【小説】逆老人
※性的な描写があります。ご注意ください。
誕生
私は八十歳でこの世に誕生した。
と言っても当然私に産まれた当時の記憶があるわけではない。のちに母から聞いたことによると、私はずいぶん下痢をしやすい老人だったらしく、頻繁に紙おむつを交換する必要があったということだ。
私の産まれたばかりの写真も残っている。額には「川」の字を横にしたような深いシワが入っており、頬は赤黒く、口をだらしなく半開きにしており、その無様な老人の姿が昔の我が身と認めるのはいささか勇気の要することであった。
七十五歳
いつのころからかは記憶にないが、私は老人用の車椅子を卒業して、壁やテーブルに手を突きながら自力で歩行できるようになった。または、父母に手を引かれて。
そんなことはわざわざ特筆すべきことではないのかもしれない。誰もが同じ道を歩むのだ。
私は七十七歳の春より、デイサービスの老人ホームに通うことになった。月曜日からから金曜日の毎朝八時三十分、家の前にて待機していると、きらびやかに塗装さらた老人ホームの小型バスが迎えにやってくる。
差し出された老人ホームの職員の手を取り、私はバスに乗り込む。
今はもう彼のフルネームを思い出すことはかなわないが、「まあくん」というニックネームの男性老人と私は馬が合ったようで、私はいつもバスではまあくんの横の席に座っていた。
デイサービスは、私にとっては少し退屈だった。与えられた紙に絵を描いたり、職員の演奏するオルガンに合わせて歌を歌ったり。時には、季節ごとの行事というものなのだろうか、豆撒きやクリスマス会などもあり、夏の季節には短冊に願い事を書いて笹の葉に飾るなどということをやった記憶もある。
ちなみに私はその短冊に「おかねもちになりたい」という願いを書いた。ずいぶんと嫌な老人だったに違いない。
七十歳
七十四歳から私は、地域のカルチャーセンターに通うことになった。そこで講師としてやって来ている人に、生涯学習という名目で、小難しい読書会に参加したり、暗算力を鍛えたり、またときには市営のスポーツ施設にまで出掛け、体力を養ったりしていた。
そして七十歳になったころ、私は私の肉体の、とある変化に気付いた。
私の股間にぶら下がっているペニスを、自ら手でいじっていると、硬く屹立するのである。いったいなぜ人体にそんな機能が備わっているのか、その時の私は知りようもなかった。
「屹立」などというご立派な言葉を用いたが、それはその時の私の主観による印象であって、実際には使い古した鉛筆が多少重力に抗っているという程度のものであったであろう。
カルチャーセンターには、気になる女性がいた。Sさんという私と同い年の老人で、笑顔のとても素敵な方だった。週に二度の俳句作成の教室にて私は講師からSさんの隣の席になるよう指示されていて、私は俳句教室の日が訪れることを待ち焦がれていた。
そして私は不埒な妄想をするようになった。
Sさんはふだん、どんな生活をしているのだろう。そして、Sさんの服を脱がせた裸体はどんな感じなのだろう。
私はなぜ私がそんな妄想をするのか、我ながらさっぱり理解できなかった。しかし抑えることは敵わなかった。
私がSさんの妄想をするときは必ずいつもペニスが鋼のように硬くなっていた。
六十歳
カルチャーセンターにて読み書き計算や簡単なパソコン操作を習得した私は、六十歳にて地元のとある企業に勤めるようになった。小さい企業であるためその年の採用は私一人だけで、同期や同僚と呼べる人はいなかった。
そして、親元を離れて自活するようになった。六十歳にして、自分の給料のみで自分の口を養うことになったのである。まだまだ私は老人と呼ばれてもおかしくない年齢ではあるが、徐々に老人から脱却しつつあるのではと自惚れるようになった。
仕事は基本的には事務職なので体力を要することはないのだが、新社会人である私は仕事を終えるとまるで全身が釜茹でされたかのように疲れていた。べつに会社が理不尽な業務を私に押し付けていたわけではない。ただ単に私が不慣れであっただけであろうと思う。
会社の先輩は親切で、当たり前ではあるが皆私より年下だった。
また私は会社の先輩により、多少悪いことも教えられた。いわゆる「呑む打つ買う」というやつである。
