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『Where there is will , there is a way. 〜どんな時も前を向けたら〜』#5

Episodio 6:Historia de fútbol #908

【試合(セカンドリーグ)】

19:00KO
@馬入ふれあい広場
vs平塚SC
0-3負け
4-2-3-1トップ下 フル出場

サッカー選手としてラストマッチ。
チャンスメイク出来た自分も。全然上手くいかなかった自分も。
全て自分自身。言い訳はしない。
受け入れないと。
もう辞めるからとか、最後だからとか関係ない。
自分にはサッカー選手として『力が無かった』
それだけ。
今までもそうして来たから。

試合の帰路。
自宅までの1時間くらいの運転の中で。
『25年もサッカーして1度も思ったようなプレー出来なかったなぁ』とか。
『全然思ったようなサッカー選手人生じゃなかったなぁ』とか。
『Jリーガーっていっても1/25年か…
もっと何とか出来なかったのかなぁ』とか。
考えてもどうにもならない事を色んな事考えながら帰りました…
でも。
どんな状況でも『サッカー選手』にこだわってきたから。
どんな時も僕が頑張る為に僕には必要不可欠だった『こんな人になりたい』っていう目標にしたい方にも出会えたし。
うつ病や脳腫瘍。
自分が苦しい時に『未来の為に何も出来ない自分の力の無さ、弱さ』と『人の“優しさ”や“愛”』を感じられて。
サッカーをしていなかったら、何も知らないまま人生を送っていたんだろうなと思います。

それに。
『上手くいかない』『上手くいってない』という変えられない事実を抱えたまま、
『上手くいかせる為に』『自分の思うような人生にする為に』ってこれからを頑張る方が自分の人生っぽいのかなとここまで30年生きてきて感じます。

たくさんの人が見に来てくれました。
北海道、香川、静岡、岡山、熊本…
遠くからわざわざ足を運んでくれた方がいて。
中学校で一緒だった子や、エスペで元チームメイトだった子も。会社で一緒だった方も。FC徳島で一緒だった方も。
大学卒業後にモンテネグロへ数ヶ月間サッカー留学した時にその間の1週間ほどだったけど一緒に住まわせてもらった子も。
病気から戻って来てからずっと応援して下さるアカデミーの子達とその保護者様も。
皆さん、お金と時間をかけて“わざわざ“来てくれて。
その事がすごく嬉しかったし、《応援が力になる事》をすごく久しぶりに実感した気がします。

『引退する事』を伝えてた子もいるし、そうじゃない子もいる。
僕は病気をしてから、野七里に戻って来て一緒にサッカー出来なくて、悔しい想いをずっと抱えてたから。
せめて『最後に一緒に戦った気になって辞めたい』という自分の我儘を伝えさせてもらったのに、『それ良いですね』って、『任せて下さい』って来てくれて。
自分は本当に最高の仲間に恵まれてるなと思います。

僕の大好きな中村俊輔元選手が『プロ選手はお金を払ってでも見に行きたいと思わせられる選手』と言ってました。
同感です。
僕もJリーグにいた時、それを痛感しました。
加えて僕は。
『人を呼べる選手が良い選手』
『「この人の為に(戦いたい・応援したい)」と思わせられる人が良い選手』だと思ってます。

だから。
選手としての最後に『自分がサッカー選手として価値があったのか』
自分自身でちゃんと知って辞めようと思いました。

ただ。
一緒に戦ってるチームメイト、来て下さった方々の顔を見た時。
僕がどうこうじゃない。
僕はこれまでも『彼ら彼女らの優しさ』に甘えてただけなんだろうなと思いました。

気がついたら、試合途中からは、『自分が価値ある選手である事』よりも『手術から戻って元気に走り回ってる姿を見せたい』と思いながらプレーしてました。

もちろん、勝ちたかったし、良いプレーももっとしたかった。
ただ、そんな単純なところでは繋がってないんだろうなと思います。

恐らく来てくれた方々は、僕を『サッカー選手』としてだけでは無く『一人の人間』としてずっと関わってくれた方々。

彼ら彼女らと過ごした時間は長かったり短かったり、まちまちですが、全てが自分にとっての宝物なんだなと悔しいですが振り返って分かりました。

残念ながら人は失ってから、時が過ぎ去ってからしか気がつけないことがあるのかもしれないです。
だから今この時を。
『自分にとってどういう時間なのか』
ちゃんと理解しようとしないといけないなと思います。

