリックもこのパターンである。
(『殺人鬼』はシリーズとなっており、現状二作出ているが、吉田直樹は無印として言及しているから、これは恐らく第一作の『殺人鬼』(改訂版は『殺人鬼 覚醒編』)への言及だと思われる)
『殺人鬼』では、その名の通り人間を虐殺して回る殺人鬼が山に現れ、キャンプしていた人たちが襲われていくわけだが、実は二つの異なる場所での出来事がごちゃまぜに描写されている。
そして厄介なことに、読者には当然伏せられているが、実は登場人物は全員双子なのである。名前と人数は適当に変更し、さらに殺人鬼についてもわかりやすく別人として表記するが、まとめると以下のような内容だ。
A山には田中(兄)、小林(兄)、佐藤(姉)、殺人鬼(A)がいる。
B山には田中(弟)、小林(弟)、佐藤(妹)、殺人鬼(B)がいる。
そしてA山でもB山でも殺人鬼による殺戮が始まるのだが、それぞれのキャラクターは基本的に苗字でしか呼ばれないし、殺人鬼も殺人鬼としか呼ばれないから、読者はすべて同じ場所、同じ人物たちの話だと誤認するわけである。
複数人を一人に見せかけるトリックのポイントは、複数人の呼び名を統一することである。『殺人鬼』の例では、二人の違う「田中(兄)」と「田中(弟)」をいずれも「田中」と呼ぶことでトリックを成立させている。
ここまで大胆な仕掛けにはなっていないが、FF16のアルテマも、アルテマ(A)とアルテマ(B)が同一人物だと誤認させることで、意外性を生んでいる。イフリートとフェニックスが一人二役的なのに対して、アルテマが二人一役的なのは、対照的で美しくはある。とはいえ、これ自体は意外性にはつながらないし、そもそも大多数のプレイヤーはプレイ中にはそうそう気が付かない構造だろう。
まとめ
他にも、世界のためにしたマザークリスタル破壊が実は逆効果だったとかもあるのだが、これはゲーム的にも凡庸すぎて言及するのが難しいので取り上げなかった。驚きもなにもないだろう。おそらく全員がうすうすそう思っていたに違いない。
折角なのでミステリとして見つめなおしてみたわけだが、個人的にはあまり評価できないという印象だ。私自身がミステリオタクなのもあって、察しがついてしまうというのもあるのかもしれないが、より公平に見たとて、大きく印象が変わることはないように思う。
一方で、細かい点もふくめれば驚きポイントは複数用意されているので、あまり意外性のある作品に触れたことがない層には強烈に刺さる可能性があるだろう。
ただし、大人向けと銘打っている以上、まさにその刺さりうる層の大部分を占める子どもたちには向いていない(ベッドシーンも多いことだし)わけで、ここも結果的にチグハグだなあと溜息が出てしまう。
「驚き」を取り入れたいのであれば、それを最大限に魅せる展開と演出が必要なのだ。「犯人はあなたです」と指さしたり「おい、待て!」ととっつかまえてフードを剝いだりして判明するからこそ、意外な犯人のインパクトが強烈になるのである。探偵の推理中に急に泣き出して、しばらくして泣き止んでから「私が犯人です…」と白状したところで、それは「でしょうね」としかならないのだ。某シャム双子のような特殊な例もあるが。FF16は、用意した仕掛けを活かす展開と演出ができていなかった。私はそのように結論を下す。
最後に、過去の吉田直樹氏の対談における発言を。
私も『どちらかが彼女を殺した』のこのチャレンジは大好きだ。小学生の頃に読んで、「ミステリはこうでなくちゃなあ!」と幼いながらに興奮した覚えがある。
もしかすると、リヴァイアサンはこのような「あえて明かさない」ミステリを意識しているのかもしれない。
DLCが何を扱うのかはわからないが、いずれにせよ。
本編以上の「驚き」を与えてくれることを願っている。
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