それまでに酒は飲んだことはあったし、博打のほうも多少は経験はあったものの、私は六十歳にしていまだに童貞であった。
しかし私は自分が童貞であることを恥ずかしく思っていたため、経験済みであるふりをしてた。
ある日の飲み会の終わり、ずいぶん酔っ払った三十代の大先輩が、「おごってやるから、ソープに行こう」などと言い出した。
私は非童貞であるという振る舞いをしていた手前、それにどう断りを入れていいものが分からず、そのまま流されて歓楽街にあるソープランドに入ることになった。
部屋にて現れたソープ嬢は見ようによっては五十代にも三十代にも見える不思議な容姿をしていたが、私より年下であろうことは疑いなかった。
五十歳
ようやく仕事もうまくこなせるようになり、年上の後輩も何人かできた私は、五十歳で結婚した。
配偶者は四十五歳の女性。友人の紹介で私が五十三歳のときに知り合い、お付き合いをするようになり、三年後に入籍した。
そして配偶者は四十二歳で妊娠した。
就職して十年以上経過していて、私のお給料もそれなりに多いものになっていたため、配偶者は妊娠を機にそれまで勤めていた仕事を退職した。
そしてその年の春、配偶者は八十歳の老人の女の子を産んだ。
もちろん私にとって初めての子供ということになる。
私は配偶者に無上の感謝と尊敬を捧げ、新たにこの背に負った責任の重さを実感した。
三十歳
子供の居る生活というものは、豪雨のように騒がしく疾風のごとき早さで過ぎ去って行った。
はや六十代となった娘は、海外に留学したいと言った。親としては心配しかないが、若い人間が未来ある老人の行く道を塞ぐようなことをしてはならぬ。
私は娘の希望を了とした。
二十歳
私は二十歳でそれまで約四十年に渡って勤務した会社を定年退職することになった。
気力や知識だけでなく、身体もそれまでの人生でもっとも頑丈なものになっていたが、若者がいつまでも席を占めておれば、老人の顰蹙を買うことになる。
会社の仲間が豪華な退職記念パーティーを開いてくれて、私は引退の花道を飾ることができた。
十歳
月日の経過というものは、かくも残酷なものなのか。そう思わざるを得ない。
十歳になった私は、目に見えて身長が縮んだ。そして今も縮みつつある。体重も昔は七十キロほどはあったはずたが、今は四十キロ台となっている。
徐々にではあるが身体をうまく使えなくなっているという自覚がある。
そして、思考力が幼稚になりつつある。昔は我慢できたであろうことでも、すぐに怒りを爆発させて理不尽に周囲に当たり散らかすようになった。
思い通りにならないことがあれば、すぐに拗ねるようになり、時には大声で泣くようなことさえある。
せめて、あと十年、いや五年でも時間が戻ってくれたなら。
性的な機能も、すっかり衰えてしまった。今さら女遊びをしたいなどという欲望はないが、自らの機能を確認するかのように自慰行為をしても射精に至らないときは、なさけなくて涙が出た。
かつてはあれほど立派で皮の剥けていた私のペニスは、小型の巾着袋のようにシワシワになっている。
五歳
永久歯はすべて抜け落ちてしまい、代わりに小さな白い貝殻のような乳歯が私の歯茎にくっついている。
私はすっかり子供になってしまった。
今は毎日幼稚園に通っている。
幼稚園では、画用紙に絵を描いたりハーモニカを吹いたりしているのだが、昔のようにできることは何ひとつない。
自分の思考をうまく言葉に出すこともできず、周囲の人間にほぼ全てを依存している。
夜尿をすることも頻繁になってきた。もはや私の身体は、小便すらも自在にできぬほどに衰えたのだ。
今はまだ、そんな自分を「情け無い」と思えているだけ、マシなのであろうか。
三歳
飯も糞も小便も、何ひとつまともにできなくなった。言葉を発しても、自分が何を言っているのかすら理解できない。
私は子供用の布団の周囲をのたうち回るだけの不能者となった。
私はもうじきゼロ歳になり、そしてその時死ぬのであろう。
後悔は、おそらくない。
しかし、歳を取って若返るということが、かように不幸なことだと予め知っていたならば、もっとほかにやりようがあったのではないかと思うこともある。
もう、眠たい。
次に目が覚めることは、あるのだろうか。
了