【『想い』を乗せてくれる、熊本にいる家族と僕を繋げてくれたスーパーカメラマンの話】


ESPERANZA SCの素敵な写真を撮ってくださり、提供して下さってる萱森さんと一緒にお話する時間を頂きました😊
ありがとうございます🙇‍♂️🙇‍♂️

恐らくチームメイトと同じくらい、僕の良い所も悪い所も見てくれていたと思います。

2021年。
エスペランサSC、加入時初年度「初出場の天皇杯予選から上手く修正してリーグ戦デビューに繋げましたね。」
一言一句同じでは無いと思いますが😅
自分でも分かってないような【自分の良い所】を観て下さって、気づきをもらい、「自分に何が出来るのか」「自分は何がしたいのか」自分を改めて見返す良い機会を毎度頂いてました。

振り返ると。
昔から自分に自信を持てた事なんて無かったです。
自信の付け方も持ち方も分かりませんでした。

学生時代から。
『雄祐の良さは分かりにくいから』
アカデミー時代の監督さんは大変ありがたい事に自分の事を評価して下さり、そのように、『雄祐にも良いところがあるよ』と言ってくれてるような気がして、とても嬉しかった事を覚えています。
当時は自分の良さをちゃんと言語化出来ていなかったから。
だから自分にも相手にも上手く『自分の良さ』を説明出来なかったんだろうなと思います。

『何であの子が試合出れるんですかね』
周囲からそう思われてた事も知ってます。
自チームの試合でも、自分の親が他の親御さんからそういう風に言われていた事も聞きました。
めちゃくちゃ申し訳なくて悔しかったのを覚えています。

色んなセレクションなどでもなかなか合格が決まらくて。
特長をちゃんと出せない自分に。周囲を納得させる武器を身につけられなかった自分に問題があったけど『どうせ俺の良さは伝わらないから』『分からない奴は別にいいや』って自分を納得させようとしたり。
いつしか。
僕は、サッカーでもプライベートでも同じように思ってしまってました。

【自信】はいつの間にか『そんなもの俺にはない』『持ってはいけない』って思うようになっていました。

まだまだ『自分にしか出来ない事』『自信を持っていけるもの』は少ないけど。
萱森さんとの出会いが自分を前に進めるきっかけになった事は言うまでもないです。

萱森さんとは試合の機会やSNS上でしかお話は出来なかったかもしれませんが、
脳腫瘍の手術の際には、
「お母様にたくさん甘えてくださいね」
僕が悩んでいた時には
「強い人間なんていないんだから落ち込んで良いんですよ」

そのお言葉ひとつひとつに僕は助けられていた気がします。

エスペランサのアカデミーOBでスペインでのプレー歴のある息子さんにもお世話になりましたし、その勇姿に元気を頂いてました⚽️

お写真はもちろん、熊本にいる家族とたくさん共有させて頂き、遠くに離れて住む赤星家のみんなにも僕がプレーしている事を楽しんでもらえていた事は言うまでもありません。

赤星家を代表してお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

たくさんの素敵なお写真、ただの画像ではなくて
そこに思いや願いや気持ちも乗っかった素敵なプレゼントを頂き、4年間も継続してお写真を撮って頂き、本当にありがとうございました。

4年間、良い時も悪い時も。
良くない時間の方が長かったような気がしますが。笑

見守って下さり、一緒に戦って下さり、ありがとうございました。

出逢えて良かったですし、その度に色んなお話が出来た事が僕の宝物になりました☺️

またお会い出来るのを楽しみにしてます😊


【今日の言葉】

「人間の人生・運命は地位や名誉、お金ではなく、
最後は『この人ならついていきたい』と思わせる
人間的魅力によって開けていく
      ➖瀧澤中(作家・政治史研究家)」

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